改訂新版 カシミール3D GPS応用編 刊行記念

わたくしもほんの少しだけ載っけてもらった「改訂新版 カシミール3D GPS応用編」が5月28日に刊行されました。
その記念というわけではないですが、久しぶりにGPSのページを更新しました。

更新したのはGoogleEarthやGoogleMapsにログを掲載する方法で、知っている人には当然ですが・・・。これも最初にカシミールとGPSをつないでログをPCに落とせるから可能なのであって、カシミールはGPSのポータルになっているなあ、と実感した次第です。


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改訂新版 カシミール3D入門編

改訂新版 カシミール3D入門編
 あの、「カシミール3D入門編」が8年ぶりにリニューアルした。詳細はこちら
 新旧を見比べてみると構成に大きな変化はないものの、Windows7への対応など時代の変化を反映しているほか、旧版ではカラーとモノクロが混在だったものがカラーに統一され見やすくなった。記述構成には変化はあまりないが、記述量は旧版148ページに対して新版は192ページとかなり増えており、初心者により優しい入門書になるとともにGPSに心拍計の話題が登場するなど、特にGPSに強いカシミール3Dの片鱗も見られる(偉そう・・・)。

 そして付属地図もリニューアル。
 従来の、50mメッシュ(全国)、20万分の1(全国)、5万分の1(関東甲信越)に加えて新たに、2万5000分の1(関東甲信越)が収録された。
 2万5000分の1は地図の基本になるためデータも新しいことが多い。例えば5万図だと上高地手前の安房トンネルは記載されていないが、2万5000ではちゃんとトンネルがある。今回収録された地図と旧版の地図を比べると、例えば東京近郊の圏央道は旧では日の出IC止まりだが、新は八王子JCTで中央道に接続している。
 というようなこともあり2万5000分の1地図は重要なのだ。
 (ただし幹線道路の情報は山の地形や登山道の更新頻度が違うので、新しい地図だからといって登山道も同時に修正されているわけではない。念のため)

 最近は地方のホテルでも客室にLANが装備されネットに接続できることが多いが、出張のおりに近隣の景色をカシミールで描くことを密かな喜びとしている人(誰のことだ・・・)には、オフラインでも使える地図データが新しくなったことはありがたい。
「GPSマスター編」など2冊の続編も収録地図ともども順次リニューアルしていってほしい。

 P.S 新版111ページに拙作ソフトの紹介がありました。Windows7での稼働確認してませんが・・・。

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沢野ひとし「山の時間」

沢野ひとし「山の時間」
 イラストレータの著者が雑誌「山の本」に連載したもののまとめ。著者の心に残る山の思い出を綴ったもので、単なる山紀行ではなく、著者の思いが強い。
 椎名誠の古くからの友人である著者の本のテーマは、山か女性(完全に私小説)しかなく(交友関係は椎名誠が書いているので)、山の本でも女性を引きずっていることが多いが、この本は「山の本」に連載したものだけに、女性絡みは少なく、むしろ自分を山に導いてくれた兄やいつの間にか自分を超えてしまったもと不良の息子など家族についての思いが多い。
 とはいえ、じめじめしたものではないし、著者自身のスケッチもシーナ本にあるような意味不明なイラストではなく、相応にまともなスケッチでリラックスして読める本である。

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エーデルワイス写真集「わが心の山」

箱
 「岳人」2008年10月号の「備忘録-語り残しておきたいことども」は写真家・三宅修だった。
 その中でエーデルワイスシリーズの写真集「わが心の山」の出版経緯について語っていたので、グラビア写真しか眺めていなかったこの本を読んでみた。
 この写真集は発足間もない日本山岳写真集団が1968年に刊行したもので、三宅はそのとりまとめとして巻末に刊行の経緯と掲載した写真家を紹介している。白籏史朗をはじめ三宅を含む1930年代生まれの当時の若手写真家8名による写真が数点ずつ掲載されている。
 いずれもその多くか日本を代表する山岳写真家のものだけあって、写真集は小振りながらも見応えがある。

 加えて、串田孫一、尾崎喜八、深田久弥、新田次郎、上田哲農、辻 一、山口耀久、最後には武田久吉が自らの「わが心の山」についての散文を掲げている。人により哲学的に山を思う人や失敗談などいろいろあるが、個人的には武田が最初に尾瀬に入った紀行が大変おもしろかった。武田久吉はご存じのとおり幕末の外交官・アーネスト・サトウの息子であり、植物学者。尾瀬の植生に興味をもち、その研究と保護に尽力した登山家である。「はるかな尾瀬」のころはまだしも、今や予約をしないと小屋にも泊めてもらえない人気の尾瀬の探検時代の紀行を武田は淡々と綴り、最後に心の山といえば尾瀬がそうなるだろう、と結ぶ。いかにも武田らしい沈着冷静な文章である。

