「もうひとつの劔岳 点の記」

もうひとつの劔岳 点の記
 「もうひとつの劔岳 点の記」という題名に惹かれて読んでみた。
 前半は映画の宣伝のようなもの。撮影スタッフの日記、撮影を支えた山小屋やガイドの対談、原作者新田次郎の娘、藤原咲子の談話など。
 がっかりしながら後半に入るとちょっと面白い。
 最初が野々村邦夫(元国土地理院理事長、「タモリ倶楽部」に地図マニア(当然)としても登場)による測量や三角点の話に始まり、自らが図化した剱岳の標高の話。この中で野々村さんは剱岳の標高を2997mとしたが、公表された数字は柴崎(点の記の主人公の測量士)が計算した2997m。それ以前は3003mとされていたがなぜそうなったのかは野々村さんも知らないという。ちなみにGPSで測定した現在の標高は2999m。
 次に本編ともいえる測量登山の謎。これは柴崎はいつ登ったのか、長次郎は登ったのかどうか、という話。映画や小説ではふたりは堅い信頼感のもと初登頂を成し遂げるが、どうも事実はかなり違うという話。
 さらに小島烏水のこと。
 この本で木村監督が映画での最後のシーン、手旗は創作と述べているが、小島烏水たちが剱に登ったのも同時期ではなく2年後であるが、そんな小島がサラリーマンの傍ら年に1度の2週間の休暇での登山や山岳会設立までの奮闘を近藤信行さんが解説している。
 最後に立山信仰の歴史の解説のあとに山と渓谷社らしく剱岳の写真と登山ガイドを数コース。

 読むべき箇所は後半だろう。前半は映画のWebサイトでも見ていればいい。

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「日本の地名遺産「難読・おもしろ・謎解き」探訪記51」

今尾恵介「日本の地名遺産「難読・おもしろ・謎解き」探訪記51」

 地図おたくであり、テツである今尾さんは年齢も出身も同じで現在の住まいも割と近い(隣の市だが)ことに加え、今ほどTV(NHKとかタモリ倶楽部とか)に出ていなかった頃には内輪の講演会で本にサインをもらったりしたこともあり、著書を見つけると手に取っている。
 ビジネス誌「東洋経済」7月4日号の特集「鉄道進化論」では鉄道関連の書籍の傾向として2冊も今尾さんの本が掲載されていた(題名だけだけど)。

 そんなテツであり地図おたくの今尾さんが地図を眺めていて気になった面白い地名をたどるというのが本書。う~ん、前段で持ち上げたんだけど、今尾さんはけっこう文章下手なんだよね。もともとは雑誌の連載だから文字数とか制限があるのだろうけど、もうすこしメリハリの文章を期待する。なかにはなかなかの文章もあるんだが、どうも時系列に事実を羅列する傾向で読みにくい。あまり細部のできごとにこだわらずにスポットを絞った書き方にすると良いのでは。

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「富士山を汚すのは誰か―清掃登山と環境問題」

富士山を汚すのは誰か―清掃登山と環境問題
 野口健「富士山を汚すのは誰か―清掃登山と環境問題」は、とても真摯な本である。
 
 この本を読んだきっかけはネットで「野口健はこの本では富士山の世界遺産登録について積極的ではない」というような書き込みを見たためだ。
 世界遺産そのものはいいものだろうが、それに踊らされて登録運動を行う日本人の習性が好きではない。日本人にはこういう傾向が多い。百名山然りと、この本で野口も書いている。

 エベレストで日本隊のごみや富士山の汚さを知らされ、気持ちが定まらぬまま「エベレスト清掃登山をする」と宣言。前半はこのエベレスト清掃登山の話である。通常の登山よりも高所に長時間滞在したことが原因で自身も体調不調となるほか、大切な同胞であるシェルパ3名を亡くしてしまうが、シェルパ仲間に励まされ当初予定どおり4年間の清掃登山を完了し、その活動が知られるにつれ他国の登山隊もゴミを出さない方法になったきた。
 一方で、富士山といえば厳冬期しか知らなかった野口にとって夏の富士山の汚さは衝撃的だった。
 富士山のゴミは、1:夏期に集中する大量の登山者のゴミ(屎尿を含む)、2:青木ヶ原樹海を代表とする不法投棄、3:五合目付近を中心とする観光バス、交通渋滞、排気ガスの問題に分けられる。これらの解決に野口は乗り出して行くが、富士山を巡っては山梨県と静岡県が仲が悪く、また市町村間も仲が悪い。これらについてどのようにあたったのかの具体的な記述はあまりないが、きっかけとして、石原都知事や小池百合子環境大臣(当時)がすぐに動いてくれたことを感謝の念をもって記載している。都知事や環境相に直接訴える機会を得られるだけの実績を彼が作ってきたからこそだろう。

 野口は最近TVのバラエティ番組などにも出ているが、正直あんまりぱっとしない。が、最初のTVコマーシャルであるネスカフェで清掃登山を訴えてからスポンサーを得られるようになったことから、あらゆる機会でメディアへの露出によりメッセージを伝えようとしている。

 尾瀬のように大部分が一つの企業が所有しているとか白山のように信仰に守られた山でもないから、汚さないためには、ヨーロッパのように登山電車を整備して自動車を閉め出すか、入山規制をするしかないだろうなというのが野口の考え。

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写真と地図で読む!帝都東京・地下の謎

写真と地図で読む!帝都東京・地下の謎

 同じ著者のネタ本「帝都東京・隠された地下網の秘密」の文章や構成が稚拙で写真ならわかるだろうと読んでみたのだが・・・。
 この人、本当にマスコミにいたのかと思うくらい文章が下手。写真や図解に頼ったせいか、ネタ本以上に読みにくく、いきなりこの本を読むと、著者が何を疑問とし、どのような経緯と資料のもと、どのような推論を得たかが全く意味不明。
 ここまでわかりにくい文章だと、そもそも出版社の編集は何をチェックしていたのかとか、それとも著者は異様に傲慢な奴で編集者の意見を頑として聞かない奴なのかとかいろいろ思う。

 そういえば「自転車をめぐる誘惑」について書いたときに、珍走族的指向になった知人のことを書いたが、その後、その知人が「(でかい高級車なので)ウィンカーを出さなくても車線変更ができるのがうれしい」と言っていることを知り、本当に珍走族になったなと思った。もちろん彼も他人の意見を聞かない人である(で、もちろん本人はそう思っていない)。

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吉田初三郎のパノラマ地図

吉田初三郎のパノラマ地図別冊太陽の「吉田初三郎のパノラマ地図―大正・昭和の鳥瞰図絵師」を眺めた(読んだではない・・・)。定価2400円のムック本だが、2002年刊行の絶版でもあり、マニアがおられるようでAMAZONでは4000円で出ている。

表紙は犬山城と日本ラインの風景が描かれる。


見開きは三保の松原と富士山


軽井沢にはテニスコートも


今は日本人は行くことができない金剛山(上)と、下に平壌


今尾恵介「多摩の鉄道沿線 古今ご案内」の表紙の京王閣から多摩御陵も健在


裏面は京王閣


異色の鳥瞰図としては関東大震災と


広島の原爆投下もある


巻末は日光から塩原までの鳥瞰図。右端は華厳の滝



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村上春樹「1Q84」【ネタバレあり】

村上春樹「1Q84」
村上春樹「1Q84」

【ネタバレあり】
 村上春樹「1Q84」は、現実の1984年とどこか違う世界である。それに気がついたヒロイン・青豆は「1Q84」と呼ぶ(QはQuestion 等の意味)。
 青豆は最初に1Q84年に踏み入れたに違いない渋滞の首都高3号線の三軒茶屋付近に向かい1984年へ戻るための入り口がないことを確認すると自らのルールに従った行動をとり青豆の物語はそこで終わる。
 しかし物語はその後の天吾の最後のエピソードで空気さなぎの中にいる10歳の青豆を天吾が見つけて希望を持つシーンで本当の最後が終わる。
 今までの村上春樹なら青豆のエピソードで終わりそうだが、最後に(ふかえりが予言したとおり)空気さなぎを登場させるところが違うなと感じた。甘いとも言えるし、逃げているとも言える。
 リーダーが青豆に語ったことが真実であれば1Q84の世界では青豆と天吾は同時に生きられないのだから、実は天吾の希望は全く望みのない希望であるとも言える。しかしリーダーがいなくなり代役が見つかるまでの当面はリトル・ピープルは活動できないのだからたとえそれがマザではなくドウタだとしても青豆は生きることができるかもしれない。

 そういういくつもの展開を考えられるのが今回はとても面白い。

 それと宗教の話をすればリーダーであるふかえりの父はその親友でありふかえりの保護者でもあるセンセイに言わせれば絶対に宗教を認めない唯物論者であったはず。しかしリーダーは特殊な能力を娘のふかえりによって授かったためにやむを得ず宗教のリーダーになっていく。善良で信望があり穏健的な運動家もある啓示により狂信的な宗教の中心に居る。彼の意思とは無関係に。
 新興宗教の信者一家に育った青豆は休日のたびに家族に引き回される布教活動が嫌いだったし、そのために友達も出来なかった。それで家も出た。しかし彼女の強靱な精神とそれをもとに鍛錬した肉体は宗教ゆえの禁欲的な生活のおかげであるのも否定できないと彼女は思う。そして何よりも自分のルール遵守を重んじる彼女は彼女らしいやり方で納得して最後を迎える。
 ただし、リーダーも青豆も本人の精神世界はどうあれば外から見れば破滅である。それでもありていに言えばそんなことは本人がよければ余計なお世話なのかどうか。

ネタバレのインタビュー記事 

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村上春樹「1Q84」【ネタバレなし】

村上春樹「1Q84」
村上春樹「1Q84」

【ネタバレなし】
 一応小説はすべて読んでいるが、初日に売り切れ続出のニュースを見てその存在を知ったのが村上春樹「1Q84」。どこのサイトも売り切れで紀伊国屋BOOK WEBだけ在庫があったので購入したらその後にBOOK1が売り切れたのでもう少し待ってくれとのメールが来て、6月17日に入手、この週末は出張だったのでようやく今週になって読んだ。書評やネットでの感想の予備知識は全く入れなかった。ただAMAZONでの星の数が5つではなく4つであるのはどうしても目に入ったが。

 村上春樹にしてはわかり易く、読みやすい。特に村上特有の出だしのわかりにくさがない。村上(だけではないんだろうが)得意の二人の主人公を交互に描いていく流れは、少なくともBOOK1の途中までは、このふたつの物語がどのようにリンクしていくのかと思わせ、かつそれぞれのエピソードの終わりがいかにも連続もののTVドラマのように次のエピソードへの期待を残す。
 最初に登場する主人公のひとりはとてもスマートだし、もう一人の主人公も自由であり、どちらをとってもこういう生き方もありかなと思えるすがすがしい人たちである。脇役も一部を除けばかなりスマートであり、読者の心を少しだけ豊かにする。

 ここでひとつのモチーフは宗教であり、そのひとつのモデルはオウムであろう。彼のオウムへの関心は「アンダーグラウンド」「約束された場所で」でも明らかだ。
 しかしこの作品では宗教を悪とはみなさず、精神形成の一部として評価する印象がある。村上春樹も何度もノーベル賞が噂され、いかに日本語圏以外で読まれるか、翻訳されるかということを意識しているのだろうか。日本語圏以外の多くの国では日本語圏よりも宗教の力や習慣は侮れないから。

 そのようなモチーフにも関わらず、この物語のエンディングは主人公のいずれの立場にたってもいくつかの解釈が可能であり、賛否両論で出そうな作品であるが、読後感はなかなかよかった。

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日本の鉄道 車窓絶景100選

日本の鉄道 車窓絶景100選
 今尾恵介、杉崎行恭、原武史、矢野直美「日本の鉄道 車窓絶景100選」は、完全に乗りテツ向けの会談集。「日本鉄道旅行地図帳」に掲載する車窓絶景100選の選考過程を本としたものである。
「日本鉄道旅行地図帳」の監修が今尾さんなので彼がテツであることは知っていたし、鉄道にまつわる彼の本もいくつか読んでいるが、今尾さんはかなり凄い。4人の乗りテツはみなそれぞれ大したもんだし、原せんせいは講談社「本」で「鉄道ひとつばなし」を連載しているので、その文化的な乗りテツぶりも知っているが、今尾さんの場合、路線と区間を言えば、どんな光景でどこを曲がると何が見えると(まるで自閉症の異常な記憶力のように)よみがえってくる(きっとその傾向はあるだろう)。

 まったく鉄道も景色も知らない人が読んでもちんぷんかんぷんだが、多少なりとも地理がわかっていると乗りテツでなくても十分楽しめるように、発言者が細かい補足をしている(か、編集したのだろう)。
 一往復本(通勤電車1往復分で読めてしまう程度)。

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秋庭俊「帝都東京・隠された地下網の秘密」

帝都東京・隠された地下網の秘密
 秋庭俊「帝都東京・隠された地下網の秘密」は、よくある都市伝説の本ではなくて、けっこうまじめな本のようだ。
 地下鉄の歴史を見直したい鉄オタにもおすすめかもしれない。
 マスコミに居たとは思えない文章の下手さを別にすれば個人でよく調べました、パチパチというところ。
 関東大震災での後藤新平の東京再興は地上についてはよく語られる話であるが、第一次大戦でのドイツ軍によるロンドン空爆を発端に地下への備えを軍部が中心にしてきた、という話はうなずける部分も多い。
 特に霞ヶ関界隈の地下鉄をよく利用していた自分にとってはなるほどと思える部分も多い。

 もう少し文章と構成をまとめたらもっと良い本になったのではないか。特に調査結果である事実とそれから類推した事項、さらに類推した事項を前提とした仮説・想像という分類がほしい。ここまではたぶん事実であとは読者にも想像できる余地を残しておかないと、全部嘘あるいは思い込みと見られる。

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堀江敏幸「未見坂」

未見坂
 4月に予約した堀江敏幸「未見坂」の順番が回ってきたので読んでみた。きっかけはネットで読んだこの書評だったような。
 書評の内容も予約した経緯もすっかり忘れていたが、読んだ後でこの書評を読むとなるほどと思える部分が多い。
 短編集である。
 どの登場人物も家族が主体であり、しかもその家族は完全ではない。片親が亡くなっていたり、いい歳をして独身だったり、両親が不仲だったり・・・。そんな境遇ながらもなんとなくほっとする話が多くいずれも読後感が良い。2作めの「苦い手」は上司が酔った勢いで押しつけられた電子レンジを45歳独身の息子が母と暮らす家に持ち帰り初めて母が電子レンジを使ってみるというだけの話であるが、最後のページではなぜかジーンとくるものがあった。
 ちょっと不幸な家族を題材にすると感動作を作りやすいだろうし、文学としては常套手段かもしれないが、しつこくないところがいい感じである。東野圭吾ではこうさらりとはいかないだろう。

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遠山美都男「壬申の乱―天皇誕生の神話と史実 」

壬申の乱―天皇誕生の神話と史実


 「日本書記の読み方」に続き、「疋田智のロードバイクで歴史旅」に触発されて遠山美都男「壬申の乱―天皇誕生の神話と史実 」を読んだ。
 壬申の乱なんて「672年、天智天皇の後継者をめぐり弟の大海人皇子と子の大友皇子が争い弟が勝利し、飛鳥浄御原宮で天武天皇として即位、律令体制が強化された」くらいの記憶しかない。大海人皇子と大友皇子でどちらが天武天皇でどちらが弟だかを区別するのに苦労した・・。まあ、その程度である。
 興味をもった直接的な原因は法隆寺再建をしたのがこの時代と言われていることあたりだが、本書については刊行された1996年からいつか読まねばと漠然と思っていた。
 
 で、まあ読んでみたのだが、記述は時系列に進むが、日本書記の現代語訳、その口語訳から登場人物の出自(そもそも誰だかわからない人が多い)、歴史学的な考察という順番にひとつのシーンが進むのでなかなか冗長ではある。
 しかし、当時は白村江の戦いで日本百済連合軍が大敗して多くの百済人が日本に移住していた時期、大海人皇子は自分を漢の劉邦になぞらえ全軍を赤で統一したという時代でもあり、兵隊も武器、戦法も中国式。まるでレッドクリフのミニチュア版を見ているようで、じっくり読むとなかなか面白い。
 主な戦場の一つが不破の関でこれすなわち関ヶ原そのもの。関ヶ原の戦いや大坂(土ヘンです)夏の陣になぞらえた挿話など読者を楽しませることも意識している。
 その発端(大海人が天智天皇を裏切ったのかその逆かなど)や戦略の成功、失敗など重要な事項ひとつひとつがまだまだ定説がない争いでもあるし、天皇位の争いであるから戦前は高等学校にならないと学習しないという微妙な事件でもあるが、一定の説のもとに映画化すると、けっこう面白い日本版レッドクリフになりそうだと言ったら不謹慎だろうか。

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遠山美都男編「日本書紀の読み方」

日本書紀の読み方
 「疋田智のロードバイクで歴史旅」に触発されて遠山美都男編「日本書紀の読み方」 を読んだ。
 大学受験で日本史を選択したわりにはこの時代のことは何も知らない。
 本書の初版は2004年だが、ぼくが学生の頃に習った日本史(の定説)とはかなり違う説が紹介されているのにびっくり。
 まずは神話編。スサノオは姉であるアマテラスに暴力を働いたためアマテラスは天の岩戸にこもってしまうわけだが、この暴力の内容がいわゆるバイオレンスではない。たしかにその後、ヤマタノオロチを退治したりして英雄になるスサノオとアマテラスを困らせるスサノオにギャップを感じていたのも事実。
 次に驚いたのは崇神天皇。この10代天皇は実在の最初の天皇として記憶したが、否定的な説が多いそうだ。で実在した最初の天皇は雄略ということになる。
 継体について触れた箇所がないのが不満であるが、時代は飛鳥時代に飛ぶ。飛鳥時代といえば当然聖徳太子であるが、使用された用語や前後何代かの天皇の仏教感、蘇我氏の動きなどから、十七条憲法は聖徳太子の作ではなく、また作成された時代も飛鳥時代ではなく、大化の改新の後の留学僧・旻(みん)であろうとのこと・・・。
 まあ、ぼくらが学んだ歴史上の人物の画像(たとえば源頼朝や足利尊氏の有名なヤツ)も最近では本人ではないと言われているようだし、そもそも聖徳太子はいなかったとする説すらあるらしいので・・・。

