服部文祥「サバイバル登山家」

サバイバル登山家

服部文祥「サバイバル登山家」を読んだ。
 1969年生まれだから刊行時(2006年)は37歳。

 電池で動くヘッドランプや時計を持たず、テントはタープのみ、食料は米と調味料以外は現地でイワナや山菜を調達することを基本に歩く。フリークライミングからの発想でなるべく自然に近い形で山を歩く、というのがサバイバル登山らしい。表紙の写真で著者がかじっているのはイワナをおろすシーン。

 南アルプスをこの形で歩いているが、日高全山縦走では、ラジオを持ち込み天気予報はチェックしている。
 日高全山のレポートは最近、志水哲也「果てしなき山稜」で襟裳岬から宗谷岬までの一部として読んだが、志水のやり方は背負えるだけ背負い、食料がなくなれば下山して食料を調達してまた下山地点から入山するスタイル。服部のは基本的に入山したまま。米は多少はあるが、基本的には山菜とイワナで過ごす。だからいつもおなかがすいている。イワナがメインディッシュなのでそれを釣る時間もかかるし、燻製にして持ち歩けるとはいえ、イワナがいない、あるいは釣れないコースには行けないだろう。貴重なイワナをわざわざ食うな、という意見もある。楽しいのかねえ。

 一方、同じ本に収録された冬の黒部横断など厳冬期にはもちろんこの手法はとれない、こちらはサバイバルよりは初登攀が目標。日本の山で未登攀なんてあるのかと思ったが積雪期の尾根単位だとまだあるようだ。まあ、こちらも厳冬期の悪天候下の初登攀ということで、なんか楽しいんだろうか、という感じ。

 クライミングや高所登山を別とすれば、国内の山を歩くだけで飯の種にするにはこういう異彩を放たないと無理なのだろうな、と思う。志水哲也は黒部の写真という材料を見いだし、登山ガイドと山岳写真家の二足のわらじを履くことになったが、この著者はどうするのだろうか。

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「果てしなき山稜──襟裳岬から宗谷岬へ」

果てしなき山稜──襟裳岬から宗谷岬へ
 志水哲也「果てしなき山稜──襟裳岬から宗谷岬へ」をやっと読んだ。
 93年の年末から94年の5月にかけて、襟裳岬から宗谷岬まで北海道の脊梁山脈である日高山脈、大雪山、石狩山地、北見山地を歩いた記録である。
 「大いなる山 大いなる谷」で南北アルプス、知床、日高、黒部と歩き回ったものの93年現在では次に何をすべきなのかが見つからないまま冬の日高に入る。デポ(食料や用具などをあらかじめ途中に置いておくこと)をしないので、担げる量がつきると山を下りて買い出しに行き、準備を整えてまた下山地点から山に入る。
 いつ降りるか不明なので宿の予約はできず、いつでも泊まれるユースホステルがベースとなっている。ユースホステルは今でもあるんだな、と遠い昔、北海道で泊まり歩いた頃を思い出す。山で偶然すれ違った人と別の機会に一緒に歩いたり家に泊めてもらったりとこれまた同じようなことをしていた学生時代を思い出す。

 実は襟裳岬から宗谷岬までの山行は「大いなる山 大いなる谷」を上回る厳しい状況をイメージしていたが(実際、気温や食料、ヒグマなどの問題もありとても厳しい山行であるのは確かであるが)、なんとなく余裕がある。それは時々山を下りて下界の人とつきあいをするせいだろう。一方で山の中では、なんでこんなことをしているのだろう、いつまでこんなことをしているのだろうという自問自答ばかりで、黒部に定住し次のステップが見つかる前の産みの苦しみのようなものを感じた。

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大森久雄「本のある山旅」

本のある山旅
 大森久雄「本のある山旅」は何冊か読んだ山の本に関わる書物の中では、読みやすく、内容も秀逸である。

 作者の山旅を中心とした文章で、その山に関わるいくつかの書籍について触れているが、冒頭の「荒船山と神津牧場」でびっくりさせられた、というか、無知を思い知らされたというべきか・・・。荒船山と神津牧場といえば、大島亮吉の「荒船と神津牧場付近」である。大島の文章はエーデルワイスシリーズ5「思い出の山」に収録されているもので高校時代に読んだのが最初である。就学前に暮らした群馬県富岡で荒船山を毎日眺めていたこともありとても印象に残っているが、大島の「山-研究と随想」の復刻版を入手したこともあり、大森の本がこの山から始まるのは奇遇にも思えた。
 が、大島の有名な文章は実は尾崎喜八の詩が盗作と言ってかまわないレベルまで下敷きになっていた。発表当時から一部の尾崎ファンには知られていたらしいが、その後大島が穂高で逝ってしまったこともあり、あまり触れられていなかったようだ。作者の大森さんもこれを知ったときはかなりショックだったようだ。

 さて、そんな出だしで始まるが、作者が山の本の編集者であり、深田久弥や望月達夫、田淵行男、山村正光、横山厚夫など多くの人と交流があったため、出てくる本もかなりの量と質である。山岳関係の本は、山の本の編集者としては当然知っているべきものばかりのようではあるが、一般書籍がぼくには全然追いつかない。
 それとなんだかんだ行っても大森さんもよく山に行っている。