 さて、「備忘録」には、名取洋之助の「つまらない山岳写真」の話も出ていた。
 これは1959年「山と高原」に掲載した当時国内トップを争う写真家・名取が山岳写真をばっさりと切り捨てたものである。1959年といえば山岳写真ではすでに白川義員が「白い山」を出し、田淵行男も1955年にデビュー、横田祐介などの若手も活躍していた、山岳写真のひとつのピークの時代らしい。
 これについての評価は杉本誠「山の写真と写真家たち」によれば、若手が反発、中堅がふらふら、長老が傾聴という感じだったようで、当時若手であった三宅も反発した口。ただし当の名取は実は山好きで、田淵行男や白川などきちんとした写真については評価していたこともあり、その後の山岳写真史の中ではやはり名取の勝ち、という印象になっている。
 「備忘禄」では三宅は「「山岳写真家である以上に山登り屋だ」というのはいけないことですかね」、とのみ反論している。

 最後に、最近のデジカメについてのコメントがあり、ふだんメモ代わりに持ち歩くのはリコーのカプリオで、28ミリから200ミリ相当のズーム、1センチまでのマクロ、手ぶれ補正機能が便利だと言っている。ぼくのR6もそうなんだけど、どのバージョンかな。

白籏史朗・黎明

左:三宅修・高原/霧ヶ峰、右:内田良平・雪稜/剣岳

山の本

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中村清太郎「雲ノ平と黒部五郎」

雲ノ平と黒部五郎

 深田久弥「日本百名山」の黒部五郎岳の項には「もし、それぞれの人に、こころの山というものがあるとしたら、中村清太郎さんのそれは黒部五郎岳に違いない。画伯は中学生の頃、すでに白馬の頂上から笠ヶ岳に似たこの山を遠望して、非常に惹かれたという。」という記述があるが、この出典が分からなかった。中学のときに白馬岳から眺めたというくだりである。
 氏が最初に黒部五郎に登った記録である「越中アルプス縦断記」では「自分はこの山が実に好きで耐まらないのである」という記述があるが、白馬から見たという記述はない。

 氏は画家なのでもともと著作物は少なく「山岳礼拝」にほとんどの著作が収録されているが、それにはそのような記述はない(と思う)。もっとも深田久弥は双六小屋で毎日雲ノ平まで行って黒部五郎を描いている中村清太郎に会っているので(「日本百名山」)、その時に氏から直接聞いたのかもしれない。

 そんな会話もあったのかもしれないが、それは別として、出典らしきものが見つかった。「岳人」昭和32年8月号に収録された「雲ノ平と黒部五郎」という中村清太郎の絵と文である。

 残念ながら当時の出版物ということで絵もモノクロであるが、その下に短い文章が寄せられていた。その中で「私がこの山に惹かれた初めは、中学生の頃、白馬から遠望した時で、」とある。さらに「山名も私が選んだもの。」という記述があった。
 これは上記の初登頂のときに山頂でこの山が「中ノ俣岳」という呼称があることを知るが、以前に嘉門次に聞いた「黒部五郎岳」がふさわしいと思い、「越中アルプス縦断記」をこの名前を登場させてからこの名称が広まったことによる。

 実は、これが書かれているかもしれないとこの本(「岳人」昭和32年12月号)をヤフオクで買ってみたのだが、あたりだったので嬉しい・・・。

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服部文祥「サバイバル登山家」

サバイバル登山家

服部文祥「サバイバル登山家」を読んだ。
 1969年生まれだから刊行時(2006年)は37歳。

 電池で動くヘッドランプや時計を持たず、テントはタープのみ、食料は米と調味料以外は現地でイワナや山菜を調達することを基本に歩く。フリークライミングからの発想でなるべく自然に近い形で山を歩く、というのがサバイバル登山らしい。表紙の写真で著者がかじっているのはイワナをおろすシーン。

 南アルプスをこの形で歩いているが、日高全山縦走では、ラジオを持ち込み天気予報はチェックしている。
 日高全山のレポートは最近、志水哲也「果てしなき山稜」で襟裳岬から宗谷岬までの一部として読んだが、志水のやり方は背負えるだけ背負い、食料がなくなれば下山して食料を調達してまた下山地点から入山するスタイル。服部のは基本的に入山したまま。米は多少はあるが、基本的には山菜とイワナで過ごす。だからいつもおなかがすいている。イワナがメインディッシュなのでそれを釣る時間もかかるし、燻製にして持ち歩けるとはいえ、イワナがいない、あるいは釣れないコースには行けないだろう。貴重なイワナをわざわざ食うな、という意見もある。楽しいのかねえ。