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夢枕獏の奇想家列伝

夢枕獏の奇想家列伝

「疋田智のロードバイクで歴史旅」を読み始めて安倍晴明やらちょっと懐かしい話が出てきたので、読んでみたのが、「夢枕獏の奇想家列伝」

 NHKのTV放送「知るを楽しむ この人この世界 夢枕獏の奇想家列伝」をまとめたもので、玄奘三蔵、空海、安倍晴明、阿倍仲麻呂、河口慧海、シナン、平賀源内を扱う。こちらは字が大きい!。冒頭の年譜は大活字本かと思うほどで、「ロードバイクで歴史旅」を読んでいる途中で通勤の往復であっという間に読んでしまった。
 シナンという人は知らなかったが、オスマントルコ、スレイマン1世に使えた建築家ということでイスタンブールのソフィア寺院を超えるドームを作った人。
 内容的には教育TVでの短い番組のレベルなので、夢枕獏の想いを述べただけでなんということはない。
 安倍晴明の項で五芒星のルーツの話が出てくるが、この本のあとに読み終わった「ロードバイクで歴史旅」では巻末で疋田さんと夢枕獏が対談をしており、五芒星について同じ話を語っていたのが妙におかしかった(非難しているわけではないけど、飲み屋で「それ、このあいだも聞いたよ」ってな感じ)。

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「秀吉はいつ知ったか―山田風太郎エッセイ集成」

秀吉はいつ知ったか―山田風太郎エッセイ集成

 「秀吉はいつ知ったか―山田風太郎エッセイ集成」という本を表題作に惹かれて読んだ。
 目的語が書いていないが、もちろん本能寺の変のことを、である。
 本能寺の変の発生直後に高松城からの大返しに始まり、天王山・山崎の戦いであっという間に明智光秀を滅ぼすことで、秀吉が信長の後継者の最右翼になるわけだが、本能寺の変、高松城の和議、大返しの決断などが早すぎること、京都に引き返すことができるぎりぎりの位置である高松城で長い戦をしかけたこと、さらには秀吉ひとりでも落とせるのにわざわざ信長の出陣を要請し、それによりその途上で本能寺の変が行ったことなどに言及し、忍者小説の作者にふさわしい推理をはたかせている。

 さて、表題作はそういうわけでなかなか面白いが、他のエッセイで興味を惹いたのが氏の住まいのこと。
 全く知らなかったのだが、山田風太郎は2001年に没するまでのかなりの年月を聖蹟桜ヶ丘の住宅街、桜ヶ丘の山の上に住んでいた。
 エッセイ集の前半のいくつかにこの界隈についていくつかの作品があるが、そのいずれもが、ここがとても暮らしやすいことを書いている。そのうちのひとつには「丘の上の桃源郷」とまで題名をつけている。
 氏が語る住みやすい理由は「ロータリーの一角に、パン屋、そば屋、米屋、八百屋、肉屋、魚屋、仕出し屋、薬屋、床屋(略)郵便局と交番と医者と歯医者がある。これだけあると、日常の生活にほかには何もいらない」「それ以外はぜんぶ住宅だから静か」「この町に用件がある車以外はまあ通らない」「一方で、車で丘を下りて5分ないし10分走ると京王ショッピングセンターあり、そごう百貨店あり、パルテノン公園あり、桜ヶ丘カントリーあり、その上、多摩動物公園まである」ということだ。また別のエッセイでは晴れた日の早朝に見る新宿副都心の風景や夕方の富士山などについても語っている。
 もっとも一連のエッセイが書かれたのは一番最近でも91年なのでそれからもっと変化してはいる。そごう百貨店はなくなったし、ロータリーの周りに今でもこれだけのお店があるのかどうかは確かめていないし、地球屋はもとからない。

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勝間和代「決算書の暗号を解け! ダメ株を見破る投資のルール」

決算書の暗号を解け! ダメ株を見破る投資のルール
 勝間和代「決算書の暗号を解け! ダメ株を見破る投資のルール」を読んだ。
 要するに株式投資のノウハウ本であり、個人に個別会社の投資を奨めるということは、「お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践」で個人が個別の会社の判断をして投資を行うのは無理だから投信がいいと言っていることと矛盾しているのではと最初に思った。「決算書~」は2007年10月25日刊行、「銀行に~」は2007年11月16日刊行。編集、校正等を考えれば同じ時期に別の趣旨の本を刊行している。まあ、初心者は投信、リスクを取ってもいい人は株式にということだろう。

 それはさておき、中身は少なくとも「銀行に~」よりは面白い。粉飾決算の手法の紹介から始める構成はなかなかだと思う。筆者は証券会社のアナリストとして企業寄りの立場だったことと、監査法人として会計監査の立場で居たこともあるため、両方の視点での見方は興味深い。
 内容は平易に解説してあり、多少なりとも財務諸表を見たことがある人なら面白く読めるだろう。ただし、用語の解説はほとんどされていないので、たとえば繰延税金資産がわからなくても読めるが、減価償却や売掛金がわからない人にはちょっと無理だろう。

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「旅と鉄道」休刊

旅と鉄道 2月号
 鉄道ジャーナル社の雑誌「旅と鉄道」が2009年2月号で休刊となった。寂しい。

 「旅と鉄道」は「鉄道ジャーナル」の別冊として1971年刊行。当時は季刊だった(というか2007年まで)。
 実家はプラモデルと鉄道模型を扱う模型屋だったので町の書店では入手しにくい関連専門誌(ホビージャパン、航空ジャーナル、鉄道ジャーナル・・・)も置いていた。「鉄道ジャーナル」はまさに鉄オタ向け、ハードとしての鉄道、車両の記事が中心だが、「旅と鉄道」はその名のとおり鉄道を利用した旅行ガイド的な本である、というと身も蓋もないのでもう少し説明する。
 旅の本といってもパック旅行や家族旅行のネタを提供するものではなく、そのたぐいの広告も一切ない。印刷も縦書きで、どちらかといえば大人の鉄道ひとり旅的な内容が多い。しかも旅行そのものという記事は少なく、駅や周辺の町、歴史などを語った写真雑誌に近い。
 鉄道をあしらった旅情を誘う写真はどれも見事で、実家にいるころは「鉄道ジャーナル」はあまり手にしなかったが「旅と鉄道」は楽しみにしていた。

 この雑誌は近所の図書館にもあり、楽しみにしていたが2007年から月刊となったのでびっくりするとともにまだまだ健在かと思っていたのだが・・・。

 欠点をあげれば、記事が多すぎ、字が小さいこと。少なくとも最近の新聞や文庫本よりも小さい。コラムなどはさらに小さい。
 これが最大のネック。
 上質紙で写真もきれいだが、活字が小さすぎて読むのにけっこう気合いがいる。そのせいか記事も小振りに感じられたのが残念。体制立て直しのうえいずれ復刊を目指す意図もあるらしいのでがんばってほしい。

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今尾恵介「多摩の鉄道沿線 古今御案内」

今尾恵介「多摩の鉄道沿線 古今御案内」 下の画像はカバーを広げたもの。絵は表裏の見返しまで続くのでこの絵の左右にも絵がある。四谷新宿から高尾山、多摩御陵まで京王線沿線が描かれている。作者は鳥瞰図の第一人者、吉田初三郎。吉田初三郎ファンならばこの絵を鑑賞するだけでこの本を購入する価値がある。


 表紙


 中身は「多摩の鉄道沿線」ということで京王、小田急、西武、JR中央線はもちろん、それらの支線や南武線、八高線など全路線、さらに廃線となった鉄道まで網羅しており、さながら「多摩全鉄道の歴史」の様相である。 印象深いのはこれらの鉄道が明治・大正などかなり早い時期にかなり整備されていたことである。もちろんそれには歴史上の理由があり、日本のシルクロードと言われた横浜線、秩父・多摩の石灰を運ぶための西武や青梅線、近年に入っては多摩川の砂利運搬のためのものである。特に多摩川の砂利運搬はこの地域のほとんどの鉄道の発祥となっており、砂利堀の跡地の京王閣(もとは遊園地)など痕跡もかなりある。山手線の鉄橋の多くは多摩川の砂利によるセメントらしいので今でも多摩川の砂利が山手線を支えている。

 冒頭は著者が住む京王線に始まり、多摩ニュータウンをはじめとした近年の開発を生で感じてきた著者の熱い思いが感じられ多少加熱気味であるが、それ以降はいつもの今尾節で淡々と歴史が語られていく。

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森博嗣 Vシリーズ10冊

黒猫の三角人形式モナリザ月は幽咽のデバイス

 年始から断続的に読んでいた、森博嗣のVシリーズ10冊を読み終わった。なかなか面白い。
 設定はS&Mシリーズの1世代前、具体的にはS&Mシリーズの犀川助教授の実母である瀬在丸紅子が中心となる話である。VシリーズのVとは紅子(Venicoと表記)のV。設定は紅子29歳で、息子は12歳なのでS&Mシリーズの24年前後前ということになる。
 最初の3巻で面白かったのはやはり最初の1冊。これで登場人物の関係や性格、力量がわかる。

夢・出逢い・魔性魔剣天翔恋恋蓮歩の演習

 このシリーズもやはり刊行順に読まないと話が見えないところがある。
 次の3作で印象に残ったのは「魔剣天翔」。若き美貌の女性パイロットの話であり、どうしてもスカイクロラの草薙水素と重なる。

六人の超音波科学者捩れ屋敷の利鈍朽ちる散る落ちる

赤緑黒白 最後の4巻では最後の「赤緑黒白」が読後まもないこともあり新鮮。妙にしっかりした6歳くらいの少女が途中にちらっと出てくるが、想像どおり事件解決後のエピローグで図書館に向かった紅子がこの少女に出会う。そのシーンは昨年読んだ「四季シリーズ」に登場するものだ。
 それと「捩れ屋敷の利鈍」にだけなぜかS&Mシリーズの西野園萌絵と犀川も登場する。ここだけ時代が飛んでいる。

どちらかが魔女 「どちらかが魔女」はS&MシリーズとVシリーズの登場人物による短編。これはS&MおよびVシリーズを各1冊読んでからでないとわかりにくい。ぼくはVシリーズの1冊目を読んだすぐ後に読んだ。短編なのであまり派手な事件もおこらない分、読みやすく、エピソード的なのんびり感があって良い。

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「東京タワー物語」

東京タワー物語
 「東京タワー物語」は、東京タワーに関連するエッセイ集である。
 執筆者と表題は以下のとおり。

僕の東京タワー 町田忍著. 東京タワーにバスで行く 泉麻人著. 東京タワー 曽野綾子著. 東京タワーから谷底見れば 開高健著. 街角から見上げる都市の遺跡-東京タワー-川本三郎著. 東京タワー 佐藤江梨子著. 東京タワーのペンキ塗り 綱島理友著. 東京タワー 姫野カオルコ著. 鉄塔を登る男 沢木耕太郎著. 喧噪と孤独を映しつつ東京タワーは立つ 冨田均著. 東京タワー 桐生五郎著. 東京タワー 松山巖著. 「世界一の鉄塔」が威容の元に放つもの 森達也著. あいかわらずだぞ東京タワー 原田宗典著. 東京と東京タワー 金井美恵子著. タナトスの塔-東京タワー-中沢新一著.

 泉麻人のエッセイは読んだことがあるがその他の人のものはみんな初めて。
 期待せずに暇つぶし本として読んだがなかなか面白かった。
 東京に住んでいるとなかなか行かない、との都市伝説?のとおりぼくも幼少の頃、叔父に連れられて行っただけ。当時は特別展望台もなかったので下の展望台だけにあがった。蝋人形館とかは今でもそのままらしいが、水族館も蝋人形館の記憶もないが、行ったのかどうか・・・。

 東京夜話といえば、怪獣に壊されるのが定番で印象に残っているのはやはりモスラかなあ。ゴジラも壊したらしいがゴジラの最初の登場は1954年だそうで、その時はタワーがなかったので壊しようがなかった。
 曾野綾子が開館前に特別に入場したエッセイは綴っているが、優雅な口調で展望台から望遠鏡で遠くを眺める話が妙に印象に残る。
 建設に関わった鳶職人の棟梁のエッセイ、ペンキ塗り替え職人、そして塔のランプを交換する古河電工の人の話など、人手でやっているという話は東京タワーのサイトにも書いてあるが、本人や関係者の直接の話も面白い。

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勝間和代「お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践」

お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践
 本を出せば必ずベストセラーになるという不思議な女性、勝間和代の本を初めて読んだ。
 「お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践」
という2007年末に出版されたもの。

 前段は長くてうんざりした。本当に小学生に説明するように優しく、簡単に、繰り返し、基本的な考え方を言い含めている。ああ、このわかりやすさがこの人の本が売れる理由でもあり、あんなに沢山小出しに出版できる理由だろうと思う。なんせこの語り口でいっぱい書いたら一冊が分厚くなってしまうから。

 しかし、AMAZONのレビューでこれほど叩かれている本も少ないだろう。もちろん叩いた読者は08年秋からの大暴落で大損している人たちである。損している(評価損している)という意味では多少なりとも株式を持つ僕も同じだが、そこまで叩く必要があるのかな、と思う。
 この本で述べていることに目新しいことはない、というかそもそも金融商品で儲けるのに王道はないのはバフェット以来変わっていないのだから・・。
 投資信託を奨めるのがおかしいとのレビューも多いが、個人が個別の株で勝負するのが難しい以上、そういう選択肢になることは海外の個人投資の内訳を見ればわかることだ。まあ、それもこの本を読んで行動を起こした人には腹が立つだろうけど・・・。

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生協の白石さん

生協の白石さん
 先日「生協の白石さん」大学の広報大使にとのニュースを読んで、そういえば少し前にこの人のこと話題になったなあと思い、「生協の白石さん」を読んでみた。

 1ページに1枚の「ひとことカード」でのやりとりが108件ある。それぞれは数行のものなのであっという間に読める。文字数だけなら間に点在する白石さん自身のいくつかの文章や講談社の人やブログ主催者の前書き、後書などの方が多いかも。
 いいなあ、と思ったのは農工大の学生は白石さんの素顔や素性を知っているにもかかわらずネットで決して流さなかったこと。当時、この人の話題をいくつか読んだときの印象は大学生よりも少し年上のまじめなお姉さんだった。そう、性別も明かされなかったのである。
 白石さんも「ひとことカード」がネットで話題になっていることを知り、大いに焦るのだが、好意的な話題であり個人情報の流出もない、また白石さんを取り上げたブログの主催者とも会ってその人柄に安心している。
 いかにも農工大らしい。
 
 ひとことカードは主に2005年あたりのものが多いが学生時代は遙か彼方に去ってしまった自分にとっては昨今の少しまじめな学生と理系の雰囲気を感じさせ、なかなか読後感のいい本であった。

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東大教養囲碁講座

東大教養囲碁講座―ゼロからわかりやすく
 東大教養囲碁講座―ゼロからわかりやすくを読んでみた。
 案の定、自分がバカである確認ができた・・・。

 この本は若い人の囲碁人口減少対策、論理的思考対策として囲碁を全く知らない人向けに行っている東大教養学部の人気講座「囲碁で養う考える力」を本にしたものである。
 自慢じゃないが、将棋ははさみ将棋、囲碁は五目並べしかできない。もちろん弱い。オセロも然り。
 とにかく先まで考えることが苦手というか嫌い、我慢弱い。昔からゲームは途中ですぐにリセットするか、お金のかかるゲームはもとからやらない。そういう人間である。
 囲碁は高校時代に囲碁好きのヤツが少しだけ教えてくれたことがあるが、「コウっていうのが、ちょっと難しいんだけど」と始めた。この本を読んでわかったが、コウを教えるにはその前にアタリを教えてくれなけれりゃ・・・。アタリという用語は記憶にない。
 
 さて、この本はいきなり大きな碁盤で進めるのではなく、小さな碁盤から順次大きくして行きその中で基本的な形や考え方を説明していく。なるほど定石というのはこういうふううにできていくのかとか、なんとなく黒が強いとか弱い感じとか、中身はなかなか面白い。
 電車の中で表紙を隠して読んでいると、囲碁が趣味のように見えてちょっとかっこうイイかも。

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森博嗣「四季」

 森博嗣 四季シリーズを読んだ。四季とは四季・奈津子ではなく、S&Mシリーズで暗躍する天才少女・真賀田四季である。S&Mシリーズの当然後から書かれたものであるが、途中で登場人物の一部がVシリーズに出てくる人々であることがわかる。S&Mシリーズは「理系ミステリー」とされ従来の(と言っても他のミステリーは読んだことがない)のミステリーとは一線を画したトリックや解決手法を披露しているが、その大元になるのがやはりこの天才・四季だろう。

四季 春春は四季5歳から始まる。この巻では四季が持つ多重人格に焦点をあてているが、最初それに気がつかず、読みにくい印象があった。S&Mシリーズで勃発するような複雑な事件ではないが、密室殺人事件を解決してしまう思考過程で、天才少女の恐ろしさを存分に描いている。
四季 夏夏は四季13歳。「すべてがFになる」にも描かれている両親の事件への経過が細かく描かれとともに、今までまったく描かれていないS&Mシリーズの主人公、犀川助教授の家系の秘密らしきものや、幼い西野園萌絵も登場してきて、次回作へうまく引っ張っている。犀川助教授の家系は実はVシリーズの主人公たちであることがこの巻で判明する。
四季 秋秋は時代はいっぺんに飛び、S&Mシリーズの終了後、すなわち長崎の事件より後になる。再び「すべてがFになる」の事件の背景を考える犀川、四季に秘書として遣え辞職した女性の行方とともに四季が「すべてがFになる」での真相の一部を語る。ここまで読むとこれでシリーズ完結しても良いようにも思えるが、まだ終わらない。
四季 冬冬は秋の続きなのだが、雰囲気はまた少し変わる。このシリーズは「理系ミステリ」であるS&Mシリーズに登場してしまった四季という天才を描くためのSFに限りなく近づいてくる。