 さて、改めてエーデルワイスシリーズ全6巻の目次に並ぶ執筆者を眺めてみる。昭和43年の刊行なので当然ながら昔の人ばかりであり、集大成でもある。この本の刊行から40年たつが、この40年に刊行された本でこのレベルの本は作れないだろう。

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工藤隆雄「山のミステリー」

工藤隆雄「山のミステリー」
工藤隆雄「山のミステリー」を読んだ。
 アマゾンのレビューではあまり芳しくないが、そうは思わなかった。
 ミステリーと題がついているが、怪談だけでなく不思議な話が集めてある。すべて著者が見聞きしたもので、一部を除き提供元も明記されている。「山の軍曹」として名高い千畳敷カールの木下さん雲取山荘の新井さん、北八ツ、しらびそ小屋の今井さん黒百合ヒュッテの米川さん、陣馬山の清水茶屋の清水辰江さんなど名前をよく聞く人のほか、名前は知らなかったが小屋としては有名な南ア北沢峠・大平小屋、南御室小屋、奥秩父金峰山小屋、十文字小屋、大菩薩富士見山荘、丹沢鍋割山荘ほか各地の小屋番の話が多いので少なくとも噂話のレベルではなく、まだまだ科学では説明できない事象がたくさんあることに最近はかえってほっとする思い・・。
 怪談はどうしても遭難者の話と結びつく。もしも自分が山の中で幽霊を見たらやっぱりとても怖いと思うが、生きていればただの登山者で亡くなったとたんに忌み嫌ってしまうのは本当はおかしなことと思うが、これは死や危険をさける生物の本能なので致し方ないか。
 遭難話でも捜索隊がいくら捜索しても見つからないのに山は素人の肉親が行くと全く予想外の場所を探して遺体を見つけてしまう話などは、肉親・家族の不可思議さを知る思いである。それにしても遭難する人の背後に霊が見えてしまう小屋番というのは凄い。
 不可思議な話で興味があったのはしらびそ小屋の今井さんが他の登山者とみたUFO着陸シーン。今井さんは明け方に離陸のシーンも目撃している。しばらく上にあがるとそのまま消えてしまったということなので、光学迷彩くらいできるんだろうなあ、UFOは・・・。

 S県とY県をつなぐトンネル工事で小屋の水が出なくなった話はイニシャルだけで雁坂トンネルと分かる。もう話題にしてはいけないらしいが。

 うらやましいのは金峰山小屋の福の神かなあ・・・。

 惜しむらくは著者の行動範囲のせいか逸話の場所がかなり限定されているように思える。北アルプスは薬師岳の愛知大大量遭難の話があったが、槍穂高や立山周辺ではいろいろありそうな・・・。

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大森久雄「山の旅本の旅―登る歓び、読む愉しみ」

大森久雄「山の旅本の旅―登る歓び、読む愉しみ」
大森久雄「山の旅本の旅―登る歓び、読む愉しみ」を読んだ。
 著者は朋文堂などで山岳関係書籍の出版に携わってきた人であり、登山もする。山の本を知っている人であればこのひとが深田「日本百名山」の企画者であったことも有名であろう。
 ということでこの本は深田さんとのかかわりや百名山企画とその功罪についても触れられている。最近の百名山ブームとそれに伴う中高年を中心としたモラルの低下や山の荒廃は深田さんに直接の罪はないだろうが、あるとすれば100と区切ってしまったことだろうと氏はいう。これが98とか103とかの半端な数で連載が終わっていれば、単なる深田さんが選んだ個人的名山で終わったのが100にしたことで、それを目指す、数を稼ぐことが良いような風潮が生まれてしまった。そして深田百名山に入らなかった名山を入れるために200名山とか300名山とかまで選定されるようになってしまった。
  ぼくの新日本百名山
 深田久弥の山の文章は味わいがあるし、「日本百名山」は秀逸な文章で、山ごとにかなりの言い回しを覚えているくらい馴染んでる。しかし最近は百名山ブームを嫌がり深田久弥の「日本百名山」に選定された100の山をあえて「深田百名山」と呼ぶようになってきたが、これは中高年の体力を考慮いただき、岩崎元郎が新たに選んだ「新日本百名山」と区別しているわけではなく、あくまでも深田さんが選んだ個人的な、という意味である 。

 深田クラブという会がある。この会そのものは深田百名山を登る会ではなく、深田久弥の著作と山への考えに共感する人の集まりであり、誰でも入会できるが、「百名山」がなかったらこの会は発足したのだろうか・・・。しかも、この会は会則に200名山選定をうたい、実際「日本200名山」を選定、出版している。まあ、200名山になるとこれを完登することで自慢する人はすでに深田百名山を登り終えた人なので数は少ないので、ブームにはならないだろうが、「混む山へは行かない」と言っていた深田さんのことばをどう心得ているのか疑問。