 一方、同じ本に収録された冬の黒部横断など厳冬期にはもちろんこの手法はとれない、こちらはサバイバルよりは初登攀が目標。日本の山で未登攀なんてあるのかと思ったが積雪期の尾根単位だとまだあるようだ。まあ、こちらも厳冬期の悪天候下の初登攀ということで、なんか楽しいんだろうか、という感じ。

 クライミングや高所登山を別とすれば、国内の山を歩くだけで飯の種にするにはこういう異彩を放たないと無理なのだろうな、と思う。志水哲也は黒部の写真という材料を見いだし、登山ガイドと山岳写真家の二足のわらじを履くことになったが、この著者はどうするのだろうか。

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「果てしなき山稜──襟裳岬から宗谷岬へ」

果てしなき山稜──襟裳岬から宗谷岬へ
 志水哲也「果てしなき山稜──襟裳岬から宗谷岬へ」をやっと読んだ。
 93年の年末から94年の5月にかけて、襟裳岬から宗谷岬まで北海道の脊梁山脈である日高山脈、大雪山、石狩山地、北見山地を歩いた記録である。
 「大いなる山 大いなる谷」で南北アルプス、知床、日高、黒部と歩き回ったものの93年現在では次に何をすべきなのかが見つからないまま冬の日高に入る。デポ(食料や用具などをあらかじめ途中に置いておくこと)をしないので、担げる量がつきると山を下りて買い出しに行き、準備を整えてまた下山地点から山に入る。
 いつ降りるか不明なので宿の予約はできず、いつでも泊まれるユースホステルがベースとなっている。ユースホステルは今でもあるんだな、と遠い昔、北海道で泊まり歩いた頃を思い出す。山で偶然すれ違った人と別の機会に一緒に歩いたり家に泊めてもらったりとこれまた同じようなことをしていた学生時代を思い出す。

 実は襟裳岬から宗谷岬までの山行は「大いなる山 大いなる谷」を上回る厳しい状況をイメージしていたが(実際、気温や食料、ヒグマなどの問題もありとても厳しい山行であるのは確かであるが)、なんとなく余裕がある。それは時々山を下りて下界の人とつきあいをするせいだろう。一方で山の中では、なんでこんなことをしているのだろう、いつまでこんなことをしているのだろうという自問自答ばかりで、黒部に定住し次のステップが見つかる前の産みの苦しみのようなものを感じた。

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大森久雄「本のある山旅」

本のある山旅
 大森久雄「本のある山旅」は何冊か読んだ山の本に関わる書物の中では、読みやすく、内容も秀逸である。

 作者の山旅を中心とした文章で、その山に関わるいくつかの書籍について触れているが、冒頭の「荒船山と神津牧場」でびっくりさせられた、というか、無知を思い知らされたというべきか・・・。荒船山と神津牧場といえば、大島亮吉の「荒船と神津牧場付近」である。大島の文章はエーデルワイスシリーズ5「思い出の山」に収録されているもので高校時代に読んだのが最初である。就学前に暮らした群馬県富岡で荒船山を毎日眺めていたこともありとても印象に残っているが、大島の「山-研究と随想」の復刻版を入手したこともあり、大森の本がこの山から始まるのは奇遇にも思えた。
 が、大島の有名な文章は実は尾崎喜八の詩が盗作と言ってかまわないレベルまで下敷きになっていた。発表当時から一部の尾崎ファンには知られていたらしいが、その後大島が穂高で逝ってしまったこともあり、あまり触れられていなかったようだ。作者の大森さんもこれを知ったときはかなりショックだったようだ。

 さて、そんな出だしで始まるが、作者が山の本の編集者であり、深田久弥や望月達夫、田淵行男、山村正光、横山厚夫など多くの人と交流があったため、出てくる本もかなりの量と質である。山岳関係の本は、山の本の編集者としては当然知っているべきものばかりのようではあるが、一般書籍がぼくには全然追いつかない。
 それとなんだかんだ行っても大森さんもよく山に行っている。

 さて、改めてエーデルワイスシリーズ全6巻の目次に並ぶ執筆者を眺めてみる。昭和43年の刊行なので当然ながら昔の人ばかりであり、集大成でもある。この本の刊行から40年たつが、この40年に刊行された本でこのレベルの本は作れないだろう。