 このシリーズを読む前に、「女王の百年密室」という22世紀末が舞台の作品を読んだ。この作品も少しばかり密室殺人が出てくるのだが、進化した未来でのミステリは設定がずるいなあと思ったが、この作品に登場するウォーカロンと呼ぶロボットが登場したり、冷凍睡眠により四季が若さを保っているようだ。最後はやや哲学的な展開で、シーンはS&Mシリーズ最終巻「有限と微小のパン」の冒頭の儀同世津子の自宅のシーンで終わる。

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森博嗣「数奇にして模型」「有限と微小のパン」

数奇にして模型―NUMERICAL MODELS有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER

 S&Mシリーズの最後の2冊、「数奇にして模型―NUMERICAL MODELS」「有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER」を読んだ。
 
 2冊とも長い。「数奇にして模型―NUMERICAL MODELS」はなかなか話は進まずイライラしたが、犯人像がオタクのモデラーという点が最大の不満。正直、このあたりで作者の限界を少し感じた。
 「有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER」は、デビュー作「すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER」と副題でも対になる作品であり、デビュー作で逃亡した天才真賀田四季が再び登場する。犀川と真賀田四季のやりとりというかそれぞれの思考というか直感の程度が高すぎるのと、S&Mシリーズの前半で登場する愛知県警が出てこなかったり、西野園萌絵の両親を亡くした事故の記憶の復活とか四季にかかわる暗いイメージが強く、これもなかなか読み進まなかった。ただし最後の1/3は面白かった。
 天才真賀田四季博士はこのあと四季シリーズでも活躍してもらうのでやはり逃亡してしまうが。
 正直のところ「数奇にして模型」でちょっと飽き飽きした印象をなんとかこの作品でカバーできた。

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丸紅コレクション展




 入場券をもらったので「丸紅コレクション展」を見てきた。場所は新宿副都心の損保ジャパンのスカートビルの42階、東郷青児美術館。あの58億円のゴッホのひまわりが常設展示されている美術館だ。

 パンフレットにはどの程度の数が展示されているか記載されていなかったのと、着物がメインのような案内だったので、あまり期待もせずに行ってみたが、意外にも展示数、質ともなかなかのものだったと思う。
 展示されたコレクションの詳細はこちらから主要なものが見られる。展示されていたのはこのサイトに紹介されているもの以外の小品やデザインなどもあった。

 丸紅は元が呉服店なので最初の展示は着物。秀吉の茶々の着物の端切れは現代人が見るとそれほどのものとは思えなかったが、それ以外の着物は美術品としてもすばらしい、ということが分かった。
 中でも源氏物語の須磨の情景が細かく描かれた小袖は、江戸時代の人々の王朝文化への憧れがにじみ出ており、一際すばらしかった。

 絵画は日本画、洋画とぼくでも知っている人の絵も多く、またいかにもその人の画風の物が多く、見ごたえがあり、かつ分かりやすかった。
 いかにも梅原龍三郎の桜島、いかにも小磯良平の裸婦像、ルオーらしいキリストのようなピエロ、写真のようなミューラー。クールベやコローやルノワールの色使いなど、いかにもという作品が多かった。日本画では加山又造の雪山が良かった。題材への自分の好みもたぶんにあるが、山肌に金粉?を使ってきらびやかに描いているのがそばで見るとよくわかるが、少し離れると何の違和感もなくすばらしい雪山に仕上がっている。
 洋画ではパンフレットの表紙にもなっているボッティチェリの「美しきシモネッタ」。亡き妻の面影を描いたとのことだが、ボッティチェリの描く女性はそういえばみんなこんな顔をしている。ただ、油彩ではなくテンペラなので意外と迫力はない。

 で、最後に例のひまわりを見た。大きさといいタッチといいさすがに迫力はあるが、58億円という価格に圧倒される部分が多いかもしれない。

 図版2,000円はリーズナブルだが、読み返しそうもないので購入しなかった。パンフレットは映画のパンフレットよりも薄く数ページで500円。これは高い。入場料1,000円はリーズナブル。

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森博嗣「今はもうない―SWITCH BACK」

今はもうない―SWITCH BACK

 森博嗣「今はもうない―SWITCH BACK」を読んだが、この設定にはすっかり騙された。いい意味で・・・。
 このシリーズの地の文はその場の登場人物で語られることが多いが、かなりの割合で萌絵の思考が語られる。しかし、この作品はにぎやかなパーティを避けて廃線跡を散歩する中年男性の語りで始まり、萌絵が登場しても彼女の語りはなく、あくまでも男性が萌絵を眺めながら語っていく。
 一方で、ときおり事後の話として、事件のあった別荘に向かう犀川と萌絵が出てくる不思議な進み方。
 名前当てのクイズの答えの部分でやっとその設定がわかるが(気がつくの遅すぎ?)、これで今までの作品で「あなたは私の若い頃とそっくり」という叔母の台詞が嘘ではなかったことが分かる。

 前2作の「幻惑の死と使途」「夏のレプリカ」で同時進行の事件を扱った森はこの作品でまた新たな手法を取り入れたのか、それとも・・・。
 「有限の微小とパン」まで読むとその意図がわかるのか・・・。

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森博嗣「幻惑の死と使途」「夏のレプリカ」

幻惑の死と使途夏のレプリカ

 森博嗣「幻惑の死と使途」「夏のレプリカ」を読んだ。
 「使途」であって「使徒」ではない・・・・、のだが、どうしてもエヴァンゲリオンを連想してしまうのが情けない・・。
 少し読むといずれも題名が中身を表していることがわかる。最初の1冊は公開マジックショーの最中に、公衆の面前でのマジシャンの殺害、その後の遺体消失・・・。2冊目は1冊めとほぼ同じ時期に発生した萌絵の友人の政治家一家の誘拐事件。2冊目はその内容も今までのものと扱う事件が少し異質な印象があったが、それ以上に謎なのは、なぜこの事件を同時進行的に書く必要があったのか、その理由が現時点ではわからない。
 このS&Mシリーズは1作目から徐々に時間が経過しており、サザエさんのようにと言うか、ゴルゴ13のようにと言うか、登場人物がいつまで同じ年齢でいるわけではない。
 このあたりがあと3作でわかるのかな??

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リニアモーターカーの2冊「ここまで来た!超電導リニアモーターカー」「超・新幹線が日本を変える」

ここまで来た!超電導リニアモーターカー―もう夢ではない。時速500キロの超世界超・新幹線が日本を変える


リニアモーターカー関連の本を2冊読んでみた。

「ここまで来た!超電導リニアモーターカー」は鉄道総合技術研究所が2002年に刊行したものを06年に改定した本である。
 そういえば若かりし頃、近隣にあった中央鉄道学園に仕事で何回か出入りしたことがある。施設内に0系新幹線の車両が放置?され、なけっこう汚い施設だった記憶がある。鉄道総合技術研究所と一体なのかと思っていたが、鉄道学園の方は分割民営化の時に廃止され、土地も売却されていた。ちなみに鉄道総合技術研究所の国立研究所は、住所は国分寺市光町、旧鉄道学園は国分寺市泉町だった。

 それはさておき、ぼくは当時、リニアについてはかなり懐疑的だった。
 開発着手は東海道新幹線完成直後であり、すでに30年以上を経過していたが、当時でもまだクエンチ現象の解決がなされておらず実用化のめどはまったく立っていなかった。クエンチとは超電導状態が突然失われることである。超電導で日常生活?で利用されているMRIなどでよく発生する(こちらを参照)。
 時速500キロで地上から数センチを浮上走行しているリニアモーターカーでこの事象が発生すると、リニアは墜落する。墜落という表現を使ったが、500キロというのは飛行機の着陸速度より100キロ以上高速である。

 この本を読んだ理由は「2025年開通とか言っているけど、あのクエンチはどうなったの?」ということによる。

 著者がリニア開発元なのでいささか手前味噌の記述も多いが、まあ、技術面、実績ともほぼ問題ないレベルにきているということがわかった。ただ電気関係の素子に今頃IGBTを採用して新技術とか言っているのはちょっと遅すぎるのではないかという気がした。というのもコンピュータセンター用無停止電源(CVCF)の素子は90年代からIGBTを使っていたからである。まあ鉄道で使えるほど小型化されたのがもっと後なのかもしれないが。

 では、3つあるコース案、実現の可能性、経済効果とかはどうなのか、というとこの人のお出ましになる。
 川島令三の本は数字が多くて、字がいっぱいでかつ網羅的でとても読みにくいのが第一印象だが、この「超・新幹線が日本を変える」もその例に漏れない。
 最初に2025年開通とJR東海が打ち上げたリニアモーターカーの話が少しあるが、それからあとは、新幹線の定義から始まり運用中の全新幹線の解説、駅の構造、在来線の問題を語り、最後にまたリニアモーターカーに戻る。
 刊行は2008年6月なので現時点での最新事情というところであろう。
 リニアについての記述はさすがに筆者でもあまりないと見えて、現在の新幹線の記述からは見劣りがするが、冒頭の現行新幹線の問題点などを読むと、長野県知事がJR東海が主張する南アルプス直行ルートを云々しているのが、かなりナンセンスであることがよくわかる。この本の帯に「東京・新大阪 1時間5分」と書いてあるが、それは四捨五入して大雑把に1時間とはぜんぜん違う意味である。

 さすがに鉄道研究の第一人者の本だけあり、なかなか興味深い本であるが、正直のところ冒頭の印象どおり圧倒されてつまみ読みだけした。

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森博嗣「スカイ・イクリプス」

スカイ・イクリプス

 森博嗣「スカイ・イクリプス」は「スカイ・クロラ」シリーズの番外というか短編集である。それぞれの主人公は独立しているが明確に書いていないのと、全巻読んでいないとまったく意味がわからない。

 ササクラ、クサナギ、階段に座る老人、フーコ、カイ、カンナミ・・・、なかなか味があっていいのだが、最後の書き下ろしの3作はそれぞれが、あえて曖昧とさせているのだろうか、誰が書かれているのか明確にしていない。クサナギの妹(娘)のようでもあり、やや後味が悪い。

 「クレィドゥ・ザ・スカイ」の読後感にちょっと似ている。

 最初のササクラの編は、なんとなくS&Mシリーズの犀川助教授の心境のような気がして良かった。

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森博嗣「詩的私的ジャック」「封印再度」

詩的私的ジャック封印再度

 森博嗣「詩的私的ジャック」「封印再度」を読んだ。

 前者は2つの大学内での事件で人気ロック歌手が絡む。後者は由緒ある屋敷に住む芸術家の家族が舞台。設定も謎解きも後者のほうがなんとなくこのシリーズに馴染む。
 犀川助教授と萌絵のコンビの心境が徐々に変化していくのも面白い。特に「封印再度」では二人の関係にかなりの異変が起こる。この作品では結末の犀川の行動がやや曖昧な印象があるが、それも二人の間の異変を考えると納得がいくように思える。

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尾崎一雄「単線の駅」

単線の駅
 「単線の駅」と言っても鉄道マニアの本ではありません・・・。
 尾崎一雄「単線の駅」が、講談社文芸文庫に収録されたことを同社の広告誌「本」で知ったので読んでみた。もっとも手にしたのは新たに収録された文芸文庫ではなく、図書館にあった1976年刊行の単行本。
 尾崎一雄で「単線の駅」とくればそれは氏が育ち、また戦後からの生涯を過ごした御殿場線の下曽我駅を指す。題名から下曽我での身の回りのエッセイのように思えたが、主に昭和50年前後に氏が各所で執筆したエッセイや書評、対談などをまとめたものであった。

 尾崎を読むきっかけとなったのは志賀直哉の短編を読んだことで、そういえば志賀直哉に師事して芥川賞を取った尾崎一雄とかいう作家がいたなあ、と志賀直哉「城の崎にて」は虫の描写が印象に残ったぼくは「虫のいろいろ」を読んだ。志賀直哉ほど厳しくはないけれども、ピリッとした文章で、当時の短編好みのぼくの趣味に合ったのだろう。その頃の新刊「苺酒」が今ぼくが保有している本で最も古いもののひとつである。あるツテを頼ってサインをいただいた翌年に氏が逝去した。

 さて、そんな短編作家の印象しかなかった尾崎一雄であるが、この「単線の駅」では、広い範囲にわたってのエッセイを残している。特に文明批判、西洋的キリスト教的志向批判的な文章については、このようにひと括りにしては申し訳ないほどの説得力というか、あ、ぼくと同じだ、という思いがし、さらには昨今のアメリカ発金融危機などを見ても非常に、東洋あるいは日本と欧米との発想の違いなどをきわめて正確に指摘しており、畏れ入った。
 一般的な知名度と違ってやはり文壇のかなりの大御所であったことが、その他の有名作家への接し方や呼び方などからわかり、なんとも愉快な面もある。
 また、もう少し読み直してみようかと思う。

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森博嗣「笑わない数学者」

笑わない数学者
 森博嗣「笑わない数学者」を読んだ。
 だんだんこのシリーズにも慣れてきた。
 今回は非常に明快かつ単純なトリックであったが、当然分からず・・・。
 答えが分かってから思い出すと、主人公の老齢の笑わない数学者ではないが、いろいろなところに伏線があった。そのたびに何で?とは思ったが、それ以上考えずに先を読む。

 こういうリズムの本は読みやすいが、一気に読んでしまうところがある意味問題かもしれない。

 それにしても家族、親族を巻き込むミステリーは同姓で名前だけ違うとか兄弟や親子で名前も似ているというパターンが多いので、今話しをしているのは誰だっけと、巻頭の登場人物を見返すことがたびたび・・・。
 それでも最近のガンダムみたいにいかにも日本人なのに長い横文字の名前でないだけいいか。

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金融腐蝕列島【完結編】消失

消失 第4巻―金融腐蝕列島【完結編】
 高杉良金融腐蝕列島【完結編】消失を読み終えた。
 1から2巻まではなかなか良いが3巻あたりでだれて、最終巻4巻は完全にだめ。消化不良である。
 長すぎる経済小説に色を添えるべく主人公竹中に若き美貌のフィアンセを登場させるが、結局最後にどうなったのかもわからず。
 モデルは明らかに旧UFJ銀行であるが、三菱に統合されるところはあっという間に終わり、統合後に繰延べ税金資産の戻りで大幅増益になることを告げるのみ。
 なんとなく最後になって連載打ち切りになったか、あるいは予定回数で終わらなかったために詰め込んだ印象がある。
 3巻まではまあまあ面白かったので残念。

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森博嗣「冷たい密室と博士たち」

冷たい密室と博士たち
 森博嗣の最初のシリーズであるS&Mシリーズをとりあえず順番に読んでみることにした。
 S&Mというのはもちろん犀川創平と西之園萌絵のイニシャルである。誤解なきよう。

 で、を読んだので次はこれ。

 「冷たい密室と博士たち」は大学の低温実験室という密室での殺人。作品はFと同じく95年頃なので、当然UNIX、telnetの世界であるが、今読むと、ちょっとこの大学のほすとはセキュリティ弱いなあ、という感じ。

 作品そのものはほど強烈、特殊ではなくすんなりと読める。

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重村智計「韓国の品格」

韓国の品格
 韓国・北朝鮮問題でTVによく登場する元毎日新聞記者、重村さんが近刊「金正日の正体」の中で金正日「影武者」説を取り上げたというニュースをどこかで見た。TVでみる彼の発言は風貌はなんとなく信頼を置けるように思えるので少し意外であった。重村さんが言うからにはそれなりの根拠があるのかもしれない。
 ただ、正直のところ、海外旅行嫌いで仕事でやむを得ずソウルに一度行っただけのぼくには、近くて遠いこの国のことは何も知らないし、興味もない。
 ということで題名に魅かれて重村智計「韓国の品格」を読んで、予備知識を仕入れてみようと思った。

 脱稿が2008年2月、イ・ミョンバク大統領の政権が始まった直後であり、重村さんらしからぬ新大統領礼賛に妙は違和感を覚えながらも、まったく知らない日本と韓国の現代史に引き込まれた。
 著者がこのとき予測した事態とはいくつかの重要なポイントがすでにずれてきており、その点では残念であるが、要するにこの本は日本のマスコミ、政治家、そして日本人全体への警告書として重要な意味を持つ。

 韓国の教科書には日本の歴史は太平洋戦争で終わっておりその後の民主化、財閥解体などの現代史には触れていない。一方で日本の教科書は1910年の日韓併合から終戦までの植民地政策が何も触れていない。このあたりが韓国の歴史問題の認識の前提であり、日本人の韓国に対する漠然とした評価の源泉なのであろう。

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森博嗣「すべてがFになる」

すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER

 簡単に人が死んだり、殺されたりするサスペンスやミステリー好きではないのだが、「カクレカラクリ」がなかなか面白かったので森博嗣のデビュー作である「すべてがFになる」を読んでみた。
 舞台が世間とか完全に隔離された孤島のコンピュータ関係の研究所ということで、ところどころ基本的なコンピュータ用語が出てくる。さすがに知っている用語ばかりだが、カタカナで「インティジャ」と書かれるとintegerに頭の中で変換するのにちょっと時間がかかったりする。縦書きではなおさら。題名の「すべてがFになる」も横書きで書くと解けたかもしれないなあ。
 書かれたのが1995年であり、UNIX中心のシステム構成やネットカフェはまだなかったりなど時代を感じる。

 文庫本で500ページを超える長編だが、テンポが良く、かつ文章に歯切れがいい。謎解き部分はやや急ぎすぎの感もあるが、登場人物の性格の書き分けもはっきりしていて面白い。

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森博嗣「カクレカラクリAn Automaton in Long Sleep」

