伊藤正一「定本 黒部の山賊」

伊藤正一「定本 黒部の山賊」
 北アルプスの雲ノ平と言えば、伊藤新道の伊藤正一さん。昭和39年に刊行された「黒部の山賊」が定本となって2014年に出版された。表紙は一目でそれと分かる畦地梅太郎の版画。1923年生まれの伊藤さんは90歳を超えるがまだまだ元気。高瀬ダムによってバスもなくなり、廃道になってしまった伊藤新道の復興をまだ狙っている。
 そんな伊藤さんが黒部源流地域を開拓した昭和20年代から30年代初頭にかけての山賊(猟師)たちとの交流録である。彼らがあの水平歩道(旧日電歩道。今は立山黒部アルペンルートになっている資材運搬用道路を作るためのそのまた資材運搬道路の一部 )を開削したそうだ。足元は200mの絶壁で歩くだけでも怖い道を鑿だけで開拓できたのは彼ら以外には居なかっただろう。あれがなければ黒部ダムもできなかったわけで、下界では暮らせない彼らが下界で使う電気の元を作ったわけだ。
 副題に「アルプスの怪」とあるようにここには科学では説明できない怪奇現象や超常現象も多数収録されている。
 人の3,4倍の速度で山を歩き、カモシカ1000頭、クマ300頭を仕留め、歩きながらイワナをどんどん釣り上げる山賊たち。初期の雲ノ平と黒部源流の景色が行ったことのない人の頭にも思い浮かんでくる。

 本書は名著の復刻なので、その後に発生した事件にはあとがきなどでも触れていないが、伊藤さんが経営する山荘のひとつ三俣山荘については、以前林野庁との間でトラブルがあり、一時は山荘撤去の危機にあったことを記憶している。山荘側の主張であるが、主な内容はこちらに記載されている。

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山と溪谷 田部重治撰集

山と溪谷 田部重治撰集
「新編 山と渓谷 (岩波文庫)」の電子版かと思ってkindle版を購入したら、底本が違った。編集者によるあとがきを見て初めてわかった。どおりで全く記憶にない文章が多かったわけだ。おかげでゆっくり読むことができた。
 それにしても昔の人の足の速いこと。上高地を未明に出発して槍ヶ岳日帰りなんてことを登山道もなく梓川を遡行しながらやっている。しかも、それは靴ではなくて草鞋のおかげだという。当時の靴がどんなものかわからないが(草鞋も当然知らないが)。
 剱岳や鹿島槍には何度か案内人の長次郎を伴っている。長次郎谷に名を残すあの長次郎である。彼の岩場や雪渓での間違いのない見極めには田部も感嘆しきり。長次郎谷の隣にある平蔵谷は当然、佐伯平蔵が開いたためと思っていたが、実は長次郎のほうが早かったという。

新編 山と渓谷 (岩波文庫)

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志水哲也「日本の幻の滝」

志水哲也「日本の幻の滝」
 先日読んだ著者の「生きるために登ってきた」で存在を知った写真集「日本の幻の滝」を見てみた。
 知床、白神、飯豊、奥利根、尾瀬、菅平、立山、剣沢、大台ケ原、屋久島の滝をテーマにした写真集である。 観光客が歩かずに見られるのは立山の称名滝と船から見られる知床の滝あたりだろうか。ぼくも大昔、観光客のひとりとして称名滝と知床の滝を見た事実は覚えているが、その時の印象などはすっかり忘れている。
 直前に読んだ「生きるために登ってきた」の中でこれらの滝を撮影するための苦労が書いてあり巻末の解説にも掲載されているので、ぼくのような沢の素人が見てもプラスアルファの楽しみがある。
 
 水量豊かな表紙の滝は尾瀬の三条の滝。雪解け水を集めた最盛期の落差130mの滝の様子である。
「三条の滝に比べたら、日光の華厳の滝なんて、子供だましだね」と父が昔よく言っていたのを思い出す。華厳の滝は落差97m。あれより高さが30mも高く、幅は何倍もある。
 そういえば華厳の滝も小学校の修学旅行で見ました。

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志水哲也「生きるために登ってきた――山と写真の半生記 」