 まあ、相撲の番付ではないが、日本人は他人が設定した権威付けが好きなので仕方ないか。

本の感想から、思いっきりずれてしまった。本そのものは温かみのある文章でなかなか良いです。

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畦地梅太郎「山の眼玉」

畦地梅太郎「山の眼玉」
 畦地梅太郎「山の眼玉」を読んだ。
 梅太郎の画文集である。味わいのある版画が良い。文章は良いものも多いのだが、短すぎて話がいきなり終ってしまうものも多い。どことなく原始人を思わせる山男が登場する版画は子供が描いたような純真な印象があり、今でも山岳雑誌などでよく見る。デフォルメしながらもその山の感じを見事に表現する版画も悪くない。
 さきほどググってみたらなんと近所に梅太郎の自宅を元にした展示館「あとりえ・う」があった。しかも休み明けの25日から2月末までなぜか臨時休館。しかし残念ながら駐車場はないとのこと。旧白州邸・武相荘と直線で200メートルほどの距離である。
 一方、「第21回 畦地梅太郎木版画展」が年明けの2008年1月4日から横浜みなとみらいで開催されるようだ。

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山口耀久「山頂への道」

山口耀久「山頂への道」
 山口耀久「山頂への道」を読んだ。
 山口耀久といえば「北八ツ彷徨」というのがぼくのイメージ。高校時代に触れた角川書店のエーデルワイスシリーズの編集者であることもあり、過去の人という印象があり、2004年刊行の本があるとは知らなかった。「北八ツ彷徨」「八ヶ岳挽歌」に続く3冊目の著作であり、1955年から2001年までのものを収録している。ちなみに本書に収録された「坂巻温泉」は上記エーデルワイスシリーズ第6巻(奇しくも同名の「山頂への道」)にも収録されている。
 内容は3部に分けられ紀行編、評論編、敬愛した人たちの紹介・論評となっている。
 やはり1部が面白い。ほとんどが60年代前半のもので、丹沢通いから谷川岳、八ヶ岳、滝谷と続く岩と雪の遍歴も良いが、60年代の礼文島(当然、利尻山の帰りがけの駄賃・・・)での出来事を綴った「スコトン岬」とまだ名前も知られていなかった頃の西上州「鹿岳(かなだけ)・物語山」がいずれも自分と多少の関係もあるせいか、印象に残った。
(関係あると言っても礼文島に行ったことがあること、鹿岳・物語山がある下仁田は山口耀久さんの名前と同じ「耀」の字を使う母の故郷であり、鏑川ではよく遊んだ、という程度)
 しかし、山口耀久の登り方はすごい。初めての山でも一般縦走路に興味がなく、沢や岩から登るのが当然だったようで、その結果、甲斐駒は2月の摩利支天中央壁から、北岳はバットレス中央稜から12月に、槍ヶ岳は北鎌から、仙丈ケ岳は三峰川をつめて・・・という感じである。まあそれだけの実力がなければできないが。

 評論以降では尾崎喜八と辻まことに関するものが多く、彼らのものも読みたいという気になり、とりあえず尾崎喜八「山の絵本」を借りてきた。

p.s で、本箱を整理したら岩波文庫版の「山の絵本」が出てきた・・・。

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沢木耕太郎「凍」

 先日NHKハイビジョン特集「白夜の大岩壁に挑む~クライマー山野井夫妻~」で、その後の彼らが2007年夏にグリーンランドの大岩壁を登るドキュメントを見た。
 NHKらしく金と時間をかけて、夫妻とも手足の指がほとんど残っていないが、彼らの普段の生活やトレーニング、登攀器具の改造などを紹介していた。
 グリーンランドの岸壁でも3人(夫妻ともう一人。もちろん他に撮影スタッフがいる)の動きや、トップやセカンドの役割、ロープをどのように使い、どのように荷揚げをするのかなど門外漢でもわかりやすかった。
(山野井さんの時計は当然のようにSUUNTO VECTORでした・・・)

 その彼らは2002年、ヒマラヤ・ギャチュンカン(7,985m/7,952m 異説あり)で泰史が単独登頂に成功したあとの下降時に岸壁で雪崩の直撃に遭う。この事故で夫妻はかなりの数の手足の指を凍傷で失い、以前の事故ですでにかなりの数の手足の指がなかった妻・妙子はわずかに足の指2本となってしまう。この生還劇とその後の彼らの復活の話は、岩や雪とは無縁のぼくでもさわり程度は知っていた。
沢木耕太郎「凍」

 というわけでその詳細を知りたくて、沢木耕太郎「凍(とう)」を読んだ。「凍」は凍傷、凍てつく、であり音としては「闘」である。まるでフィクションのような細かい描写は綿密な取材と構成力の賜物だろう。ノンフィクション作家らしい。

 泰史がギャチュンカンの興味を持ち、出発するシーンから、時代は彼と彼女の生い立ちと山歴の紹介となり、やがてカトマンズへ、それから登頂、事故、脱出、手術、その後となる。
 生い立ちを読むと彼ら二人がやはり天性のクライマーであったことがわかる。ことに凄いのは妻・妙子であり、会計をはじめとした実務能力、気配り、そして度胸、これらだけでも十分にキャリアウーマンになれるだけの能力を持つ。TVで初めて51歳になる泰史より9つ上の姉さん女房を見たときは、どうしてこのふたりは結婚したのだろうかと思ったが、なるほどこの二人だから結婚したのだなと思えた。
 凍傷で指を切る手術は、すでに壊死しているから関係ないかと思ったが、生きている部分の手術もするのでもの凄い苦痛を伴うようだ。しかし妙子は最初の遭難での手術でも泣き言ひとつ言わず、同じ病院で小指を詰めて泣き叫んだヤクザや同じ凍傷で手術をした男のクライマーが見習いたいと見舞いに来たという嘘のような話まである。