カクレカラクリAn Automaton in Long Sleep 森博嗣「カクレカラクリAn Automaton in Long Sleep」を読んだ。
 先日読んだ「ゾラ・一撃・さようなら」はいまいちだったが、こちらはなかなか楽しい読み物でした。
 「廃墟マニアの郡司朋成と栗城洋輔は、同じ大学に通う真知花梨に招かれて鈴鳴村にやって来た。天才絡繰り師によって、120年後に作動するように仕掛けられた謎の絡繰りとは?」とAmazonの解説にあるが、工学部の3人と花梨の妹の4人が、磯貝先生の助けをかりながら、どうやったら120年の年月をカウントするのか、動力は何か、そもそもそれはどこにあるのか、という謎を解いていく。
 主人公の男子学生が二人組なのはこの謎解きを掛け合いで行うことで文科系の読者の理解を助けるためだろう。考えながら読むほどではないが、なるほどそうだよなあ、あ、やっぱりその方法はだめかと思いながら読み進めることができてテンポがいい。
 著者が工学部の先生だけあってこういう畑のほうが中途半端なミステリーよりは向いているのかも。

 青春物語ではあるが、お祭り騒ぎが終わったあとの静寂さも良い。

 妹、玲奈がよくコカコーラを飲んでいると思ったら、なんだそういう企画なのか、と一番最後のページで分かった。それもいいではないか。

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森博嗣「ゾラ・一撃・さようなら」

ゾラ・一撃・さようなら 森博嗣「ゾラ・一撃・さようなら」を読んだ。
 AMAZONのレビューに「まあまあ楽しめるが、森博嗣の真髄からはちょっと程遠い感じがします」とあったが、真髄を理解していないぼくにもそう思えた。
 読んでいる間は面白い展開になりそうな気がして、のめりこめるのだが。読み終わって振り返ると、ではあの設定はなんの意味があったの?とか、ではあの設定には無理があったんでは?と、疑問符がつくことがかなり多い。
 具体的な話を書くとネタバレになるので、やや曖昧に書くと、標的やその友人の地位、女性の美貌と揺れ動く気持ちあたりかな。すなわちこれらの設定がかなり極端、一流になっているのに、どうもストーリー展開上あまり意味がないように思える、ということ。

 ただ、表題は森博嗣らしい・・・。

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ティファニーで朝食を

ティファニーで朝食をティファニーで朝食を

 またも村上春樹訳の本を読んだ。トルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を」である。
 映画はもちろん見たことがある。「ローマの休日」とは全く雰囲気の違うヘプバーンが破天荒なヒロインを演じていた。見る前には「なんでティファニーで朝食なんだ」と思ったが、オープニングで納得した。ヘプバーンは映画によっていろいろな役柄を演じるので、ラブコメディのようなこの映画では違和感はなかったが、原作(というかこの村上訳)を読むうちに、ああ、映画とは別物の(映画が別物)作品だなと感じた。ヒロインのホリーは最初のころはどうしてもヘプバーンの顔が思い浮かんだが、読み進むにつれてあまり思い浮かばなくなった。あえて言えばマリリン・モンローのようなもっと社会の枠から外れた女性の印象である。

 原作と映画、どちらが面白いかと言われれば、別の作品なので比べられないけれども、やはり原作が圧倒的に面白い。映画はジョージペパード(原作の「僕」)とのラブコメディになっているが、原作ではあくまでも「僕」は語り手であり、とても気になる隣人という立場で、ホリーを取り巻く人々の描写に終止している。エンディングも余韻があって良い。
 村上による後書きで映画化のときにヒロインがオードリー・ヘップバーンになってカポーティが怒ったと書いてあったがさもありなん。マリリン・モンローに断られたという話もネットで見かけた。・・ヘプバーンがヒロインだと原作そのもののヒロインを演じるのはやはり無理で、あのような映画になるのだろうと納得。

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村上春樹「象の消滅」

村上春樹にご用心「象の消滅」

 内田樹村上春樹にご用心を読んだら、なんとなく昔読んだ村上春樹の小説を読みたくなり、「象の消滅」を読んだ。

 「村上春樹にご用心」は内田樹氏の評論集で「世界で指示を受ける村上春樹をなぜ日本の文壇や評論家は評価できないのか」その技量のなさを批評する、ような感じの本であり、いくつかは面白かったが、心酔しきっているような表現もあり、いまいちの箇所も多かったが、「村上文学に「父」が出てこない」という指摘には、なるほど。権威や旧世代の象徴である「父」の圧力や威厳、それを乗り越えようというような話は村上文学にはたしかに出てこない。

 そんな村上春樹のアメリカで出版された短編集の日本語版が「象の消滅」であり、いくつかの作品は日本語版収録にあたり手を入れている。
 ほとんどの作品は読んでいるはずなのだが、ストーリーの記憶があるものが少なく、情けなかったが、その分、ほとんどを初めて読んだ気になれた。

 「午後の最後の芝生」の大女のおばさんが「僕」にながらく雨戸を閉めたままだった娘の部屋や服を見せて娘を想像させるシーンが哀しくていい。
 「沈黙」はできるけど嫌な奴とそんな奴の中身を見抜けず付和雷同する人々への箴言。身近にもこんなケースもあるし、政治の世界にもありそうで、村上らしからぬ実用的なストーリー・・・。
 「象の消滅」。村上春樹の小説は長編でも短編でもふつうの生活のなかでとても奇異な出来事がごく普通に発生し、その理由も原因も語られない。まあ、このあたりが現代の国内評論家が指示しない理由だろうが、彼の作品が世界で読まれる普遍性がそんなところにあるのではないということを示す作品のひとつがこの短編だろう。 奇妙な事件なのに、読み終えると暖かい気持ちになれる。

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「グレート・ギャツビー」

愛蔵版 グレート・ギャツビー
華麗なるギャッツビー
 村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」を読んだ。
 いかにも2枚目のレッドフォードの映画、「華麗なるギャッツビー」は学生の頃に見たような気もするが、物語や結末の記憶がないので思い違いかもしれない。

 村上春樹を読むようになってから、彼に影響を与えた最大の作家であるフィッツジェラルドの短編集もいくつか読んだがそれほどおもしろいとは感じなかった。で、あまり期待せずに読んだ。

 始まりはなんとなく村上っぽい世界というか記述で、もやもやして始まる印象だったが、パーティーのシーンから引き込まれるように読んだ。村上自身による後書によればこのパーティーのシーンは売れっ子作家だったフィッツジェラルド自身が妻ゼルダとともに実際に開催していたパーティーをモデルにしたようだ。
 それにしてもアメリカの貧富の差の凄さ。
 先頃、リーマンブラザーズが破綻したあと、雑誌かネットで見たがウォール街の一部の社員と一般的なアメリカ家庭の年収差が10倍くらいあるらしい。ゴールドマンサックスの社長の年収200億は別格としても、日本に換算すると5百万と5千万の差くらいだろうか。日本の会社では(みずほのトップ3人が年俸9千万と先日経済誌でたたかれてたが)このレベルの差はなかなかない。
 アメリカでは西部の人間が東部に出て一旗あげようというのが割りと普通の考えであり、しかも歴史が短い国にしてはその来歴、すなわち家系や大学も問われる。

 ギャッツビーも語り手のニックもそのひとりである。

 この本の以前からの題名の「華麗なる」はやはり違うのではないか、「グレート」が正しいのではないかという印象が最後まで読んでから思える。「華麗」を装ったという意味であれば正しいか・・・。

 舞台となるイーストエッグ、ウェストエッグはロングアイランドの架空の地名だったが、その景観の描写から今ではGoogle Earthで検索するとちゃんと地名として検索される。

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森 博嗣「クレィドゥ・ザ・スカイ」

「クレィドゥ・ザ・スカイ」 「スカイ・クロラ」シリーズの最終巻 森 博嗣「クレィドゥ・ザ・スカイ」を読んだ。最終巻というのは刊行順であり、時系列では「スカイ・クロラ」の直近となる。
 キルドレの秘密と反戦を目指すサガラ・アオイについては「フラッタ・リンツ・ライフ」に書かれているが、その続編であり、クリタ・ジンロウの視点である。
 が、正直、最後に読む1冊としてはいまいちだった。終わり方もいまいち意外性がない。
 というか、このまま「スカイ・クロラ」に時間が経過してしまうと「スカイ・クロラ」の原作あのラストシーンとの関係がよくわかならい、という印象。これが映画のラストシーンであればなんとなくわかる。

 と、映画も原作もネタバレしないように書いたので、全く意味不明の文章になってしまった。

P.S 上の文だけではあまりにも意味不明なので、追記。
「クレィドゥ・ザ・スカイ」では「スカイ・クロラ」でクサナギに殺されたとされるクリタとカンナミとの関係が最後に判明する(というふうに理解した)。
 不満なのは「フラッタ・リンツ・ライフ」で苦悩するクサナギがなぜ「スカイ・クロラ」で颯爽と指揮官になっているか、その心境や経緯、それとティーチャーの移籍理由がいまいち不明確なまま終わってしまったこと。時系列的には「スカイ・クロラ」の直前になる本書ではこのあたりがもう少し描かれると想像していたが、クサナギはほとんど登場しない。

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森 博嗣「ナ・バ・テア」

「ナ・バ・テア」 「ダウン・ツ・ヘヴン」を読んだとき、クサナギとティーチャーとの関係が書かれているはずの「ナ・バ・テア」を読みたいと思ったが、やっと読むことができた。

 原作「スカイ・クロラ」になく映画に登場するシーンをこの作でも発見した。すなわち原作ではクサナギが叫んでいた言葉を映画ではカンナミが叫んでいるのだが、この入れ替えが可能なのはクサナギもカンナミも同じ気持ちのパイロットだからであり、不自然さを感じない。
 この作品は時系列的には第一作。クサナギがティーチャの居る基地に配属されるところから始まる。

 しつこいがシリーズは時代順に「ナ・バ・テア」「ダウン・ツ・ヘヴン」「フラッタ・リンツ・ライフ」「クレィドゥ・ザ・スカイ」「スカイ・クロラ」。最近刊行された「スカイ・イクリプス」は外伝というか脇役短編集なので、残るは「クレィドゥ・ザ・スカイ」1冊となった。これを読み切ったあとでもう1回映画を見てみたい気がするがすでに映画の公開は終わっており、DVD待ちかな。

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馬場啓一「和の作法」

馬場啓一「和の作法」
 ふと、寿司やのカウンターでは何から注文するのがマナーなんだろうと思い、ネットを検索。お寿司やさん自らのサイトでは、お好きなものからご自由に、というのが多い。卵焼きで職人の腕を見るなんていうのは嘘らしい・・・。というわけで図書館の本を探したら、馬場啓一「和の作法」というのがあった。
 この本は寿司や食べ物だけに限らず衣食住の全般にわたっての作法を述べている。作法といってもいわゆるHOW TOものではなく、現在の作法や文化が創られた歴史や由来をひもといていく部分が多く、それゆえHOWTOものとは違う読み応えがある。
 ちなみに、「衣の章」で扱うのは、浴衣、下帯、履物、帽子、風呂敷、てぬぐい、扇。「食」:蕎麦、うどん、寿司、天麩羅、餅、お茶、和菓子、日本酒、膳、箸、宴会。「住」:日本家屋、「冠婚葬祭」:中元と歳暮、祝儀と不祝儀。
 以上のとおり、日本人の生活全般にわたるあれこれについて、そのいわれとちょっとした作法が書かれている。作法そのものは読んだあとにどんどん忘れてしまうが・・・、謂われ、来歴をちょっと思い出すとなんとなく作法にかなった仕草ができるかもしれない。

 この本には寿司を頼む順番は細かくは書いていなかったが、最初の店ではテーブル席でメニューを見て握りを一人前頼めば、価格と腕、味がわかること、寿司は一口で食べること、女性や口の小さい人が頼んでも板前は相手を見て大きさを微妙に調整してくれることとあった。

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森 博嗣「フラッタ・リンツ・ライフ」

フラッタ・リンツ・ライフ―Flutter into Life
 森 博嗣「フラッタ・リンツ・ライフ― Flutter into Life 」は、時系列では「スカイ・クロラ」シリーズ4作目。前作「ダウン・ツ・ヘヴン」のあとであり、映画「スカイ・クロラ」でカンナミの前任者であるクリタ・ジンロウの視点で描かれる。映画および原作「スカイ・クロラ」では配属されたカンナミがジンロウの機体があるのに、すなわち撃墜されたわけではないのに後任が配属される点に疑問を抱く。同僚からはクサナギに殺されたという噂も聞く。
 この巻ではこのあたりが解き明かされると同時に指揮官として飛べないことに悩み、またキルドレの秘密に悩むクサナギが描かれる。「スカイ・クロラ」は原作と映画では結末が異なるが、このあたりまで描かないと原作の結末では無理があるのだろうと理解できる。そのために映画ではエンディングが中途半端になってしまった点は否めない。
 いずれにしても、視点はジンロウであるが、やはり間違いなくこのシリーズのヒロインはクサナギである。

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森 博嗣「ダウン・ツ・ヘヴン」

ダウン・ツ・ヘヴン
 森 博嗣「ダウン・ツ・ヘヴン」は、発表順も時系列も「スカイ・クロラ」シリーズ3作目。2作目は未読。
 1作目「スカイ・クロラ」ではカンナミ・ユーヒチの主観で書かれているが、この作品はクサナギ・スイトの目で書かれている。冒頭、「スカイ・クロラ」でクサナギがカンナミに話した自分の対戦相手のエピソードがいきなり登場する。そして脇役的にカンナミも出てくる。そしてティーチャーも。
 ティーチャーに対するクサナギのさまざまな思いがとても深く、それはきっとこの2つの作品の間に位置する「ナ・バ・デア」に書かれているのだろう。

 原作になく映画「スカイ・クロラ」に登場するエピソードとして部下が墜とされた相手がティーチャーと知り深追いするクサナギが描かれるが、このあたりはきっと5作目あたりにあるのではないかと考えている。
 映画ではカンナミの飛行テクニックがメインになりクサナギは過去はかなりのものだったという噂くらいで終わってしまうが、この本ではティーチャーと互角にやりやっている。

 ところでこの2冊の目次
・「スカイ・クロラ」:カウリング、キャノピィ、フィレット、スピンナ、スポイラ
・「ダウン・ツ・ヘヴン」:サイドスリップ、ストールターン、スナップロール、ローパス
飛行機に直接は関係ないのはフィレット(溶接)くらいか。これは溶接の火花を見たいという少女がいたため。

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森 博嗣「スカイ・クロラ」

スカイ・クロラ
 映画の原作、森 博嗣「スカイ・クロラ」を、ようやく読んだ。途中までは映画とほとんど同じエピソードとストーリーで、そういう意味では、2時間程度に映画はよくまとめたと言えるし、原作の雰囲気をよくつかんでいると思えた。もちろん映画を先に見たせいもあるが。
 「スカイ・クロラ」は原作のシリーズの1作目であるが、物語の時系列では、『ナ・バ・テア』、『ダウン・ツ・ヘヴン』、『フラッタ・リンツ・ライフ』、『クレィドゥ・ザ・スカイ』、『スカイ・クロラ』となる。
 スターウォーズが3「ジェダイの帰還」で時系列的には終わりなのに、作品としてはそれからファントムメナスやらシスの復讐がそれ以前のエピソードを描いているのと同じである。で、スターウォーズを時系列に見て面白いかというとそうではなく、やはり制作順に見ないと細かいところがわからない。

 映画の「スカイ・クロラ」が原作とほぼ同じストーリーと書いたが、実は大きく違うのが最後である。登場人物もほぼ同じながらも映画でスポットを当てられた人とそうでない人は原作では異なるし、またユーヒチ(映画ではユーイチ)とクサナギスイトの性格も映画のほうがドライのような印象を受ける。
 「スカイ・クロラ」シリーズもできれば発表順に読みたいものだ。

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ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

 小さなIT会社(ソフトハウス)に元ニートが入社。そこで繰り広げられる個性的な人たちとの出会い、衝突、理解、別れなどを描く2ちゃんねるスレを書籍化したもの。「超ダメダメなIT企業――まさに現代の「蟹工船」」というキャッチフレーズ・・・。「蟹工船」小林多喜二、久しぶりに思い出したけど読んだことない。

 無意味な書籍化という否定論もあるようだが、スレッドを見ていなかったので書籍化で読むことができたのでそれだけでも良かったのではと思う。

 まあ、この業界、会社の規模に関係なくブラック会社はあるし、デスマーチそのものは珍しくない(というか概ねがデスマーチだろう・・・)。が、登場人物が面白すぎ。
 全然仕事できなそうなリーダーと井出、死にそうな上原、なんでこんなにできる人がこんな会社にいるんだ訳ありげな藤田、彼らをかき回す美人の派遣社員中西さん、後半に登場する野心家の新卒木村とガンダム好きの派遣社員。そしてのほほんとした社長。
 「もう俺は限界かもしれない」と思わせる出来事が沢山あってもなんとかしのいでいくが・・・。

 会社の説明では社員15人と書いてあったので、上記以外のメンバーがどんなになっているのか知りたいところ。うちにも藤田さんがほしい。ついでに中西さんがいると面白いかも。

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森 博嗣「少し変わった子あります」

森 博嗣「少し変わった子あります」

 映画が原作の世界観をどこまで表現しているのかはわからないが、映画「スカイ・クロラ」を見たので(原作はまだ読んでいないのでその代わりに)同じ森博嗣の「少し変わった子あります」を読んでみた。
 
 カバーは細身の若い女性のイラスト、奥付けを見ると初出一覧があり、表題作のほか「もう少し変わった子あります」「また少し変わった子あります」という感じで文芸春秋に連載された連作であることがわかる。
 「あります」というのは「います」というのとは少し違う。英題は、Eccentric persons are in stock.
 なるほど、在庫あり、ですか。