志水哲也「生きるために登ってきた――山と写真の半生記 」
 1965年生まれの志水哲也、執筆当時(2011年4月)は40代の後半。
 彼の著者や写真集は2006年ごろ良く読み、その著書と写真集のいくつかは(珍しく)今でも手元にある。
 氏の山や黒部に関わるきっかけの話は、 「大いなる山 大いなる谷」「黒部へ―黒部八千八谷に魅せられて」などでも一部が語られているが、本作は「半生記」とうたっているだけに幼少の記憶から、高校生の頃、当時の最長の列車「富士」で逃げ出すように西鹿児島(今は鹿児島中央という)まで行きそのまま屋久島、夏休みに南ア全山縦走、北ア全山縦走、そして岩へ、雪へというクロニクルが続き、黒部に至る。前半はその大胆な山行スタイルとは逆に(いや、だからこそか)とても暗い気持ちでいる。もちろん山では至福を感じるときはいくらでもあるが、「このあと、自分は何をすればいいのか」と常に悩んでいる。その姿は基本的には今も続くのだが、山ではなく写真を選び、写真のために地元に住み、出版のためにいろいろな人との交流が始まっていく。
 その頃、NHK「黒部 幻の大滝に挑む」などで徐々にマスメディアでも活躍をし始め、ぼくもその頃から彼の活動を知ることになり、氏の著作や写真集を眺めることになるのだが、その後の活動は知らなかった。

 その後、白神、知床、屋久島(たまたま世界遺産)に的をしぼり、執筆当時は小笠原(のちに世界遺産)にも乗り出す。「厳しい山の写真だけでは写真集ではなく記録集だ」と写真集を最初に出そうとしたころに編集者に言われて、山だけでなく森や花、動物にも目を向けていく。
 刊行が2011年4月であり、東日本大震災、原発事故の直後でもあるため、あとがきに当時の生々しさが残るが、本書の前半で「死んでも登る」が信条で、「よく死なないものだ」と思わせた彼の歩き方が、歳を経るごとにだんだんと死の臭いよりも生の輝きが出てくるのに安心した。

 彼のWEBサイトを見ると、あのすばらしい写真が額装の全紙で5万円で購入できる・・・。

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改訂新版 カシミール3D GPS応用編 刊行記念

わたくしもほんの少しだけ載っけてもらった「改訂新版 カシミール3D GPS応用編」が5月28日に刊行されました。
その記念というわけではないですが、久しぶりにGPSのページを更新しました。

更新したのはGoogleEarthやGoogleMapsにログを掲載する方法で、知っている人には当然ですが・・・。これも最初にカシミールとGPSをつないでログをPCに落とせるから可能なのであって、カシミールはGPSのポータルになっているなあ、と実感した次第です。


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改訂新版 カシミール3D入門編

改訂新版 カシミール3D入門編
 あの、「カシミール3D入門編」が8年ぶりにリニューアルした。詳細はこちら
 新旧を見比べてみると構成に大きな変化はないものの、Windows7への対応など時代の変化を反映しているほか、旧版ではカラーとモノクロが混在だったものがカラーに統一され見やすくなった。記述構成には変化はあまりないが、記述量は旧版148ページに対して新版は192ページとかなり増えており、初心者により優しい入門書になるとともにGPSに心拍計の話題が登場するなど、特にGPSに強いカシミール3Dの片鱗も見られる(偉そう・・・)。

 そして付属地図もリニューアル。
 従来の、50mメッシュ(全国)、20万分の1(全国)、5万分の1(関東甲信越)に加えて新たに、2万5000分の1(関東甲信越)が収録された。
 2万5000分の1は地図の基本になるためデータも新しいことが多い。例えば5万図だと上高地手前の安房トンネルは記載されていないが、2万5000ではちゃんとトンネルがある。今回収録された地図と旧版の地図を比べると、例えば東京近郊の圏央道は旧では日の出IC止まりだが、新は八王子JCTで中央道に接続している。
 というようなこともあり2万5000分の1地図は重要なのだ。
 (ただし幹線道路の情報は山の地形や登山道の更新頻度が違うので、新しい地図だからといって登山道も同時に修正されているわけではない。念のため)