 二人のそのときどきの心情は語られるが、ノンフィクションらしく劇的な書き方はけっしてせず、淡々とストーリーが進んでいく。それは雪崩直撃という惨劇でも泰史はもちろん妙子もけっしてパニックに陥らずに厳しいなかで冷静に手段を選択していった彼らの実力と気持ちの反映でもあろう。
 グリーンランドの登攀時の彼らの能力は最盛期の6割程度まで回復しているとのことだが、泰史42歳はともかく、妙子は51歳である。恐るべし。


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中村清太郎「山岳礼拝」

右から保護函、函、本体・・・
 中村清太郎「山岳礼拝」を読んだ。復刻版日本山岳名著全集の別巻として収録されたものであり、なかなか読み応えがあった。

【紀行】
「白峰山脈の南半」(原題は「冬の白峰山脈彷徨」)「大井川奥山の旅」の2作は「山岳渇仰」で、「黒部川峡谷の話」「雪山と廃道(所ノ沢ごもり)」「春山写生行」は「ある偃松の独白」で読んだので今回はパス。

白峰及び赤石山脈縦横記」明治42年夏の高頭式、小島烏水、高野鷹蔵、三枝威之介との南アルプス登山の記録。日本初のテントを使用。一部を除きほぼ全文を中村が書き、小島が校正、加筆している。追憶編「小島烏水」によれば探検隊隊長格であった小島に最年少の中村が「荒筋を書いてくれ」といわれたようだ。本編は登山史の観点から非常に興味深い記述が盛りだくさんであるが、追憶編ではこの登山行のハプニングや最年少中村の心中も書かれ、こちらも面白い。

 鉄道もない時代、悪沢岳を目指すのに甲府から馬車で鰍沢、ここからは徒歩で櫛形山の麓の池の茶屋を経由してやっと西山温泉となる。さらに転付峠の北を越えてやっと悪沢岳に取り付く。 赤石山系一部憶測図

 地図もなく、稜線のつながりも不明で三角点などの憶測図しかない時代。憶測図ではまだ塩見岳の名称はなく(間ノ岳になっている。白根三山の間ノ岳は別にある)、悪沢岳が主脈上になく東に突き出た山であることをこの登山で初めて発見している。地図のいい加減さに比べて中村のスケッチや絵画の綿密な描画が妙に目立つ。


赤石山頂から(部分)

塩見岳の表示はなく、間ノ岳となっている。甲斐駒もきちんとチェック。

赤石山頂から(カシミール)


 椹島などに水力発電調査のため電力会社の人間が出入りしていることに落胆しているのが楽して登ろうという最近の人たちとは大きく違う。

後立山連峰縦断記」明治43年夏、辻本満丸、三枝威之介との鹿島槍、針ノ木岳の紀行。この途上で、棒小屋乗越で中村はクモマツマキ蝶を捕獲。日本初の高山蝶の発見。ちなみに日本初のピッケル使用者にもなった。ちなみにこれに続き三枝と歩いた薬師岳で二種目の高山蝶ベニヒカゲも発見する。この章は辻本が記述したが、登山中に捕獲した「お宝」クモマツマキ蝶をたびたび確認する中村の様子を揶揄している。で、最後にたどり着いた針ノ木峠の隣の山で辻本が、ここを針ノ木岳という名にしようと山名を決めている。
 この山行の記念写真が「山を愛する写真家たち」などでも紹介されている有名な写真である。

鹿島槍から鹿島槍から

鹿島槍ヶ岳山頂から

越中アルプス縦断記」明治43年夏、上記の後立山連峰を踏破した中村と三枝はさらに立山方面を目指す。黒部川の平で黒部の主、遠山品衛門がかけたモッコの渡しを使い、五色が原に抜ける。中村はこの場所が相当気に入ったようだ。その後、まだ稜線の続きがわからない薬師岳を経由、頂上で偶然にも田部重治に会い、その後、念願の黒部五郎岳の登頂を果たすが、天候が回復せずエスケープルートとして西鎌尾根から槍ヶ岳へ向かい上高地に下りた。この紀行は中村が執筆している。


北薬師岳の北から
北薬師岳の北から

北薬師岳の北より。

【随想】
表題作「山岳礼拝」「ある偃松の独白」など長短11編を収める。
東京より見ゆる山のこと」:短編であるが、同じ日に東京の別の場所から南アルプスの白い峰を見た中村と木暮理太郎はその晩に協議して悪沢岳と結論付けるなど、後の木暮の「望岳都東京」につながる逸話があり興味深い。
 当時から六郷土手から白根三山が見えたことは有名だったようだ。
日本南アルプスの思い出」。「白峰及び赤石山脈縦横記」の裏話という感じのエッセイ。面白い。
ある偃松の独白」(小説)。同名の表題作もあるが、「山岳礼拝」の裏の見返しにはこの小説に関連する「老いたる偃松」の絵があり、再読した。この偃松は木曽駒のものであろう。
黒部川初遡行の追憶」大正8年夏の木暮理太郎との遡行記。黒部の案内人助七と立山の案内人(宇治長次郎)との確執というか長次郎が黒部という場所を考慮し助七に花を持たせたために準備不足などにより結局目的の後立山への遠征はかなわず室堂に抜けることになる。宇奈月温泉からのトロッコ列車はもちろん、日電の水平歩道(という暢気な名前から想像できない道だが)もない時代、愛本から歩いて黒部に入る。詳細な記述は木暮の「山の憶ひ出」の「黒部川を遡る」にあるのでこちらも読んだ。