 知人から聞いた謎の料理屋。店の名前はなく、場所は毎回変わる。一人でしか入れない。若いふつうの女性が同席して食事をする。個人的なことを尋ねることや店の外で会うことは禁止。しかも毎回相手は変わる。共通しているのは食事の仕方、動きがとても上品なこと。ほとんど言葉を交わさずに終わる回もあるが、主人公の大学の先生はその間にいろいろな思考をして、けっこう充実した気分で二人分の食事代を払う。そんな連作が淡々と綴られる。しかし何十回も通い続けたら、お店の場所や女性の「在庫」はどうなるんだろうと思うころ、意外な形で連作は終了する。

 ひょっとすると似たような趣向のお店ならあるかもしれないと思わせる、「少し変わった」世界。なかなか読後感がいい。
 「スカイ・クロラ」とほんの少し似た香りがする気がする。

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円朝芝居噺 夫婦幽霊

円朝芝居噺 夫婦幽霊
 古典落語を語るのに円朝ははずせないのだが、実は今まで読んだことはなくて、明治に円朝という大人物が居て、円朝全集という本が出ていることくらいしか知らなかった。
 恥ずかしながら「芝浜」「文七元結」「鰍沢」あたりの何度も聞いた噺の作者が円朝だったのを知ったのもごく最近のこと・・・。
 たまたま雑誌「東京人」2007年9月号で円朝特集をやっていたので読んでみた。どうも単に落語の祖というだけではない。漱石や鴎外を寄席に引き寄せ、言文一致運動に悩む二葉亭四迷を開眼させ、井上馨、黒田清隆、江藤新平など時の権力者との交流など、円朝が生きた江戸末期から明治の時代や文芸の状態、もっとわかりやすくいえば、民衆の娯楽の選択肢がどうだったのかという感覚がないと円朝の位置づけがわからない。
 雑誌を読むと実はこの頃の落語は今の落とし噺(面白い話)よりも怪談・幽霊ものが主流だったようで、これを1回の公演が15日続き、毎日いいところで終わる連載もののようになっていたという。だから最近の落語のように1回30分前後の比較的短いものではなく、かなり長いものが多く、そのストーリーも複雑。要するに動画のない映画のようなものだったようだ。
 円朝の時代にはまだ録音の技術がなかったので、速記をしてそれをもと翌日の新聞に前日の内容を連載していたという。「全集」はこれを集めたもの。

 とうわけで「東京人」で歌丸と対談した辻原登の「円朝芝居噺 夫婦幽霊」を読んでみた。
 この本は幻の円朝の速記本が見つかったという設定でその内容を語るフィクションである。したがってこの本に出てくる内容と本当の円朝の速記本が同レベルなのかどうかは(「円朝全集」を読んでいないので)わからない。
 が、面白い。速記本の発見、速記本から起こした円朝の口演(ところどころ紛失箇所があって抜けている・・・)そして廃嫡した円朝の長男の行方という3段構え、メインの円朝の口演はもちろん作者の創作であるが、ストーリーも御金蔵破り、安政大地震と時代背景がわかりやすく、幽霊と題名にはあるが、。まったく怖くないサスペンスっぽい出来。

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川上 未映子「わたくし率イン歯ー、または世界」

わたくし率イン歯ー、または世界
 川上 未映子「わたくし率イン歯ー、または世界」を読んでみた。読み始めたのが歯医者の待合室だったのは単なる偶然。
 最近の文学界はどうも彼女以外には誰もいないらしく、なんでも彼女である。まあ、それは彼女のせいではないが。

 文字も大きくリズミカルであるが、関西弁に慣れていないので、読んでいて時折、切る場所を間違えてしまう。ヒロイン(というのだろうか、このような小説で・・・)は青木くんとそこそこの仲のように思えたのであるがアパートのシーンの青木くんのぼけをみるとそうでもないようにも思える。まあ、仲がどうであったとしてもあれだけぼろぼろになるかあ。青木くんと一緒にいた女もあそこまでいうかなあ。
 まあ、わからないですね。正直、オジサンには。

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「落語の国からのぞいてみれば」

落語の国からのぞいてみれば
 堀井憲一郎「落語の国からのぞいてみれば」は講談社の広告誌「本」に連載している「落語の向こうのニッポン」を新書化したものである。8月号の連載ではこの本について述べている。「本」の連載がなかなか面白いので、新書も読んでみたが、内容はなかなか良いが新書にまとめてみると連載中に感じたくせのある文体が気になった。落語の本なのに、センスのない駄洒落やまるで口述筆記したような余計な文末の一言が多すぎる。「本」に1回で連載する量であればそれほど気にはならないが、まとまると鼻につく。
 この傾向は同じ作者の「『巨人の星』に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。」は題名からだめだったが、やはり途中で嫌になってやめてしまった。

 しかし、この本、視点はなかなか面白い。落語を聞く上での基本的な知識ともいえるし、文明批評はいいすぎにしても比較文化論ともとれる。基本は落語の舞台となる江戸時代とそれを聞く現代との人々の意識や常識の差である。
 たとえば旧暦と月の満ち欠けはさすがに現代人でもわかるが、夜の真の暗闇を知らない現代人には日付=夜の明るさを示すことが実感できないと行った現代との感覚や慣習、常識の違いを述べていく。
 まだ連載中なのでこれから書かれるテーマもあるし、本書のなかで随所に触れられているが、江戸の地理感覚について独立したテーマがあってもいいかなと思う。

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「コマ大数学科特別集中講座」

「コマ大数学科特別集中講座」
ビートたけしと竹内薫の「コマ大数学科特別集中講座」を読んだ。

 フジテレビ系列で木曜深夜(金曜未明)に放映している「コマ大数学科」を見たのはつい最近。放送開始は06年4月ですでに放映90回を超えるこの時間帯では長寿にはいる番組である。たけしが明大工学部(中退)という立派な理系なので少なくとも文系のぼくよりも数学が得意であろうことは想像できるが、何回か番組を見てみると、かなりのレベルではないか、特に本人もなぜかわからないけど答えはこうだな、という直感が鋭い。
 読む前はTVのクイズ番組が放送が終了した過去問題を集めたものを出版するようなものかと思い、過去問題の多くが収録されているのではと思っていた。もっとも発行が放送開始の2006年の12月だが・・・。
 しかし、過去問題は6問のみで間をつなぐたけしと竹内薫との対談や数学の話が面白い。高校時代、数学だけは東大進学者よりも出来たたけしと映画監督北野武とたけし軍団のたけしがバランスよく存在している。
 それと番組の解説者でもある竹内薫が数学と物理と両方の経験があるので、数学者や数学好きと物理学者との違いなどもわかり、それらを含めて数学が苦手な人でも面白い読み物になっている。

 ちなみに収録された過去問6つともまともに考えずに先を読んだけど、まじめに取り組んでもきっとできなかっただろうな。

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泉麻人「キサナドゥーの伝説 」

泉麻人「キサナドゥーの伝説 」 泉麻人の職業を一言でいうと何になるのだろう。WIKIペディアではコラムニストということになっているが、その対象は今の時代よりも少し後ろを振り返っていることが多いようだ。そのあたりの趣向は外向けのものかもしれないが、まあわかりやすい。
 年齢が少し上なので、幼少から学生時代までの彼の記憶とぼくの記憶には少しずれがあるがまあ四捨五入の範囲でもある。

 小学校のこじんまりとした同窓会から始まるオジサンバンドの再結成や、転校して行方がわからない美少女を探す話がメインのこの小説の主人公は中学はみんなと分かれて私立に行き、今の職業は紀行ライターで名字が浅見。泉麻人の本名は朝井泉だから彼そのものである。

 出だしから展開やおおよその結末が読めてしまうのは彼の小説の欠点でもあるが長所でもある。彼が描きたいのは物語ではなく昭和の時代なのだから。とはいえ、この小説の結末はちょっぴり意外ではあったが、これも最後の方で読めてしまったのはご愛敬。
 やっぱり彼は小説よりもコラムのほうが生き生きとしているなあ。

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中野翠「今夜も落語で眠りたい 」

中野翠「今夜も落語で眠りたい 」

中野翠「今夜も落語で眠りたい 」を読んだ。

 志ん朝讃歌であり、哀惜でもある。
 志ん朝の「文七元結」で落語に目覚め、文楽、志ん生、志ん朝をメインに20年にわたって毎晩落語のテープやCDを聞きながら寝ていたという作者が本人曰くように「素人」とは思えないが、まさに素人のぼくにとっての志ん朝のイメージと重なる部分が多い。
 作者が目覚めた「文七元結」は夜のTVの落語番組と書いてあったので、たぶんTBSの「落語研究会」だろう。最近若い奥さんをもらったたれ目の山本アナウンサーと落語にふさわしくない堅い印象の解説者(京須偕充さんというようだ)がやっていた・・・。 あら、まだやっている、しかも志ん朝の火焔太鼓だって、放送日は、ああ、過ぎてしまった、BS-iでの放送も先週だった・・・、残念。
 そう、ぼくの場合はこの「火焔太鼓」である。ツウに言わせると志ん生のほうがいいというが、志ん生は音しか残っておらず、仕草を想像できないんだよね。それと細かいところがやっぱり少し古い。鎮西八郎為朝や小野道風では今の人にはそれこそ時代がわからない・・・。それと「二番煎じ」。これも志ん生がいいということで志ん朝のほうはかなりけなす人がいるが、志ん生のは聞いたこともないので何ともいえない。
 まあ、これらの作品をTVからラジカセに録音して、家族みんなで何回も聴いてげらげら笑っていた。家族の中では、ひとり飲んべえの父親はすでに故人となっていた志ん生を飲んだくれだったというだけでファンであったようだ。

 さて、本書はその「素人」による有名な噺の解説とそれにまつわる個人的な逸話であり、なかなか面白い。聞いたことがない噺も多数あったが、適度にストーリーや聞き所も記載されており、初心者にはいい演目指南書になるだろう。
 とはいえ、最近の現役の人はどうなんだろう。
 以前は、NHKの「日本の話芸」を録画していたがだんだん見なくなってしまった。
落語研究会 古今亭志ん朝 全集 上 やっぱり、このDVDを見るしかないかなあ・・・。
 というわけで、iTunesに入っている志ん朝の「文七元結」と「二番煎じ」、志ん生の「火焔太鼓」を聞いてみた。

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ホリプロ鉄道オタクマネージャーの鉄ちゃん

ホリプロ鉄道オタクマネージャーの鉄ちゃん
 ホリプロマネージャー南田裕介の「ホリプロ鉄道オタクマネージャーの鉄ちゃん」を読んでみた。
 タモリ倶楽部に鉄道オタクマネージャーとして登場して有名になったが、鉄子として育てた豊岡真澄は結婚して引退してしまった。もっとも新人の頃の担当は優香だったようでこちらのほうが良さげに思えるが、仕事となると違うのかも。

 冒頭に野月貴弘との濃い対談から始まり、小学校以来のハマリ度を順次紹介していくが、さすがになかなか本格的な鉄ちゃんである。
 本を読むにはある程度の鉄度が必要かもしれない。まあ車両の型式などの記号や数字がわからなくても記号として見ればいいだけだが。
 最後にタモリ倶楽部への出演の経緯や豊岡真澄の話が出てくるが、ぼくの記憶ではタモリ倶楽部の最初は昨年あたりの「埼京線ダービー」だったので、この番組そのものを以前はあまり見ていなかったのだろう。最近はリアルタイムに見て備忘用に録画もしているが・・・・。

 普通の人より少し電車が好きかもしれないけど、このことは黙っておこうと思っている人には、この本を読んで自分はまだまだ軽いんだと安心できる本。まあ、最近はそんなにタブーではないけど。

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中野翠「この世には二種類の人間がいる」

中野翠「この世には二種類の人間がいる」

中島義道「偏食的生き方のすすめ」で解説が面白かったので読んでみた。
 中野翠の名前はずいぶん昔から随所で見かけるが彼女の著作を読んだのは初めて。1946年生まれらしいのでまさに団塊の世代であるが、書体はもう少し若い。30代と言ったら言い過ぎであるが、まあ同年代には思える。
 「マニュアルを読む人、読まない人」をはじめさまざまな二種類の人間についてのエッセイであるが、かなり面白い。彼女の好みに100%一致はしないが半数以上はそう思える。特にTVや流行、人つきあいなどについては同感の部分が多い。まあ、だからこそ、中島義道の偏食的な生き方に面白い解説が書けるわけである。
 ひとつだけ気になった記述。
 「それはあのかたをヤワラちゃんと呼べる人と呼べない人だ」の項。元ネタはエッセイストの堀井憲一郎の意見であり、彼は「谷亮子をヤワラちゃんと呼ぶな浦沢直樹「YAWARA!」の猪熊柔をばかにしてんのか運動」の人である。中野翠はアイドルや芸能人、スポーツ選手をニックネームで呼ぶことであたかも自分と近い関係にするような幻想が嫌だと言っているが、堀井さんが言っている意味とはきっと違う。
 田村亮子は小学生?くらいからマスコミに出てきていたように記憶しているが、その頃はともかくオリンピック選手以降の彼女をヤワラちゃんと呼ぶのを見ているのには相当抵抗があった。で、その理由はたぶん中野翠の理由ではなく、堀井憲一郎のほうの理由だと思う。

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中島義道「うるさい日本の私」「偏食的生き方のすすめ」

中島義道「うるさい日本の私」
 「まあ、よくやるよな、暇人」というか「時間の自由がきく大学教授・・・」。というのが最初のあたりを読んだ感想。著者は町中のあらゆる騒音、なかでも無駄な放送やテープ音などに敢然と立ち向かう、そんな著者の戦闘記録である。が、最後のほうになってもう少し「哲学的?」な日本人論が展開される。
 ただ、著者の主張にはうなずけないものもある。たとえば電車の車内放送で駅に到着する前に社内放送で「次はXX」と何度も言っているのだから、到着した駅で再度「XX」というのは不要だ、というもの。少なくとも車内で爆睡状態になるぼくにとっては「次は」の時は聞こえておらず、「XX」の到着のアナウンスで慌てて降りる、って全く平和だが・・・。
 それとやはり著者は聴覚過敏の傾向があるのでは、という気はする。
 昔、音の強弱の相対性を表す話として、昼間の喧噪の中での柱時計の音と夜の柱時計の音の比較の例を読んだことがある。昼間の喧噪では柱時計の振り子のチクタクの音は聞こえないし、また昼間はその音に興味が行かないので聞こえないが、夜の静寂とともに、チクタクを聞く姿勢もでき、聞こえてくる、というものである。
 だから、どうだというものでもない。

 電車の中でiPodを聞いていても別の人の音漏れは気になるが、車内放送や線路の音は気にならないぼくだが、中島先生よりはふつうの聴覚だと思う。



中島義道「偏食的生き方のすすめ」

 この本は著者の日常がつづられながらも、いきなり偏食の話になる。日記的記述も多く、音に怒る著者の行動もよく出てくるので「うるさい日本の私」を読んでからだと、なかなか面白い。
 ぼくもかなりの偏食で、野菜は基本的に苦手、漬け物だめ、梅干しだめ、キムチ嫌い。高校の修学旅行で能登に行くまで刺身も食べたことがなかった。それでも子供の頃から比べるとかなり改善したが、著者は間違って嫌いなものを食べてしまって、問題なくてもそこで改善しない、というかする気がない。
 ビーフカレーは大丈夫だが牛丼はだめとか、よくわからない偏食も多い。
 で、著者がこの本でいいたいのは偏食そのものよりも偏食的人生というかものの考え方である。
 こういう人がユーザーだとかなりいやであろう。が、人ごととして読むとなかなか面白い。

 中野翠の解説でのポイントがぼくが感じたものとほぼ同じだったので、おお、ぼくは中野翠レベルには偏食ではないと思った。

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半藤一利・保阪正康「昭和の名将と愚将」

半藤一利・保阪正康「昭和の名将と愚将」
半藤一利・保阪正康「昭和の名将と愚将」は題名のとおり昭和の名将と愚将について対談形式で語ったものである。
 日中戦争や太平洋戦争など昭和以降の戦争については意識的に避けてきた。というのもこのあたりの話は、南方戦線やシベリヤ抑留、特攻、玉砕、原爆など前線での悲惨な話か、日本軍の現地での専横など、読んでいても気分が悪くなるに違いないと信じるからである。
 一冊だけ読んだのは同じ保阪正康の「瀬島龍三―参謀の昭和史」だけで、山崎豊子「不毛地帯」のモデルとなり、「不毛地帯」ではスーパーマンのように描かれた瀬島を「参謀の昭和史」では「戦中は大本営参謀。戦後は大商社の企業参謀。そして総理の政治参謀─激動の昭和を裏からリードしてきた男の60年の軌跡を検証する」としながらもかなり否定的に書いていることに興味を持ったからである。
 瀬島は2007年に95歳の天寿を全うしているが、最後までNTTの顧問として禄をはんでいた。それを知ったとき実にさもしいと感じた。
 本書では瀬島はもちろん愚将に分類されている。

 さて、本書そのものは、昭和史の研究家どおしの対談なので初心者には敷居は高く、解説的な説明がないので、取り上げられる軍人の履歴や戦歴をある程度知らないと十分には理解できない。冒頭に述べたように昭和史には疎いので半分以上はよく知らない軍人で、名将、愚将として名前だけは知っていたがその履歴を知らない人も多かった。取り上げた数は名将が愚将より多いがそれは読者の気分を考慮した著者側のバランス感覚であって、著者たちが述べているように名将よりも愚将が多かったのが昭和史であるようだ。

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大井良「鉄道員裏物語 」

大井良「鉄道員裏物語―現役鉄道員が明かす鉄道の謎 」

 鉄道マニアやおたく向けではなく、この業界の実態はどうなっているのだろうという一般的な興味に現役の私鉄職員が答えるものを意図しており、文筆業を目指していたとのことで書体はなかなか読みやすく、内容も楽なのであっという間に読み終わった。
 とはいえ「スジ屋」などの隠語・略語などの起源などマニア向けの話題もある。
 2008年2月の刊行でスイカや福知山事故の話にも触れており話題は新しい。