 最近は地方のホテルでも客室にLANが装備されネットに接続できることが多いが、出張のおりに近隣の景色をカシミールで描くことを密かな喜びとしている人(誰のことだ・・・)には、オフラインでも使える地図データが新しくなったことはありがたい。
「GPSマスター編」など2冊の続編も収録地図ともども順次リニューアルしていってほしい。

 P.S 新版111ページに拙作ソフトの紹介がありました。Windows7での稼働確認してませんが・・・。

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沢野ひとし「山の時間」

沢野ひとし「山の時間」
 イラストレータの著者が雑誌「山の本」に連載したもののまとめ。著者の心に残る山の思い出を綴ったもので、単なる山紀行ではなく、著者の思いが強い。
 椎名誠の古くからの友人である著者の本のテーマは、山か女性(完全に私小説)しかなく(交友関係は椎名誠が書いているので)、山の本でも女性を引きずっていることが多いが、この本は「山の本」に連載したものだけに、女性絡みは少なく、むしろ自分を山に導いてくれた兄やいつの間にか自分を超えてしまったもと不良の息子など家族についての思いが多い。
 とはいえ、じめじめしたものではないし、著者自身のスケッチもシーナ本にあるような意味不明なイラストではなく、相応にまともなスケッチでリラックスして読める本である。

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エーデルワイス写真集「わが心の山」

箱
 「岳人」2008年10月号の「備忘録-語り残しておきたいことども」は写真家・三宅修だった。
 その中でエーデルワイスシリーズの写真集「わが心の山」の出版経緯について語っていたので、グラビア写真しか眺めていなかったこの本を読んでみた。
 この写真集は発足間もない日本山岳写真集団が1968年に刊行したもので、三宅はそのとりまとめとして巻末に刊行の経緯と掲載した写真家を紹介している。白籏史朗をはじめ三宅を含む1930年代生まれの当時の若手写真家8名による写真が数点ずつ掲載されている。
 いずれもその多くか日本を代表する山岳写真家のものだけあって、写真集は小振りながらも見応えがある。

 加えて、串田孫一、尾崎喜八、深田久弥、新田次郎、上田哲農、辻 一、山口耀久、最後には武田久吉が自らの「わが心の山」についての散文を掲げている。人により哲学的に山を思う人や失敗談などいろいろあるが、個人的には武田が最初に尾瀬に入った紀行が大変おもしろかった。武田久吉はご存じのとおり幕末の外交官・アーネスト・サトウの息子であり、植物学者。尾瀬の植生に興味をもち、その研究と保護に尽力した登山家である。「はるかな尾瀬」のころはまだしも、今や予約をしないと小屋にも泊めてもらえない人気の尾瀬の探検時代の紀行を武田は淡々と綴り、最後に心の山といえば尾瀬がそうなるだろう、と結ぶ。いかにも武田らしい沈着冷静な文章である。

 さて、「備忘録」には、名取洋之助の「つまらない山岳写真」の話も出ていた。
 これは1959年「山と高原」に掲載した当時国内トップを争う写真家・名取が山岳写真をばっさりと切り捨てたものである。1959年といえば山岳写真ではすでに白川義員が「白い山」を出し、田淵行男も1955年にデビュー、横田祐介などの若手も活躍していた、山岳写真のひとつのピークの時代らしい。
 これについての評価は杉本誠「山の写真と写真家たち」によれば、若手が反発、中堅がふらふら、長老が傾聴という感じだったようで、当時若手であった三宅も反発した口。ただし当の名取は実は山好きで、田淵行男や白川などきちんとした写真については評価していたこともあり、その後の山岳写真史の中ではやはり名取の勝ち、という印象になっている。
 「備忘禄」では三宅は「「山岳写真家である以上に山登り屋だ」というのはいけないことですかね」、とのみ反論している。

 最後に、最近のデジカメについてのコメントがあり、ふだんメモ代わりに持ち歩くのはリコーのカプリオで、28ミリから200ミリ相当のズーム、1センチまでのマクロ、手ぶれ補正機能が便利だと言っている。ぼくのR6もそうなんだけど、どのバージョンかな。