【追憶】
 小島烏水、高頭仁兵衛、高野鷹蔵、木暮理太郎、茨木猪之吉、辻本満丸と辻村伊助、加賀正太郎について。ほとんどが追悼文であるが、書き方から察するに一部は未完となった「日本登山史」の原稿の一部のようだ。
 いずれも貴重な交遊録である、それ自体が「日本登山史」と言える。それにしても横浜正金銀行(後の東京銀行、さらに現在の三菱東京UFJ銀行)に勤務していた小島はなんであんなに山に行く時間が取れたのだか、現代のサラリーマンから見るととても不思議。しかも彼はアメリカに2年ほど赴任しているんだけど・・。「日本山嶽志」の高頭は付き人に「ふだんなら次の間か敷居越でしか話ができないのに同じ天幕に入れるとは山は幸せだ」と言わせた本当のお大名だし、加賀正太郎(中村とは小学校、大学で同級)は加賀証券社長でご存知ニッカを創設している。いつもお金がなくて知人宅を渡り歩いた茨木猪之吉を別にすれば、関東大震災で屋敷ごと埋まって遭難死した「スウィス日記」の辻村も含め、みんなお金と時間となによりも気力と体力があったのでしょうね。

 中村と小島は30年近くお隣どおしだったようだ。
 辻本はググってみると登山家としてよりも工学博士としての記事が多かったのが意外。 やっぱり正体不明なのが木暮理太郎さんでしょうか。

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椎名誠「極北の狩人」

椎名誠「極北の狩人」
さらば国分寺書店のオババ
 椎名誠の本は一部のSFを除きほぼ読んでいる。たまたま仕事が国分寺だったので「さらば国分寺書店のオババ」を読んだらオババはお得意様だったなんてこともあるが、その後に「哀愁の町に霧が降るのだ」で、椎名誠、木村晋介らの共同生活と学生時代の友人の下宿を重ね合わせたりしたこともあった。
 椎名誠は国内はもとより海外の辺境への旅ものも多く、そのほとんども読んでいるが、最近、星野道夫のおかげで北の方にも興味が湧いたので「極北の狩人」を読んでみた。
 DVDが付属しており本の一部がビデオで再現できる。DVDを先に見てみた。DVDはロシアのエスキモーの家族と狩の様子である。けっこう近代的な(カナダ製らしい)な家に住むエスキモーであるが、食事は生肉を真ん中において各自がナイフで好きなところを食べるのがふつうで、皿を使ったのは椎名などの取材陣へのサービスのようだ。犬そり、ライフル(は警察に取り上げられていたので散弾銃)でのアザラシ狩の様子、ワカサギ釣りを彷彿とさせる氷海でのホヤ取りの様子などが寂れた町の様子とともに収められていた。全体的にはやや明るめの印象があった。
 さて、本文に取り掛かる。前半はアラスカ、カナダと来て最後にDVDになったロシアの話になる。
 DVDから受ける印象と本文の印象はかなり違う。また描写している事象もかなり差がある。DVDの方が万人に受け入れやすく作ってある感じである。DVDは宮城県の東日本放送が開局30周年記念に製作したもの、ということで地方とはいえTV放送用のものである。
 同じものや人を取材してもTVとエッセイではかくも異なる。椎名自身、はしがきで「私自身いくらか戸惑っているのだが、本文を読んでいただいた方が極北民族の世界をより深く知る材料になれば、と思っている」と記している。
 犬そりのスピード感やアザラシ猟における狙撃の距離感などはたしかに映像の方が説得力があるが・・・。

 そうそう、それとアラスカではMのすごい蚊の話が出てくる。24時間とにかくまとわりついて完全武装の蚊帳のような服を着ていないと「死んだほうがまし」と思えるくらい刺されるらしい。アマゾンやオーストラリアでかなりの蚊の経験がある椎名も唖然とするしつこさである。カリブーは子供のカリブーを蚊から守るように行動するという。カリブーについて語る星野道夫の本には蚊についての記述の記憶がないが、どうだったのだろうか。

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高橋健司「空の名前」

高橋健司「空の名前」

 高橋健司「空の名前」を読んだ。というかめくって見た。
 ヤフオクにかなりの数が出品されており、その題名といいなんとなく気になっていた本である。地元の図書館のサイトで検索するとヒットはするが「係員におたずねください」となる。なんだろうとおたずねすると「この本は別の図書館に長期貸し出し中なのでここにはありません。別の図書館から借ります」という。希少本ならともかくまだ新刊で販売している本でもあり「なんでもいいから借りたい」と言ったところしばらくして借りることができた。地元の図書館のシールが貼ってあるので貸し出し先から回収したのか。
 と、読み出すまで時間がかかった。

 題名から想像するのは空や雲のいろいろな表情をきれいなカラー写真で集めた写真集を想像していた。が、ちょっと違った。
 たしかに雲や空、あるいは気象全般にかかわるカラー写真を集めているのではあるが、気象用語集と気象歳時記解説のような感じであり、上の右の写真のとおり、個々の写真はほとんどが小さい。日本気象協会に勤務していた個人が集めたものであり、かなり珍しい気象の写真もありその収集の努力と価値は認めるが、ぼく的には手元において楽しむ本ではなかった。