 冒頭でいきなり事故死体処理の経験談で始まり、コインロッカーで安全装置がはずれた実弾入りの拳銃を見つけた話などで目が覚める。今は御法度になったらしいが、駅内での宴会や駅長など管理職と現場との対立など経験に裏打ちされながらもそれほど重くは書いていない。

 興味深かったのは事故や自殺などで電車を止めた場合の賠償金について筆者が上司に質問したときのやりとり。上司は新人教育の一環として規則集を片手にいろいろな費用を計算させる。賠償の対象となるのは、列車の修理費、電気設備など関連設備の修理費、応援要員の人件費など直接的な費用に加え、振替輸送の運賃などの間接費用が加わる。これらを合わせると1億円は概ね超えるようである。
 ただし自殺や事故で本人が死亡している場合は損害賠償をしないケースも会社によってはあるようだが、踏切で車両立ち往生など事故だけの場合は、減額することはあるものの請求はされるようで裁判例でもそうなっている。

 ちなみに、自動車保険の対物賠償は相手の車を想定して1000万もあればと以前は思っていたが、今年から無制限に代えた。さらに自転車に乗るようになったので日常生活の賠償保険を先日追加した。






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中島義道「人間嫌い」のルール

中島義道「人間嫌い」のルール
 要旨や最後の「人間嫌いのルール」そのものはAMAZONの商品説明をごらんいただくとして、けっこうまじめで面白い。特に夏目漱石の後期三部作に登場する「高等遊民」や徒然草の台詞を引用するあたりは、学生時代に同じように考えていたので、だよねえ、と思った。
 また「走れメロス」や映画「哀愁」を題材にした「信頼と誠実さ」「信頼による支配」などの章はなかなか考えさせる話題である。
 著者はまずさまざまな人間嫌いの種類を分類・分析し、自分がどこに居るのかを表明し、次に人間嫌いとして生きるために「共感ゲームから降りる」「ひとりでできる仕事を見つける」「他人に何も期待しない」という段階をあげ、最後に「家族を遠ざける」に至り、人間嫌いとして生きるための10のルールを掲げる。

 ただし、これを実現するのはかなり難しい。
 共感ゲームを降りるとは会社や地域社会というコミュニティーを無視することであり、そのためには変人と思われても自活できる「ひとりでできる仕事」が必要であり、芸術家や大学教授というものがそれにあたる。「他人に何も期待しない」は可能かもしれないが「家族を遠ざける」とは十分な経済力で家族を養ったうえで、交渉を断つことを意味しており、国民年金だけではそれは実現できない。
 ということで、財力が先か、そのために共感ゲームに長い間付き合って蓄財するのか、という鶏と卵の論争になってしまう。

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江上剛「狂宴の果て」

江上剛「狂宴の果て」

 題名から想像できるとおり、バブルとその崩壊をテーマにしたもの。
 二部構成で第一部が幼なじみの3人の幼少から大学までの物語、第二部がバブルとその崩壊。

 第一部の出だしは田舎の里山を冒険する3人の幼なじみ、スタンドバイミーっぽい出だし。そこでの知恵遅れの双子の弟の事故死、これが第一部のその後の展開および第二部の種になっていく。
 冗長。
 ITの世界では「冗長」というと冗長構成、フォールトトレラントでいい意味(あるいは高額)に使われるが、ここではもちろん本来の意味・・・・。
 舞台を早稲田大学に設定し、大学周辺や高田馬場の著名な飲み屋、喫茶店、建物の名前が実名で出てくる。わずらわしい。作者が実名を出すことでリアリティを狙ったのであれば失敗。この界隈やお店を知らない人にはイメージが湧かないし、知っている人がイメージすることで描写を省略したようにしか思えない。
 ストーリーも現実性に乏しいし、いくら浮かれた学生とはいえ発想が稚拙。

 第2部は本来の江上剛、すなわち銀行っぽい。バブル時期の定期預金偽造証書による不正融資を幼なじみの3人が手を染め、やがて崩壊するというものである。第1部よりも展開はリズミカル。それはいったん不正をすると、それを続けないと不正が発覚するからである。
 最後に学生時代に無理矢理別れさせられた恋人の忘れ形見が出てくるのはちょっとわざとらしい。

 第1部の事故が第2部の不正を産む人間関係への伏線になるとはいえ、ちょっと長すぎる。
 第一部が雑誌公開済みで第2部が書き下ろしのようだが、2作に分けるべきだろう。

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中島義道ほか

横山秀夫「深追い」
警察小説の短編集。いずれもよく出来ている。警察にはいろいろな組織があり、いろいろな考え方をする人がいるのだということが悪い意味でよくわかる。

横山秀夫「陰の季節」
やはり警察小説の短編集。警察という組織の自己保全性がよくわかる。ある意味もっとも官僚的な組織といえる。「翔んでる警視正」はどこにもいない。

横山秀夫「影踏み」
こちらは泥棒側にたった小説。いろいろなタイプの空き巣が出てくるが主人公は「ノビ師」と呼ばれる深夜に家の者が就寝中に盗みに入るタイプ。これを読むと一戸建など怖くて住めない。

中島義道「私の嫌いな10の人びと」
椎名誠がエッセイの中でこの著者のものは全部読んでいるというので、読んでみようと思ったら、家内が図書館で借りていた。著者はカント研究者が一応の肩書き。嫌いな10人のタイプは「いつも笑顔を絶やさない人」など一般的には好感を持たれるタイプばかりであるが、氏のいうことはかなりもっともである。結局のところ一般的な組織人、大人は相手に何かの好意あるいは親切をすることが、相手も喜ぶと信じており、迷惑に感じる人はいないものと考えているということで、そのあたりは全く同意見である。
 本音で生活ができる大学教授という倒産がない究極の個人事業主が羨ましい。

中島義道「孤独な少年の部屋」
 著者の自叙伝的なもの。小学校以来の日記や遊びで作ったものをほとんどすべて保管していたりするがその時点でかなり変。こういう人は東大文1に受かっても哲学に行ってしまうのだろうなあ。

夢枕獏「陰陽師 夜光杯ノ巻」
 夢枕獏の陰陽師シリーズは全部読んでいるが、今までで一番つまらなかった。安倍晴明と源博雅を主人公とするこのシリーズはけっこう好きなのだが、もう少し意外な展開、ネタであってほしい。

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横山秀夫「ルパンの消息」「動機」

横山秀夫「ルパンの消息」


 雨の土曜日、無聊の一日を横山秀夫の2冊で過ごした。
「ルパンの消息」は横山の未刊行デビュー作をリライトしたもの。15年前の事件の時効をあと一日に控えてドラマはスタート、時代は自ずと15年前に戻るが、その時代にやはり時効(7年)を迎える事件があった。三億円強奪事件である。
 三億円強奪事件は小学校の時の事件だが、社会人になった最初の勤務地がたまたま事件発生地に近く、事情聴取を受けた上司もいて、事件場所まで連れて行ってもらったこともあった。

 ストーリーは三億円事件とはあまり関係なく進む。やや強引な展開もあるが、途中で何度もヤマ場がありとても面白い。題名のルパンは15年前のおちこぼれ高校生がたむろしていた喫茶店の名前であり、彼らが画策した期末テスト強奪作戦の名前であるが、読み終わって最後になぜルパンの「消息」なのかがわかる。
 三億円事件は誰も傷つけることなくまんまと三億円を盗み、窃盗にあった銀行も当然保険でカバーされ、その保険すら海外への再保険でカバーされたため、国内での実損はないらしい。捜査のための警察等の膨大な人件費が最大の損害であり、見事な完全犯罪に爽快感を感じたり、拍手を送った人たちも多かったことだろう。
 実在の三億円犯人の「消息」を知りたい。

横山秀夫「動機」

 もう1冊は4つの短編集である「動機」
 ミステリーやサスペンスものはほとんど読んだことがないので、こんな短編で話が作れるのかと思ったが、テーマを絞ればなかなか面白い話ができるものだ。2000年の第53回日本推理作家協会賞短編部門受賞作らしい。
 冒頭の表題作「動機」は警察手帳の大量紛失事件で、展開はやや強引ながら少しだけ意外な結末。女子高生殺人の前科持ちの男が匿名の殺人依頼電話に苦悩する「逆転の夏」は日常にありうるちょっとした罠の恐ろしさと人の恨みの執拗さが少し怖い。低迷する地方新聞社で苦しむ女性記者の話である「ネタ元」は上毛新聞社時代の著者の苦悩でもあるのか、公判中に居眠りをして妻の名前を呼んでしまって窮地に立つ判事の物語「密室の人」は訳ありげな美人妻はもらわないほうがいいと言っているのかも・・・。




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横山秀夫「クライマーズ・ハイ」

横山秀夫「クライマーズ・ハイ」
 JAL123便続きで横山秀夫「クライマーズ・ハイ」を読んでみた。
 横山秀夫といえば映画「半落ち」の原作者である。もっとも原作は読んだことがない。気になるのは「クライマーズハイ」という題名。これは「ランナーズハイ」と同様の意味合いで特にクライミング(岩登り)中の事象として言われ、恐怖心が麻痺してしまうことをいう。徒歩による登山ではどちらかというとランナーズハイの状態になることがある。自分の経験では、歩き始めて1時間を経過し調子が出てきた頃と頂上直下でへばっていたのに展望が開けてくる頃か・・・。
 そんな題名も気になって読み出した。単行本は相応のページ数であるが、割とすっと読み終わった。
 123便の事故原因とかにはほとんど関係なく、地方新聞社を描くための材料として大事件である123便の事故を使ったという印象。他紙をいかに抜く(スクープ)か、どんな紙面にするのかについて社内での勢力争いと家庭の問題を独特の筆致で仕上げたもので面白かった。

 しかし、新聞関係の方には申し訳ないが、2008年現在の自分の生活から見ると、スクープも紙面割もなんの意味もない。いまだに多くの家庭あるいは個人は新聞を読んでいるのだろうが、我が家では新聞の購読をやめて久しい。WEBが発達した数年前からもう新聞はいらないなと思っていたが、直接的には配達所の人と年に1回でも接するのが嫌で購読を中止した。物心ついた頃から最近まで日経と朝日新聞が家にあるのが普通だったが、客先で日経新聞のネタを振る必要もない業種では、新聞社のWEBサイトで十分である。ましてや部数のみ世界一の新聞社の重鎮がプロ野球のルールをこねくり回したりしているのは笑止千万である。プロ野球も興味ないのでどうでもいいが。
 あ、有料の携帯サイトは契約してます。朝見る量としてはあの程度で十分ですね。

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米田憲司「御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年」

御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年

 角松敏生に「RAMP IN」というバラードがある。1985年11月のリリース。歌詞カードの最後に小さな文字で「Dedicated to the stewardesses of JAL 123」
 520人の犠牲者を出した単独機では世界最悪の日航ジャンボ機の事故で犠牲になった客室乗務員たちに捧げた曲である。ということに最近気がついて、またこの関係の本を読んでみたくなった。

 この事故は犠牲者の数の多さはもちろん、坂本九ら有名人が乗っていたこと、4名の生存者がいたことなどで今でも飛行機事故といえばこの事故を連想するくらい有名な事故となった。個人的にも(顔は知らないが)同じ会社の人が2名犠牲になったし、大阪に帰る予定の出張者が強引に飲み会に誘われて難を逃れたケースもあったことや、当初の報道で墜落場所が八ヶ岳に近い御座山(おぐらやま)とされていたことなどをリアルタイムに経験していたので記憶に残っている。

 航空機事故の本は柳田邦男「マッハの恐怖」を手始めに一時期かなり読んだが、御巣鷹山の墜落事故については、事故機のコクピットボイスレコーダー(CVR)の録音がネットで出回った頃、断片的に読んだがまとまったものは読んでいない。当時は、4系統の油圧系統が尾翼に集中していたことによる不完全なフェイルセイフによる操縦不能とエンジン出力だけで事故から30分飛行させた乗務員たちの技量という観点でしか見ていない。

 当時の疑惑というか謎は、①事故現場の特定と救助作業開始が遅れたのなぜか、②修理ミスによる隔壁破裂から尾翼が破壊されたという事故調査委員会の報告の根拠となっている機内の急減圧はなかったのではないか(生存者である落合さんとの証言との食い違い)→ 事故報告書はねつ造? → 何のために? → 本当の原因は?
というものであった。

 というわけでAMAZONの評価がよさそうな、米田憲司「御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年」を読んでみた。2005年7月、事故から20年を目前に出版されたものである。DVDも付属しているが図書館では映像作品は貸し出さないのでDVDはなかった。ま、DVDは出来が悪いようだし、まあいいか。

 著者は赤旗の記者。冒頭は事故発生の連絡から墜落場所をさぐるまでのドキュメンタリーでなかなか面白かったが、後半は上記の謎を探るものとなっており、文体もかなり変わる。よく調べてあるし、事故調査委員会の報告も含め他の説も公平に取り上げているが、前半のドキュメンタリータッチとはうって変わって冗長な印象は残る。

 ①については自衛隊が事故原因に関与していたのかどうかを確認するために米軍を含め現場に近づけなかったためではないか、②については、修理ミスをボーイング社が認めたのはジャンボ機全体の構造問題とするよりも得策とのボーイング社および日米の政治的な問題。修理ミスにより隔壁の金属疲労が進み、破裂し、穴が開いて急減圧が行ったために尾翼が大破というストーリーにした。そのストーリーを正当化するには相模湾に墜落した尾翼の部品などは回収して調査はしない、生存者の証言(急減圧発生時には突風が吹き、機内温度が-40度になるはずだがそのような兆候はなかった)を無視してボイスレコーダーの解析もしない事故から4日めで推定原因を発表した。さらには近年、情報公開法が施行される直前の年に当時の資料をすべて廃棄した。というような感じ。
 ②について本当の原因はこの本では断定はしていないが、いわゆる急減圧は発生していなかったとは言っている。原因としては尾翼構造の問題でフラッターが発生し、先に尾翼が破壊されたのではないか。それから徐々に減圧が起こった説を紹介しながらも、整備士たちの推論である、尾翼上部の変形(外的要因による変形)も紹介している。これは尾翼に何かがあたり壊れたというもので、著書では否定しているが、自衛隊の演習中の飛行物体の衝突なども可能性として残すことになるのだろうか。冒頭で墜落地点の情報が二転三転された原因として自衛隊による現場隔離説を著者はあげるが、この間の経緯や自衛隊のヘリなどの行動はいくら昔、雫石の事故(自衛隊機が民間定期航路を横切り民間機と衝突、墜落した)があったとはいえ、ちょっと異常な感じはあった。

 最後に事故調査委員会のあり方について著者は触れている。これについては戦後初の航空機事故の頃から、結論ありき、犯人捜し、構造問題隠蔽体質は柳田邦男あたりの著書でもよく言われていることである。

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生誕100年 東山魁夷展

図録 生誕100年 東山魁夷展の公式サイトでは東山魁夷の絵を壁紙としてダウンロードできる。「残照」をダウンロードして壁紙にしてみたが、ディスプレイのせいか手元の画集3冊と色が微妙に違う。しかも3冊とも違う。本当の「残照」はどんな色なのか気になってでかけた。
 公営美術館の展覧会は17時で終了してしまうことが多いが、この展覧会は木・金・土は20時までやっているので仕事帰りに見に行くことができた。平日10時くらいは入場制限が出る盛況らしいが雨の夕方ということで予想外に閑散としていてゆっくり見ることができた。

 実物の色を見ても、帰宅して画集と見比べられないので図録(2,300円)を購入して、図録の絵と実物を見比べてみた。結論として図録と現物は同じ色である。しかし雰囲気や迫力が全然違う。油絵と違い和絵の具を使った日本画にそれほどの質感があろうとは思わなかったのだが、かなり違う。さらに色は同じなのだが照明の関係もあり全体に暗めでありそれが荘厳な雰囲気を醸し出す。図録の色の再現性は十分だと思うが、写真で言えば原寸とサムネイルの差くらいの迫力の差がある。
 ちなみに帰宅して図録と3冊の画集を比べたがやはり図録とは色が違う。そして図録と壁紙はやはり色が違う・・・。いずれにしてもこれからは図録を東山魁夷の絵のリファレンスにしなければならない。

 さて、すばらしい展示であった。総数150点という規模からそのボリュームは想像していたが、画集ではすべて同じサイズで見てしまう絵がかなりの大きさ、それも異なった大きさであり、それを実感できた。たとえば「月篁」は竹林の上が明るく画面には書いていない上部に月があることを思わせるが、これは画集の小さな画面ではなかなか実感できないが、大きな現物を下から見上げると光を感じることができる。

 驚いたのは唐招提寺の障壁画、第1期の濤声(部分)と第2期の揚州薫風が展示されていたこと。作品の性質上、せいぜいスケッチや試作しか展示されないのだろうと思っていたが、襖絵の現物はもちろんそれを支える建具、手前には奥行き二畳分の畳もあった。濤声は好きな絵であるがこればかりは奈良まで行かないと見られない、あるいは行っても障壁画が見られるかどうかは唐招提寺のwebでもわからない。本物があるがままに近い状態で見られたのでとても良かった。

 展示数も多いので図録も立派である。作品の解説が細かく、上記のとおり印刷の再現性も良いのでこれだけでも価値がある。

 売店では図録のほかに数十万円のリトグラフをいくつも売っていたが、当然見るだけ。
 1枚800円で大判の絵も売っていたが、もう飾る場所もないので、これも見送った。

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新訳 星の王子さま

新訳 星の王子さま

「新訳 星の王子さま」を読んでみたが、旧訳も読んだことがない。もともとは読書嫌いだったので、高校を卒業するまでまじめに読書したことがなかった。だから高校以前に読まされるような名作と言われるものは読んだことがなかった。それ以降に読んだものはそれ以降の年代でも読む価値があったのだろう。

 「星の王子さま」は子供の心を失った大人へのメッセージであるという通説以外に、第二次世界大戦の頃の国際社会への政治的なメッセージだという説もあるようだが、ざっと読む限りは通説でいいではないか、と思う。
 僕的には「大切なものは目に見えない」というよく聴く台詞の出所がこの本だったことを知った程度。
 大人向けのメルヘンに酔えるほど子供心は持ち合わせていないようだ。