白籏史朗・黎明

左:三宅修・高原/霧ヶ峰、右:内田良平・雪稜/剣岳

山の本

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中村清太郎「雲ノ平と黒部五郎」

雲ノ平と黒部五郎

 深田久弥「日本百名山」の黒部五郎岳の項には「もし、それぞれの人に、こころの山というものがあるとしたら、中村清太郎さんのそれは黒部五郎岳に違いない。画伯は中学生の頃、すでに白馬の頂上から笠ヶ岳に似たこの山を遠望して、非常に惹かれたという。」という記述があるが、この出典が分からなかった。中学のときに白馬岳から眺めたというくだりである。
 氏が最初に黒部五郎に登った記録である「越中アルプス縦断記」では「自分はこの山が実に好きで耐まらないのである」という記述があるが、白馬から見たという記述はない。

 氏は画家なのでもともと著作物は少なく「山岳礼拝」にほとんどの著作が収録されているが、それにはそのような記述はない(と思う)。もっとも深田久弥は双六小屋で毎日雲ノ平まで行って黒部五郎を描いている中村清太郎に会っているので(「日本百名山」)、その時に氏から直接聞いたのかもしれない。

 そんな会話もあったのかもしれないが、それは別として、出典らしきものが見つかった。「岳人」昭和32年8月号に収録された「雲ノ平と黒部五郎」という中村清太郎の絵と文である。

 残念ながら当時の出版物ということで絵もモノクロであるが、その下に短い文章が寄せられていた。その中で「私がこの山に惹かれた初めは、中学生の頃、白馬から遠望した時で、」とある。さらに「山名も私が選んだもの。」という記述があった。
 これは上記の初登頂のときに山頂でこの山が「中ノ俣岳」という呼称があることを知るが、以前に嘉門次に聞いた「黒部五郎岳」がふさわしいと思い、「越中アルプス縦断記」をこの名前を登場させてからこの名称が広まったことによる。

 実は、これが書かれているかもしれないとこの本(「岳人」昭和32年12月号)をヤフオクで買ってみたのだが、あたりだったので嬉しい・・・。

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服部文祥「サバイバル登山家」

サバイバル登山家

服部文祥「サバイバル登山家」を読んだ。
 1969年生まれだから刊行時(2006年)は37歳。

 電池で動くヘッドランプや時計を持たず、テントはタープのみ、食料は米と調味料以外は現地でイワナや山菜を調達することを基本に歩く。フリークライミングからの発想でなるべく自然に近い形で山を歩く、というのがサバイバル登山らしい。表紙の写真で著者がかじっているのはイワナをおろすシーン。

 南アルプスをこの形で歩いているが、日高全山縦走では、ラジオを持ち込み天気予報はチェックしている。
 日高全山のレポートは最近、志水哲也「果てしなき山稜」で襟裳岬から宗谷岬までの一部として読んだが、志水のやり方は背負えるだけ背負い、食料がなくなれば下山して食料を調達してまた下山地点から入山するスタイル。服部のは基本的に入山したまま。米は多少はあるが、基本的には山菜とイワナで過ごす。だからいつもおなかがすいている。イワナがメインディッシュなのでそれを釣る時間もかかるし、燻製にして持ち歩けるとはいえ、イワナがいない、あるいは釣れないコースには行けないだろう。貴重なイワナをわざわざ食うな、という意見もある。楽しいのかねえ。

 一方、同じ本に収録された冬の黒部横断など厳冬期にはもちろんこの手法はとれない、こちらはサバイバルよりは初登攀が目標。日本の山で未登攀なんてあるのかと思ったが積雪期の尾根単位だとまだあるようだ。まあ、こちらも厳冬期の悪天候下の初登攀ということで、なんか楽しいんだろうか、という感じ。

 クライミングや高所登山を別とすれば、国内の山を歩くだけで飯の種にするにはこういう異彩を放たないと無理なのだろうな、と思う。志水哲也は黒部の写真という材料を見いだし、登山ガイドと山岳写真家の二足のわらじを履くことになったが、この著者はどうするのだろうか。

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