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魔法のことば―星野道夫講演集

魔法のことば―星野道夫講演集
 魔法のことば―星野道夫講演集を読んだ。2003年に刊行された講演集で10回の講演を収めている。
 一個人の講演集に「魔法のことば」とはかなり大胆だな、と題名を見て思った。

 アラスカとの最初のかかわり(北極圏の村への手紙と滞在)や鯨のブリーチング(海面に飛び上がる鯨の動作)を見た友人の感想、身近な自然と遠くにある自然、アラスカインディアン、エスキモーとモンゴロイドである日本人星野とのつながり、カリブーの季節移動、クマの冬眠の目覚め、クジラ漁など講演される内容はだいたい決まっている。
 最初の3つくらいを読んだあと、あまりに内容が同じなので少し飽きたが我慢して読み続けると繰り返し話される内容に慣れたのか、同じことが話されることが快感になってくる。内容を知っている落語やコントを何度も見るようで、ここでこう言うぞと期待する。 「なるほどこれが魔法か」と合点する。

 巻末に池澤夏樹がこれらを締めくくるのがなかなか良い。
 ただし、読んだのが初版だったとはいえ、八ヶ岳自然ふれあいセンターを2箇所も「山形県」とするなど初歩的な誤植が何箇所かあり興醒め。

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坂本直行「わたしの草と木の絵本」

坂本直行「わたしの草と木の絵本」は子供向けの詩集「サイロ」に寄稿された表紙の絵とその解説文をまとめたものである。アマゾンでは在庫切れになっているが版元の茗溪堂ではまだ購入できるようだ。


見開き2ページの構成で右に取り上げた草木の説明、左にスケッチが掲載される。短い文章のなかに草木の特徴やエピソード、北海道や全国での分布などを子供でも理解できる文章で綴っている。坂本がこれらの草木にいかに親しんでいるのかがよくわかり、好感が持てる本だと思う。


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星野道夫「未来への地図」

未来への地図―新しい一歩を踏み出すあなたに
 図書館で魔法のことば―星野道夫講演集の隣にあったので一緒に借りた。
 講演集である「魔法のことば」は友人の教師の依頼で中学校卒業式での星野の講演から始まる。この最初の講演の英訳と代表的な写真を一緒にした冊子が「未来への地図」である。
 星野がアラスカを目指したきっかけやアラスカで感じたことを高校生になる若者たちに素直に伝えた講演である。本を右からめくると日本語、左からめくると20年以上前のさびた英検2級でも(時々知らない単語に出くわすが)まあラクに読める英文。
 高校生くらいの人たちには美しい写真集としてもまたメッセージとしても、もちろん英文問題としてもちょうど良い本だ。

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トリノ山岳博物館「日本の山岳写真80年」図録

トリノ山岳博物館「日本の山岳写真80年」図録 本編
トリノ山岳博物館「日本の山岳写真80年」図録 日本語解説

トリノ山岳博物館「日本の山岳写真80年」図録を入手した。

 1998年にイタリア・トリノで開催されたこの写真展のことは、この写真展の写真提供者でもある杉本誠「山を愛する写真家たち―日本山岳写真の系譜」で知った。ヤフオクで1,000円で出品されていたので購入した。
 156ページの図録本編と28ページの日本語解説書のセットである。本編の解説は(たぶん)イタリア語なので読めないが、氏名や山名などの固有名詞をたどりながら見ていった。
 本編の最初は役の行者の富嶽草創の絵から始まる。

 写真は出品元が杉本氏なので、杉本氏の上記の写真集や高くて買えない「山の写真と写真家たち もうひとつの日本登山史」あるいは昨年田淵行男記念館で開催した「山 記憶と表現」展で見たものが多い。
 表紙の写真の人々はそのいでたちから、山岳巡礼の修験者のように見えるが、よく見ると帽子には花飾りがあり横顔が女性であるとわかる。本編を見ると彼女らは大正期の長野女子高等女学校の生徒たちであり、この時の校長が日本の山岳写真の最初を飾る河野齢蔵である。女性が山に登ることのなかった時代に校長の趣味で白馬岳に登らされた彼女たちはいい迷惑だったろうなあ。
礼文島地蔵岩 同じ河野の写真のうち、この図録で初めて見たものに礼文島の地蔵岩があった。中学の時にこの岩の下を通ったが高さ50mの岩が覆いかぶさるような迫力ですぐに走り抜けた覚えがある。
 植物学者の武田久吉のポートレイトはアーネスト・サトウの次男だけのことはあり、完全に外人の風貌・・・。ちなみにサトウとは「佐藤」ではなくスラブ系の苗字である。
「前穂高の東面」「雪煙を衝いて」
 この展覧会に出品されたもので有名なものとしては船越好文「雪線」からの2点、「前穂高の東面」(画像左)「雪煙を衝いて」(画像右に少しだけ)がある。
 田淵行男の代表作でもある「初頭の浅間山」が「新雪の鹿島槍ヶ岳」とともに収録さている。初期の黒部を冠松次郎に案内した宇治長次郎の朴訥とした風貌の写真もいい。 「初頭の浅間山」「新雪の鹿島槍ヶ岳」宇治長次郎