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濱 嘉之「警視庁情報官」

警視庁情報官
 警察も交番や町の警察署あたりまでは想像がつくが、警視庁の本庁や警察庁となるとよくわからない。キャリアはいきなり警部補から始まる官僚組織であり、それなりに勉強が得意な人が多いのだろうが、試験勉強ができるのと仕事は違うし・・・・。
 というわけで「警視庁情報官」を読んでみたが、話としては面白いし、警視庁の中身や捜査というものを知るには良いが、小説としてはいまいち、いま2くらい。ちょうど江上剛が銀行小説を書き始めた頃のレベルかな。
 いろいろ表現したい、押し込めたい気持ちが前面に出すぎて、ちょっと乱雑である。

 まあ、このように国家を憂いて日夜勤務する人もいるのだろうし、必要な組織ではあるが、警察への協力者へはにっこり笑って身辺調査で身ぐるみはがすような仕事はやりたいとは思わない。

 主人公がキャリアでないけど早稲田政経から入ったという設定は、所轄の警察署の風景を描くのに必要だったとはいえ、キャリアの設定よりは良いが、仕事の出来も容姿もかっこよすぎて早稲田っぽくない。

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椎名誠「ごんごんと風にころがる雲をみた。」

椎名誠「ごんごんと風にころがる雲をみた。」
椎名誠「ごんごんと風にころがる雲をみた。」を読んだ。
 椎名誠の本はかなり読んでいるがなかなかその多作に追いつかない。
 モンゴル、チベット、北極圏、シベリア、パタゴニアなど世界の異境への旅をオムニバス形式でまとめている。寄せ集めなので以前に読んだ記憶のあるものもちらほら。
 椎名誠は1944年生まれだから今年で64歳というすっかり高年の部類に入るが、若い頃とあまり変わらない行動力と体力で動き回り、飲みまくっている。

ワニのあくびだなめんなよ  赤マントシリーズは電車の中で読み流すのにちょうど良いので(元が夕刊フジの連載エッセイだったか)新しいのでが出ると読み散らかしている。今回の「ワニのあくび~」はたまたま「ごんごんと~」と時期が同じだったようで、「ごんごん~」の取材裏話のような話が「ワニのあくび~」に出ていて面白かった。

【訂正】赤マントは週刊文春の連載でした。夕刊フジは別のを連載しているとあとがきにあった。

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中島 誠之助「ニセモノ師たち」

中島 誠之助「ニセモノ師たち」
中島 誠之助「ニセモノ師たち」を読んだ。TV「なんでも鑑定団」の中島センセイである。
 TVでは偽物だと千円とか鑑定しているが、実際のお客さんにはそのようにはいわないようだ。「大事になさってください」とか「変わったものをお持ちですね」「楽しんでますね」というような感じ。
 もっともプロがひとめで見てわかるようなニセモノはこの本の主題ではなく、プロがプロをだますようなものがこの本のテーマになっている。中島センセイのお父さんも手を染めたこともあり、中島センセイも痛い目にあっている。やはり筋というものはあるようで、出所とか、あるいは妥当な値段とか・・・。
 あのTVが15年も続いているのは他人の不幸を願う日本人の習性と、たまに出てくるいい話、お宝のせいだろうが、あのTVによって骨董や昔のおもちゃなどが見直されたのも事実。残念ながら我が家には鑑定してもらいたいものは全くないので(横浜の実家に古いおもちゃが売るほどあったが、噂では北原さんという人がトラックで来て、二束三文で根こそぎ持って行ったらしい)これからも、楽しく眺めるだけである。

 それにしても中島センセイ、ずいぶん本を書いているなあ。

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山田詠美「風味絶佳」

山田詠美「風味絶佳」シュガー&スパイス 風味絶佳

 「風味絶佳」は映画「シュガー&スパイス 風味絶佳」の原作本である。エリカ様と柳楽優弥主演のこの映画ではどうやら作中に「ダイヤモンド富士」が出てくるらしいという噂を某ネットでみたのでそれで読んでみた。
 で、小説にはそんな言葉は全く出てこなかった・・・・。

村上龍「限りなく透明に近いブルー」
 が、表題作をはじめ、すべての作品が、山田詠美ってこんな感じだったかなあ、と思ってしまう、どことなくほんわかとろりとした印象の小説集である。中ではやはり表題作の「風味絶佳」がよかったが、ひたすらグランマの元気のせいだろう。グランマ役は映画では夏木マリが演じたようだが、1952年生まれの当時54歳。ちょっと若すぎるような気もする。雰囲気としては元気な白洲正子かなあ。

 山田詠美の作品は大昔に1つか2つ読んだだけであるが、当時の印象は横田基地と福生の印象が強く、女版「限りなく透明に近いブルー」であった。おお、これって村上龍のデビュー作、群像新人文学賞ではないか。村上龍も最近はすっかりいいおじさんになって青春を語ったりしているけど、デビュー当時は過激で訳がわからなかった。山田詠美も年月を経たということか・・・。

 ちなみに群像新人文学賞は村上龍が1976年、78年の中沢けい「海を感じる時」を経て79年に村上春樹「風の歌を聴け」となるが、それ以外は全く知らない。(74年受賞の高橋三千綱は受賞作は知らず、78年の芥川賞「九月の空」を読んだ)

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白洲正子「器つれづれ」

白洲正子「器つれづれ」
 白洲正子「器つれづれ」を読んだ。
 生前の正子がいろいろな場で発表した陶器に関する文章を彼女の遺品となる陶器の写真を交えてまとめたものである。編集までは存命していたが刊行時には正子は故人になっていた。
 骨董にも器にも興味はないが、なんとなくゆったりとした気分で読める。器の写真もきれいだが、おそらく百万円単位の名品の陶器も写っているのだろうが、ぼくにはいくら蘊蓄を説かれても、100円ショップとはさすがにいわないが、そこいらで売っているものとの区別は当然ながらつかない。
 過去に発表した文章の寄せ集めなので、読んだ記憶がある文章も多いが、そういう文章にこそ味わいがある。
白洲信哉「白洲次郎の青春」
 が、孫の白洲信哉は祖父が小林秀雄とは思えないほど文章はいまいちである。おそらく祖母・正子の関係で細川総理の秘書も務めた人物のようだが・・・。 白洲信哉「白洲次郎の青春」は、祖父・白洲次郎が青春時代をすごしたイギリスや卒業旅行の道筋をベントレーで訪ねる紀行であるが、なんとなく読み続ける気が起こらず、早々にリタイヤした。

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旭山動物園の本4冊

坂東元「動物と向きあって生きる」
 坂東元「動物と向きあって生きる」を読んだ。本文の漢字にはルビが振られ小学生でも読めるようになっている。

 著者は旭山動物園の副園長。この動物園が廃園寸前から立ち直り、今や日本一の入場者数を誇る人気動物園となったことは有名だ。坂東さんは「行動展示」といわれる手法で動物本来の能力や凄さを見せることで、この動物園を有名にしたかずかずの展示館を考えた人である。特集TVになると必ず案内者として出演し、興奮しているタレントを横目につまらなさそうな顔をブラウン管、じゃない液晶に映し出している。これだけ有名になって取材攻勢ではいろいろ疲れるのだろうなあ、と半ば同情の気持ちで副園長を眺めていた。
 ちなみに坂東さんもぼくとほぼ同年代。
 
 そんな坂東さんの著書なので、動物園の復活までの話を動物の話を織り交ぜながら楽しく語るのかな、と思っていた。が、もっとストレートな意思表示であった。

 転校が多かった小学生のころの生徒はもちろん教師によるいじめ、それを受けてどんどん昆虫にのめりこむ坂東少年の記憶から始まり、虫から鳥、やがて獣医をめざし、旭山動物園での野生動物との出会い。それぞれの段階で動物とは命とはということを様々なつらい思い出から心に刻んでいく・・・・。小学生時代の最初のあたりを読んだだけど、これはとても重いテーマの本かもしれないと気がついた。
 彼が語る、野生や命についてここで簡単にまとめることは難しいが、彼の熱い語り口に星野道夫を思い出した。星野道夫はアラスカの自然、クマやカリブーなどの動物や森を含めたアラスカの自然そのものを畏敬してやまなかったが、坂東さんの野生への思いも似たような根を感じる。

 ペットと野生動物の厳しい区分け、動物園の在り方、野生動物たちの共存はけっして「仲良く」ではないこと、「いのちは大切」という耳障りの良い言葉のウソなど、動物園の動物を見て「カワイイ」としか感じなかったぼくには、目をさまされる内容であった。
 典型的な話がこの本にも記載されている「レッサーパンダ風太くん」事件。ある動物園でレッサーパンダの風太くんが立ったということがメディアでもてはやされ、他の動物園でも同じような話が出てきて、ブームになったことを氏のブログで批判したことに、逆に批判された出来事である。坂東さんは、野生の姿を見せるのが動物園の使命であり、餌で無理やり立たせるような芸をさせて「見世物」にしたことや、それをメディアがもてはやしたことを批判したのだが、なかなか受け入れられずブーイングの嵐となり、やむなくお詫びのブログを書いた。
 この事件で、旭山動物園の人気は、野生動物のありのままに見せる行動展示にあるのではなく、その結果としての動物のかわいさのみに由来していることに氏は改めて気がつくことになり、自分たちの努力が途上にあることを知る。

 自然保護や温暖化といった問題についても動物のプロとしての観点から述べられており、なかなか興味深い一冊である。
旭山動物園のつくり方―「伝えるのは命」最北の動物園からのメッセージ

 とにかく、旭山がここまで復活できたのは、どん底時代の動物園の周囲、とりわけ上司にあるのではないかと思わせる表現が本書のなかにいくつか見られたので、現在の園長が中心の本も読んでみた。それが「旭山動物園のつくり方」である。この本で園長が述べていることは坂東さんが言っていることとまったく同じであり、動物園としての姿勢がぶれていないことがよくわかる。

旭山動物園へようこそ!―初公開!副園長の飼育手帳・写真

 もっと気楽な読み物としては「旭山動物園へようこそ!―初公開!副園長の飼育手帳・写真」がある。これも坂東副園長の文章になるものであるが、動物園紹介の本なので、考え方は「動物と向きあって生きる」ともちろん同じながらももっと表現がやわらかである。



旭山動物園写真集 (DVD-VIDEO(1枚)付)
で、ぼくのように遠くてなかなか行けそうにない人には「旭山動物園写真集」が良い。DVD-VIDEO付でアザラシやペンギンの動画も見ることができる。本文の写真集はペンギンなど人気動物に限らず、かなり広範囲に収録している。2005年の刊行なので、まだゾウも写っている。

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劇団ひとり「陰日向に咲く」

劇団ひとり「陰日向に咲く」
 劇団ひとり「陰日向に咲く」を読んだ。
 映画より原作がいいというので読んでみた。最近、芸人のしょうもない本を2冊読んで間もなかったので、まともな文章にほっとした(と、ここまで昨日の角松敏生と同じ・・・)。

 けっして感動作ではないけれども映画にするとけっこうさわやかなものになるのではないかと思える佳作である。
 すべてのエピソードはそれぞれの主人公のモノローグの形で進む。冒頭の「道草」はホームレスの話なので少し前に読んだ、芸人田村某の駄作を思い出してちょっとイヤな感じがあったが、まあそれほどでもない。ストーリーとしてはなかなか面白いがモチーフはありきたり。ただこの小説が工夫しているのは、ひとつのエピソードで登場した主人公が大小の差はあれ、別のエピソードにも絡む形にしていることだろう。これは明確に映画化を意識した造りだ。映画では別々のエピソードをばらばらに流しても退屈な2時間になるだけで、様々な登場人物の絡まないと1つの映画にはできない。

 とはいえ後半のギャンブラーからオレオレ詐欺になりさがる主人公から相手の婆さんとその過去のエピソード、さびしい葬儀の最後の訪問者などの流れはこれだけでもスクリーンにまとめることができており、よく計算している、と改めて感じた。
 ただ、あのギャンブラーの口調はV6の岡田くんではなくて、やっぱりルー大柴がぴったりのような気がする。

 映画では婆さんの娘が登場するようで、たしかにそのほうがストーリーがまとめやすいなと思う。

 さて、劇団ひとり、次が書けるかなあ。

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石川英輔 「大江戸テクノロジー事情」

石川 英輔 大江戸テクノロジー事情
石川英輔 「大江戸テクノロジー事情」を読んだ。
 著者は江戸時代風俗研究家・作家でNHK「コメディー道中でござる」で江戸風俗の解説をしていた。
 江戸時代は長い鎖国で海外からの技術流入がなかったがそのなかで江戸の日本人が発明・発展させた技術を解説している。
 和暦、和算、時計、からくり人形、富士塚、錦絵、銃、刀、天文学、馬、鍵、花火、朝顔
 どれも興味をそそるものばかりであるが、和暦(大小暦)、時計、天文学の一連の暦関係が面白かった。
 いわゆる太陰暦・旧暦であるが、江戸の人々がなぜ旧暦を使われたのか。いや明治になって新暦になるまで日本人は奈良時代からずっと旧暦を使ってきた。
現在の新暦のように1月1日の曜日がわかれば1年のカレンダーが機械的に作れる暦と違い、30日までの月、29日までの月が毎年変化し、たまには閏月があって13か月ある旧暦は、現在からみるとなんと不便なと思えるが、月明かりの社会では旧暦が便利だった。電灯の50分の1くらいの明るさの行灯やろうそくしかなかった当時の人々の、太陽と月を基本とした生活。ある日の夜の月の明るさがどの程度かというのが大事な社会での旧暦の立場を考えるとそうなる。お月見はもちろん、夜に盆踊りが開催されるお盆は満月である15日でなければならない。新暦を使いながら別に満月の日を計算する必要はない。

 銃、馬といった軍事面も面白い。江戸幕府は当然軍事政権であるが、元和偃武以降の平和ボケで軍事的制約を受けた外様大名はもちろん幕府そのものも実体的な軍事力がどんどん衰退し、幕末には将軍の前での閲兵式でも馬に乗れない旗本がずらり・・・、織田信長という一武将が3000丁という世界一の数の銃を持っていたころとは大違い。

 個々の項目についてもいきなり江戸時代に入るのではなく、銃や花火であれば火薬の歴史から紐解いてくれるのでわかりやすい。根底には江戸時代の省エネ社会、利益よりも遊びに使ってしまう社会への好感と、近代以降の西洋資本主義が行った破壊と利益追求への著者の嫌悪感がそこここににじみ出ており、それを嫌う評価もあるが、からくり人形?すごいね、で終わらずに考え込んでしまう部分を持つ著書である。

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「都市伝説」2冊

ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説
 ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説。芸能人の本は期待はずれなのでほとんど読まないが、都市伝説に誘われて読んでしまった。
 都市伝説そのものも、あまりに有名な口裂け女や徳川埋蔵金があるかと思えば、そんな噂があるのか?というレベルのものまであるが、なにせ解説が下手で全く面白くない。この数年の中で最低の本でした。

アエラ都市伝説探偵団「都市伝説探偵団」
 口直しにアエラ都市伝説探偵団「都市伝説探偵団」を読んでみた。こちらは正統派都市伝説を割りとまじめに研究している。朝日新聞アエラだけのことはある、とほめあげるほどではないが、直近に読んだ本がひどすぎたので・・・。
 「からだの伝説」「健康の伝説」「恐怖の伝説」など分類わけしてあり読みやすい。
 恥ずかしながら、この本を読むまで信じていた都市伝説もあった・・・。
 そのひとつが「死体プールの高額バイト」。この話は中学の数学教師が自らの体験談のように話したので、その話が出るたびに、「あるんだよね、そういうの」ってとくいがっていた・・・。もうひとつが幼少のころに聞いた「いたずらすると黄色い救急車が来て精神病院に連れて行かれる」というもの。
 今でこそ都市伝説といわれて信じられていないこともその根拠があったりしてなかなか面白い。

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後藤田正晴「政と官」

後藤田正晴「政と官」わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト
後藤田正晴「政と官」を読んだ。
 後藤田正晴については佐々淳行「わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト」を読んだことがある。佐々さんから見た後藤田さんは常に悲観的な想定をしながら物事を決断していった。後藤田も佐々も警察官僚だからそうなるだろう。
 「政と官」は一部に著者の生い立ち、経歴が記されており、警察庁退官後の政界入りの判断も記されている。政治家も官僚も経験した後藤田さんによる両者の境目と役割分担はわかりやすい。戦前の「天皇の官吏」から戦後の「国民の公僕」に立場が変わっているのにそれを認識していない官僚が残っているとの記述はさもありなんである。
 また、このクラスからみた、田中角栄、中曽根、竹下、宮沢、安倍(もちろん父親のほう)、細川といった有名政治家の評価は興味深い。

 この人の本を読んでみようかと思ったのは中曽根政権での官房長官時代、イラン・イラク戦争でのアラビア湾への自衛隊派遣を拒否したからだ。専守防衛の範囲をどう考えたのか、憲法との関係をどう考えたのかを知りたかったからである。現在の憲法の解釈では専守防衛が限界であり、また機雷掃海作業なども自衛隊法の設立趣旨から日本近海に限定されるから無理である、ということ。この問題に限らず成文解釈には限度があるのだから法律が間違っていると思えば政治家は法律を変えてから行動せねばいけない、という考え方である。だから自衛隊派遣反対=憲法改訂反対とはならず、目的にあった法律の改定を行うことが代議制民主主義で選ばれた政治家の役割である、という非常に筋の通った話になる。閣僚の不祥事と本人の経験不足で政権を投げ出してしまった安倍(息子のほう)さんの政権方針は正しかったと最近になって再評価されているのにもうなずける。