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工藤隆雄「山のミステリー」

工藤隆雄「山のミステリー」
工藤隆雄「山のミステリー」を読んだ。
 アマゾンのレビューではあまり芳しくないが、そうは思わなかった。
 ミステリーと題がついているが、怪談だけでなく不思議な話が集めてある。すべて著者が見聞きしたもので、一部を除き提供元も明記されている。「山の軍曹」として名高い千畳敷カールの木下さん雲取山荘の新井さん、北八ツ、しらびそ小屋の今井さん黒百合ヒュッテの米川さん、陣馬山の清水茶屋の清水辰江さんなど名前をよく聞く人のほか、名前は知らなかったが小屋としては有名な南ア北沢峠・大平小屋、南御室小屋、奥秩父金峰山小屋、十文字小屋、大菩薩富士見山荘、丹沢鍋割山荘ほか各地の小屋番の話が多いので少なくとも噂話のレベルではなく、まだまだ科学では説明できない事象がたくさんあることに最近はかえってほっとする思い・・。
 怪談はどうしても遭難者の話と結びつく。もしも自分が山の中で幽霊を見たらやっぱりとても怖いと思うが、生きていればただの登山者で亡くなったとたんに忌み嫌ってしまうのは本当はおかしなことと思うが、これは死や危険をさける生物の本能なので致し方ないか。
 遭難話でも捜索隊がいくら捜索しても見つからないのに山は素人の肉親が行くと全く予想外の場所を探して遺体を見つけてしまう話などは、肉親・家族の不可思議さを知る思いである。それにしても遭難する人の背後に霊が見えてしまう小屋番というのは凄い。
 不可思議な話で興味があったのはしらびそ小屋の今井さんが他の登山者とみたUFO着陸シーン。今井さんは明け方に離陸のシーンも目撃している。しばらく上にあがるとそのまま消えてしまったということなので、光学迷彩くらいできるんだろうなあ、UFOは・・・。

 S県とY県をつなぐトンネル工事で小屋の水が出なくなった話はイニシャルだけで雁坂トンネルと分かる。もう話題にしてはいけないらしいが。

 うらやましいのは金峰山小屋の福の神かなあ・・・。

 惜しむらくは著者の行動範囲のせいか逸話の場所がかなり限定されているように思える。北アルプスは薬師岳の愛知大大量遭難の話があったが、槍穂高や立山周辺ではいろいろありそうな・・・。

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大森久雄「山の旅本の旅―登る歓び、読む愉しみ」

大森久雄「山の旅本の旅―登る歓び、読む愉しみ」
大森久雄「山の旅本の旅―登る歓び、読む愉しみ」を読んだ。
 著者は朋文堂などで山岳関係書籍の出版に携わってきた人であり、登山もする。山の本を知っている人であればこのひとが深田「日本百名山」の企画者であったことも有名であろう。
 ということでこの本は深田さんとのかかわりや百名山企画とその功罪についても触れられている。最近の百名山ブームとそれに伴う中高年を中心としたモラルの低下や山の荒廃は深田さんに直接の罪はないだろうが、あるとすれば100と区切ってしまったことだろうと氏はいう。これが98とか103とかの半端な数で連載が終わっていれば、単なる深田さんが選んだ個人的名山で終わったのが100にしたことで、それを目指す、数を稼ぐことが良いような風潮が生まれてしまった。そして深田百名山に入らなかった名山を入れるために200名山とか300名山とかまで選定されるようになってしまった。
  ぼくの新日本百名山
 深田久弥の山の文章は味わいがあるし、「日本百名山」は秀逸な文章で、山ごとにかなりの言い回しを覚えているくらい馴染んでる。しかし最近は百名山ブームを嫌がり深田久弥の「日本百名山」に選定された100の山をあえて「深田百名山」と呼ぶようになってきたが、これは中高年の体力を考慮いただき、岩崎元郎が新たに選んだ「新日本百名山」と区別しているわけではなく、あくまでも深田さんが選んだ個人的な、という意味である 。

 深田クラブという会がある。この会そのものは深田百名山を登る会ではなく、深田久弥の著作と山への考えに共感する人の集まりであり、誰でも入会できるが、「百名山」がなかったらこの会は発足したのだろうか・・・。しかも、この会は会則に200名山選定をうたい、実際「日本200名山」を選定、出版している。まあ、200名山になるとこれを完登することで自慢する人はすでに深田百名山を登り終えた人なので数は少ないので、ブームにはならないだろうが、「混む山へは行かない」と言っていた深田さんのことばをどう心得ているのか疑問。

 まあ、相撲の番付ではないが、日本人は他人が設定した権威付けが好きなので仕方ないか。

本の感想から、思いっきりずれてしまった。本そのものは温かみのある文章でなかなか良いです。

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