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安曇野の写真集その2



Photo & Essay 安曇野の風―常念岳の麓から中沢義直。98年刊行。いかにも山好きの地元の人が撮影した写真集である。いつもどこかで常念岳が見ている安曇野。範囲も本来の?狭義の安曇野にかなり限定している。画文集であるのでわかりやすい。


信州安曇野―山本建三写真集。92年刊行。最初の数ページを見ただけで上の写真集との違いがわかる。なんとなく街角を近距離で見ている。と、名前だけは知っていた著者のことをネットで調べてみると、ずっと京都を撮り続けている写真家だと判明、なるほど、これは京都の街角の視点なのだ。さすがにそれだけの人であり、なんとなく写真に威厳を感じるのは気のせいか。安曇野といいながらかなり広範囲が対象となっている。


安曇野花の四季―宮下済雄写真集。93年刊行。かなり狭い範囲かつ素人でも行ける場所を紹介しながらの花の写真集であり、特に碌山美術館周辺での撮影が多い。これだけ狭い範囲でもこれだけの表情が出せるのだと感心した。

 3冊とも良い写真集であるが、最初の1冊を除き撮影時期が古いので、もう少し最近の安曇野を伝える写真集を探してみたい。

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「坂本直行作品集」「坂本直行スケッチ画集」

坂本直行作品集
坂本直行作品集

「坂本直行作品集」は坂本の没後5年の1987年に刊行された氏の初の作品集であり、30cm×26cmの大型本である。坂本を画家として自立するきっかけをあたえた彫刻家峯孝、写真家兼本延夫らが所蔵家を訪ねて撮影、厳選した100点余りが収められている。
 坂本の妻、長男に加え、峯、兼本のこの作品集と坂本にかける想いもつづられておりなかなかよい画集となっている。
坂本直行作品集
坂本直行作品集

 代表的な日高の絵は油彩・水彩で多数あるし、晩年に出かけたヒマラヤや草花のスケッチも多く収録している。
 日高の絵がいいのはもちろんであるが、草花のスケッチがいい。
 坂本の草花スケッチといえば「六花亭」の包装紙にも採用されたが、実物の草花よりも暖かいような気がする。これをもっと見たくなる。
坂本直行スケッチ画集坂本直行スケッチ画集

 というわけで購入したのが「坂本直行スケッチ画集」。こちらは21cm四方とやや小振りであるが、259点のスケッチを収録。こちらは坂本の没後に実物のスケッチ集を初めて見た息子たちが埋もれさせるべきではない、と出版を決意したもの。1992年刊行。
 希少本で、AMAZONマーケットプレイスでは1万円以上する。
坂本直行スケッチ画集
坂本直行スケッチ画集

 草花のスケッチが全くすばらしい。作品ではないほうがのびのびと書いているのか、またコメントのせいもありむしろ作品よりも好ましく感じる。作品にはサインが入っているが、入っていないほうのほうがすがすがしく見える。
 画集には草花のみならず日高をはじめ北海道各地の山河のみならずヒマラヤのスケッチ帳の写真もある。季節ごとにまとめたスケッチの合間に、坂本の著書からの引用のコメントが載せられている。写真撮影は「作品集」をまとめた兼本。

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安曇野の写真集その1

 昨年の今頃は安曇野を訪ねた。というわけでもないが安曇野の写真集をチェック中。

穂刈貞雄「安曇野 アルプス山麓の四季」穂刈貞雄「安曇野 アルプス山麓の四季」
穂刈貞雄「安曇野 アルプス山麓の四季」。槍ヶ岳山荘の穂刈さんの写真集。96年刊行。アルプス山麓の四季の副題のとおり、北アルプスを意識した作りになっている。けっして山を中心の写真ではないが、いつでも山がある景色を感じるし、あまり素材に凝って芸術性に走るところもない好感の持てる写真集。巻末には町ごとの撮影ポイントの詳細な解説がある。

安曇野光彩

赤沼淳夫「安曇野光彩」。燕山荘の赤沼さんの写真集。赤沼さんは5年ごとに写真集を出しているようで、91年に「燕岳と安曇野-信州光彩」を出版、5年間で安曇野もまた変ったということでこの作品が96年、上の穂刈さんとたまたま同時期である。
 こちらはやや素材志向というか芸術志向。こちらもある意味、安曇野の典型的な風景であろうが、撮影場所の記載がないので安曇野の風景を探求し、その場所に行きたいという人にはあまり向かないかも。
安野光雅 安曇野安野光雅 安曇野
安野光雅「安曇野」は81年刊行。安野光雅を最初に知ったのは昔、旧第一勧銀の通帳だったかな。で、当然この本は写真集ではなく絵である。ただし画文集という感じで上の右の写真のように見開きで右にエッセイ、左にスケッチとなっている。安野光雅その人が山を知らないわけではないようだが、山のスケッチを見たときにその山があれだとわかる書き方でないとどうもいまいちに感じる。エッセイはなかなか良いのであるが・・。

上高地・安曇野―輝ける大地の自然と人
上高地・安曇野―輝ける大地の自然と人 大町山岳博物館編は写真集ではないが、面白そうなので手にしてみた。まだ読んでいる最中・・・。どちらかというと北アルプスを中心にした歴史的な解説が多いが、けっこう読み飽きているはずの明治大正期の上高地の話なども知らないことが多く、面白く読める。


旅 安曇野・北信濃

旅 安曇野・北信濃は97年刊行の旅行ガイド。図書館で上の「上高地・安曇野―輝ける大地の自然と人」の横にあったので借りてきた。文庫本サイズで期待していなかったが、ほぼ全部が写真集である。範囲も北信濃を含めているため広範囲である。安曇野編は、安曇野 花紀行、アルプス展望、上高地・奥上高地、安曇野風情とテーマが分かれ小さいながらもなかなか立派な写真が多い。ただし安曇野よりは上高地や北アルプスでの写真が多い。安曇野のスタートが、ウェストンが絶賛した保福寺峠から始めているのも作者の思考の表れだろう。

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星野道夫 長い旅の途上


星野道夫 長い旅の途上
星野道夫 長い旅の途上は単行本が99年、文庫版が2002年の刊行。星野の遺稿集である。遺稿集のためすでに公表済みの文章が重複して収録されており、星野の著作をそれほど読んでいないぼくでも1/3くらいは読んだ記憶があった。また星野自身も、キーとなるいくつかの思考やエピソードは何回か別の場所で語っており、そのせいもある。
 5月4日に「星野道夫」の写真展に行ってきたが、その時写真の横に置かれた短いメッセージの多くはもちろん彼の著作からの引用であるが、実はそのうちのいくつかは星野自身ではなく、彼が出合った人々の言葉であることが本書を読むとよくわかる。

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坂本直行「雪原の足あと」

坂本直行 雪原の足あと

「雪原の足あと」は1965年刊行の坂本直行の画文集である。版元の茗溪堂で1975年復刊分が購入できるようだ。昭和32年刊行の「原野から見た山」以降のエッセイが主体であるが、前作よりも今回の方が同じ北海道でもより広範囲になっている印象。
 刊行の昭和40年は坂本はすでに開墾生活に決別し、画家に専業しており、その気持ちの差がゆったりとした紀行文ににじみ出ている。多くは山や動植物にかかわるエッセイであるが、書名となった「雪原の足あと」は開墾生活に決別するにあたっての挫折感がにじみでるやや悲痛な文章である。この短文だけではうちにこめられた意味がわかりにくくまたそのように書いたのであろうが、「開墾の記」を読んでいるとそこが見える気がする。

坂本直行 雪原の足あと

 とはいえやや重いのはこの一文だけであり、その他は、特に友人との山行紀行はいつもながら楽しい。また「原野から見た山」よりも大きなB5になったこと、カラーが多いことから画集としてもかなり良い。(「原野から見た山」も茗溪堂で復刊中のものはB5)

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日高山脈の写真集4冊

日高山脈の写真集を4冊見てみた。以下、刊行年順。

日高・夕張・増毛
 山と渓谷社 日本の名峰3「日高・夕張・増毛」。87年刊行、1,700円。山と渓谷社にはこの「日本の名峰」シリーズと、後述する「日本の山と渓谷」シリーズがあるが、前者はコースガイド中心、後者はより高価でプチ写真集となっている。
 前者の1シリーズとなるこちらは大きさの割りは写真は迫力があるが、いかせん、編集というかレイアウトが全然わからない。いくら近接の地域とはいえ、日高・夕張・増毛の3つの山がランダムに登場してくるのでわかりずらいのが初心者にとっては最大の難関。

日高連峰
 梅沢俊日高連峰。93年刊行のヤマケイの山渓山岳写真選集の1冊。大型本(A4縦)。写真集としてみた場合、この記事の4冊の中で一番良い。写真はほとんどすべてが見開きで印刷もよく、構図も良く、風景以外の素材もいい。逆にぼくのような日高初心者には撮影対象や撮影場所の同定がかなりやりずらい。巻末の撮影データのコメントに多少の記載があるが、わからない山が多くて残念。巻末に5コースのガイドがある。定価2,900円。中古も2,000円くらい。

日高連峰 伊藤健次日高連峰。ヤマケイの日本の山と渓谷シリーズの1冊である。2000年刊行。1,900円。ちなみにこの2巻「大雪山」は上記の梅沢が担当。87年刊行の上記「日高・夕張・増毛」と比較するのは無理があるが、2000年刊行のこちらはハードカバー、折込パノラマを含めかなり上質の本である。価格が87年の1,700円に対しこちらが1,900円は納得できる。この本は目次のあとに写真ではなく、坂本直行のエッセイ「楽古岳の便り」が「原野から見た山」から転載されている。巻末には坂本と伊藤秀五郎(「北の山」の作者)の話、動植物等の記載があって、最後にわずかにコースガイドとなる。ガイドとしては不十分だろうが、写真集としてはなかなか良い。

遥かなる山並み 日高山脈 市根井 孝悦 遥かなる山並み 日高山脈。これも山と渓谷社。2001年刊行。3,800円。こちらは横開きのパノラマ向きの写真集であり、A4横開きの写真はなかなか見ごたえがある。山域や動植物等の解説も最小限付いているが、ヤマケイのこの横長シリーズはどちらかというと個人写真集のイメージが強く、写真集としてはすばらしいが総合的ではない。気に入った地域のコレクションのひとつとしては良い。

1冊だけ選べといわれると初心者にもやさしい総合写真集という意味で伊藤健次の「日高連峰」かな。

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