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江畑謙介「日本防衛のあり方」

日本防衛のあり方―イラクの教訓、北朝鮮の核
江畑謙介「日本防衛のあり方―イラクの教訓、北朝鮮の核」を読んだ。2004年の刊行である。

 本書は「武力を持たなければ、相手も攻撃してこない」という現実から目をそむけて安心している人たちに最低限の軍事知識と国際情勢を教示する啓蒙書と言える。特に国政やメディアの報道で故意あるいは無知なために展開された武力保持=戦争という国民受けする曖昧かつ誤った概念へのアンチテーゼといえる。

 イラク戦争の総括、北朝鮮の核兵器と弾道ミサイル、日本の選択肢の3部構成となっているが、最初の2部が現状分析であり、結果として最終章があるわかりやすい構成である。
 イラク戦争の総括では戦争に直接かかわった米軍とイラク軍の軍事的・技術的な検証はもちろんあるが、それ以上に興味深いのが当時のフセイン政権が米軍に本気で勝てると思っていた証拠とその背景である。要するに独裁体制によるトップへの適正な情報伝達の阻害と政治的に「負けたことがない」という宣伝、負けたことがないから改善する必要がないという道筋である。イラク戦争の勝敗は米軍とイラク軍の暗視装置の差であるとよく言われる。米軍が相手の赤外線を検知するため火災の煙幕の向こうの敵を把握できたのに、イラク軍はベトナム戦争当時の光増式(弱い光を強く見せる)であるために火災の炎が明るすぎて使えなかったという話である。これは事実のひとつであるが、なぜそうなったのかというのが先のトップへの情報の問題であり、独裁政治、とりまき政治が弱体化していく理由である。
 同じような状態は第2部の議論でも当然あり、量はすごいが朝鮮戦争当時とあまり変わらない装備が実態のようだ。しかし、だから安心できるわけではなく、弾道ミサイルや核の問題が解決されているわけでもない。特に北朝鮮の場合は、イラクとは違い、平地が少なく、多くの民間人が戦場となる範囲に居住しており、兵器のほとんどが地下に格納されていることから、仮に米軍が攻撃をしかけたとしてもイラクのように簡単にはいかないと筆者は推測する。また仮に南北で開戦となると国境から40キロでしかないソウルは一旦は間違いなく壊滅的な破壊を受けるとも予想する。
 また南北情勢についてはロシア、中国とも経済的に韓国(資本主義)主導となる統一は阻止したいはずとの意見も述べる。
 日本の選択肢では自衛隊の装備が米軍に次ぎ近代的ではあるものの「専守防衛」のための政治的配慮のために遠距離での運用を行う必要がある国際貢献や平和維持活動にいかに効率が悪いものであるかも述べられており、誤った国民の認識により、結果的に無駄な税金投入が行われ、しかも日本以外の世界では認められない議論で安心し、国際社会から孤立を深めていく日本の現状がわかる。
 「自衛隊=>軍隊=>太平洋戦争」したがって九条死守という思考はいかにもヒステリックな日本人らしい発想であるが、戦後の日本人をここまでヒステリックにさせたのは戦前のマスコミや政治であることは間違いない。

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福原直樹「黒いスイス」

黒いスイス
 福原直樹「黒いスイス」の「黒」とは暗黒面である。
 国民皆兵制度の永世中立国スイスを知る本を探したが見つからなかったので、題名があやしいこちらを先に読んでみた。
 多少でもスイスの歴史を知っている人には驚くことでもないのかもしれないが、ヨーロッパアルプス、レマン湖、時計くらいのイメージしかないぼくには十分衝撃的な内容である。
 この本に書かれたスイスの暗黒面は、ジプシー(ロマ)の子供誘拐、親からの隔離、差別といったナチスのホロコーストを彷彿とさせる人種差別政策に始まり、そのような政策を許す国ならばやるであろう、第二次大戦中のユダヤ人への難民受け入れ拒否、つい最近まであった核装備計画、移民への激しい嫌悪と監視社会、他国では考えられない麻薬政策そしてマネーロンダリング・・・。いずれも公的な資料とインタビューによるものである。
 フランス、イタリア、ドイツに接した小国が生き抜く知恵ともいえるが、美しいアルプスの国からはなかなか
想像できない過酷な現実でもある。
 マネーロンダリングについてはゴルゴ13の秘密番号口座ではないが、たぶんゴルゴ13以上の莫大な不正蓄財による金融資産がこの国にはいまだに眠っているようだ。リストの中にはマルコス(5億ドル)をはじめ著名な独裁者が多数あった。かの国では所得の申告もれ程度の脱税は犯罪ではないようで、高率な所得税を課す他国から救うという気持ちすらあるようだ。残念ながらぼくには関係ないが・・・。
 
 これらスイスの黒い部分の大元は外国人労働者による労働市場のひっ迫に対する国民の異常な警戒心から来ているようだ。たしかに肌の色や目の色が異なり、別の言語を話す人が周囲にあふれるのは生物学的に防衛本能が働くだろうし、同じような思いをしないこともないが、少なくともこの本が執筆された2004年になっても国民のかなり多くの部分がユダヤ人をヒトラーのいる国に追い返した当時とあまり変わっていないのはいかがなものかと思う。最近この国でも勃興しているネオナチの人たちはナチスと同盟した日本を尊敬していると本書には書いてあるが、ネオナチ以外のふつうのスイス人は黄色い肌のアジア民族を本心ではどう思っているかはわからない。

 スイスは連邦政府よりも州のほうが力があり、その州の国民投票により決定されることもいまだに多く、直接民主制の発祥として有名であるが、間接民主主義とどちらが正しいのかどうか、スイスの例を見ると考えざるを得ない。民主主義とは権利と義務の組み合わせてあるはずなのが、権利、もっと言ってしまえば、趣味・趣向で決定していないか、という印象がある。同じようなことは、日本でも近々始まるらしい陪審員制度にもいえるかもしれない。陪審員がすべて正しい法律知識と常識の持ち主かどうか、ということである。同じことは間接民主主義にももちろん言えるが、正しい情報を伝えられていない場合、間違った判断をする可能性はどちらが多いのか。

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能勢 伸之「ミサイル防衛」

能勢 伸之「ミサイル防衛 日本は脅威にどう立ち向かうのか」
 では、北の国から(もちろん富良野でも倉本聰でもない)のミサイルにどう備えるのか、というのが能勢 伸之「ミサイル防衛 日本は脅威にどう立ち向かうのか」である。
 「憲法から見た安保条約」の川村さんなら、2006年7月の7発のミサイル発射実験も、あれはイランにミサイルを売るための性能デモンストレーションであって、本気ではないし、これを外交交渉に使うこともない、とおっしゃられるかもしれないが。
 この本の著者能勢伸之氏はフジテレビ政治部専任部長兼解説委員であり、防衛問題が長いとはいえ研究者ではなく、マスコミのひとなので、本書の書き方もやや聞きかじり的な部分もある。防衛問題だけでメシを食っている人ではないのでしょうがないだろう。
 それでも、弾道ミサイルの定義、敵ミサイルの能力探査方法、発射の検知方法と続き、迎撃方法と北のミサイルへの対処方法とつなげる、わかりやすい解説本である。
 
 ミサイルなんて少なくとも米軍はたくさんの種類を持っているんだろうと思っていたのだが、大間違い。冷戦時代のSALT/STARTという名前だけは聞いたことがある兵器削減交渉で米ソとも廃棄してしまっており、ICBM(大陸間弾道ミサイル)くらいしかない。そもそも弾道ミサイルというのは大気圏外まで打ち上げてあとは重力で弾道(放物線)を描いて落下するものなのでそんなに正確には当たらない。ICBMでも良かったのは核弾頭を積むので、20-30キロずれても効果があったからだ。最近の弾道ミサイルは50メートル程度の精度があるようだ。
 一方、迎撃ミサイルはピンポイントで当てる必要があり、精度が違うのだ。ゴルフに例えれば攻撃用ミサイルはフェアウェイを外さなければ十分なドライバーに対して、迎撃ミサイルはドライバーで打ったゴルフボールをフェアウェイに落ちる前に別のボールで当てるようなもの。ドライバーを振るのは誰でもできるが、飛んできたボールに当てるのはウッズでも無理だろう(星飛雄馬か花形満ならできるかも)。それを可能にするのが最先端のハードとソフトである「ミサイル防衛システム」であるが、湾岸戦争で有名になったパトリオットから始まるこのシステムもまだまだ開発中ということでけっして万全とはいえない。
 ミサイル発射事件を聞いたときは、所詮あの国のレベルでは大したことはないのだろうと思っていたが、実はミサイルについては輸出ができるほどの先進国であり、7発のうちのいくつかはかなり近い場所に落としておりそれもその技術の証明ということらしい。

 弾道ミサイルが発射されると監視衛星や地上レーダー、イージス艦などが数秒以内で検知、2分程度で迎撃ミサイルが発射されるという。そのための監視衛星の役割、弱点、早期警戒機やイージス艦の実力、レーダーの種類やミサイルの推進方法などメカ好きには面白いが、メカの中で動くソフトやそれぞれを結ぶ無線データ通信システムなどをもう少し掘り下げた解説があったらなおよかったが最高機密なんでそれは無理だろうな。最近自衛隊でイージス艦の情報漏えいが発生したが、その問題の重大さもよくわかる。
 2006年7月のミサイル実験も米軍は5月から兆候をつかみ各種警戒システムを準備、2発目が発射されたあとに探査機が離陸、5発目、6発目が発射されたときは、すでに会見中であったが、リアルタイムに発射場所、種類を特定して連絡してきたようだ。
 そのくらいのレベルに来てはいるミサイル防衛システムではあるが、まだまだ日米の壁や命中精度、さらには新たな方式による攻撃ミサイルの登場など、ここも追っかけっこであり、莫大な資金と時間がかかることは理解できるが、その価格が妥当かどうかというとかなり怪しい。

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江畑謙介「安全保障とは何か―脱・幻想の危機管理論」

安全保障とは何か―脱・幻想の危機管理論
 続いて江畑謙介「安全保障とは何か―脱・幻想の危機管理論」を読む。
 江畑さんは、ご存じのようにTVで独特の髪型を振りかざして語る軍事ジャーナリストで、容貌からうさんくさい感じを持っていたが、この本はうさんくさいところがない。TVで語るよりもよっぽど常識的かつ論理的でわかりやすい。
 「憲法から見た安保条約」の川村さんは「ソ連の脅威がなくなったから(攻撃されない)」と呑気なことを言っていたが、江畑さんはソ連の脅威がなくなったあとの世界情勢こそが難しいと始める。資本主義対共産主義あるいは国対国というわかりやすい対立構造ではなく、国の中でもあるいは国とは関係なく民族、宗教、党派での対立(中東やアフリカ、中国など)が起こり、より複雑かつ「何でもあり」になっている。「何でもあり」はまさに字の通りで、国対国であればとりあえず国としての体面を保ち最低限のルールのもとでの戦いであった、宗教・民族やイデオロギーの戦いは、国際社会での体面とかを意識しないので国よりもさらにひどいということ。自爆テロ・無差別テロは国家の軍隊では指示しないだろう。
 石油資源を握る中東がアメリカからもっとも遠い地域であり、経済活動のほとんどが海運である現実のなか、石油を確保したい中国や民族自決に目覚めた東南アジアの影響が大きな海運ルートの安全確保を誰がするのか。それができるのは今のところアメリカしかなく、紛争があった場合に現場に急行ができる位置にある米軍基地からの出撃や出動を日本は安保条約違反であるからと拒否できるのだろうか。日本人相手のテロがあって当該国から自衛隊出動要請があっても拒否する国を世界は認めるのだろうか、代わりに出撃する米軍の家族は日本を好きになるだろうか。
 ざっくりいうとそんな話が順序を追って記述される。
 憲法の条文あるいは国連憲章だけを前提にしてこれらの地域の安全をいかに守れるのか(守れない)というのが氏の主張である。

 氏の主張するところは軍備は外交の手段のひとつであるということである。これだけだと軍国主義とすぐ批判されそうであるが、予算規模だけならアメリカにつぐ世界3位の軍事大国である日本の現状、仮に安保がなくなった場合に間違いなく日本は軍備増強するというのが世界の専門家の意見であり、そちらを警戒するほうが世界では趨勢であるということを知っておくべきだ、との意見である。もちろんそうなった場合、現在の所得税率では防衛費はカバーできないだろう。

 九条を守ろうという人たちはこういった現実の課題に、日本人だけでなく世界の人が納得できる対策を提示する必要があろう。

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「憲法から見た安保条約」

川村俊夫「ちょっと待った集団的自衛権って?」
 先日見た映画「ミッドナイトイーグル」は北アルプス山中に墜落した横田基地の米軍機に搭載された核爆弾を北の工作員が爆発させようとする話である。総理役を演じた藤竜也はハリウッドでの舞台挨拶で「これは現実の恐怖」だと語った。

 というわけでこの話はどの程度現実性があるのかなと興味が湧いた・・・。
 最初は安保とか安全保障とかの用語と課題のポイントをつかむため、護憲的な人の本を読んだ。こういうことは反体制側のほうが真実を書いていることが多いので。
 川村俊夫「憲法から見た安保条約」(1997年)
 出だしから新憲法の施行以降、前文や9条が蹂躙されていく様子を記述しているが、やや感情的。
 こういう議論は事実を淡々と語るほうが説得性があり、熱く語るほど読者は醒める。

 日米安保条約や自衛隊が憲法と相容れないことは本を読まずともわかるし、「日本共産党以外」の政党がどんどん安保容認、合憲に傾く様子はわかる。ではどこかにとるべき方策の提言があるのかと思ったが、最後のほうに「ソ連という脅威がなくなった」だけで安保も自衛隊もなくしても攻撃を受ける懸念はないというのではあまりに楽観的で能天気。まあ97年刊行なんで「日本共産党以外」の政党を切り捨てる著者もテポドンはもちろん拉致事件が現実のものとは思いもよらなかったのだろうが、自国領土内への直接的な攻撃以外にも石油ルートや商船ルートの破壊やその対策あるいは中東やアジアの情勢というものはこの方の頭にはないようで、憲法の条文を至高のものとして思考しているようで、宗教的ですらある。
 誰だって戦争は嫌だし、自分や家族を戦地に行かせたくない。しかし、話せばわかるの性善説が通じるほど世界は簡単ではない。九条があれば、自衛隊がなければ、安保がなければ平和に暮らせると思うことと、安保があるから、アメリカが守ってくれるから日本は何もしなくていいと思うことにあまり違いはないと感じるが。

 護憲運動そのものの理念には賛成してきたつもりだが、要するに護憲論者って説得力も代替策もなく何でも反対する政党みたいな人たちなのね、と認識してしまう。

 著者は2007年5月に「ちょっと待った集団的自衛権って?」(未読)という著作があるようだが、ユーザーレビューに「日本の周りは(略)安全保障上の脅威が大きい国々で、核兵器も米国以外で3ヶ国が持っています。 このような状況下で共同体構築構想を持ち上げ、九条改憲阻止を訴えられても説得力が感じられません。」とあるので、主張も論法も変わっていないんだろう。

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飯島夏樹「ガンに生かされて」

飯島夏樹「ガンに生かされて 」飯島夏樹「ガンに生かされて 」を読んだ。
 「天国で君に逢えたら」を読んだあとにこれも読みたいと思いながらも、ガンで死ぬ人の話は率先して読みたくはないなあ、と思っていたが、図書館の予約が回ってきたので、いやだなあ、と思いつつ読んだ。
 で、いろいろな意味で読んでよかった。
 著者である飯島夏樹がガンになってからのブログをまとめたものが本書である。余命宣告を受けてハワイで暮らす日々を描いているが、とても明るいのが最初の頃は違和感すら感じた。
 発病直後にパニック障害、うつ病になったというがそれをどのように克服したかはよくわからないが、周囲の助けを借りて書くことに生きがいを見つけて決して平穏ではない日々を神に生かされているという感謝の気持ちを以って綴っている。夫婦で形だけの洗礼を受けたものの熱心な信者ではないが、聖書にたくさん出てくるよい言葉を二人の共通基盤として、小さな喧嘩を乗り越えている。
 この本がフィクションであったなら、病人がこんなに冷静に自己分析できっこない、できすぎだといわれるだろう。ターミナルケアを考えさせられる本であった。

 ただし映画のほうはどうも作りこみしすぎている印象があり、これを機会に見てみたい、という風には思わなかった。

P.S 書き忘れた。
彼は最後の舞台に大好きなハワイを選んだ。ハワイは言うまでもなくアメリカ。もっとも医療保険の遅れた経済大国である。容態が悪化して救急車を読んでICUに入ると1日2日で無事に退院しても「トヨタのミニバン新車1台分」の請求書が来る。「せめてコンパクトカーくらい」だったらと思う夏樹。ガン患者だから民間の保険には入れないが入れたとしても年間の保険料が5000ドルに1回の診療で2割負担。ミニバン1台がHDDカーナビ1台分に変わるくらいか。

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青山二郎をめぐる3冊

 青山二郎の名は白洲正子の著作で初めて知った。
 とらえどころのない人物である。10代で骨董の目利きとなり、それまで茶道中心だった陶器の鑑賞方法に変革をもたらし、李朝白磁などを広め、今につながる骨董ブームの基礎を作った。
 「われわれは秀才だが、あいつは天才だ」と小林秀雄に言わせ、彼の文章を批評し泣かせることができた人。
白洲正子「いまなぜ青山二郎なのか」

 白洲正子「いまなぜ青山二郎なのか」は師から「韋駄天お正」と渾名された弟子・正子から見た青山二郎論で、人となりがわかるが、さすがの白洲正子も師にはやや甘いかという印象。単行本の装丁は青山による。

白洲信哉「天才 青山二郎の眼力」

 一方、正子の孫 白洲信哉「天才 青山二郎の眼力」は、図画を多様した時系列の標準的な青山伝であり、辞典・図鑑的に理解できる。


 もう少し内面に迫るのが「思い出の小林秀雄」等の著作がある「文学界」の野々上慶一の「高級な友情」。青山二郎と小林秀雄の出会いから訣別までを本人たちや周囲の著作で綴る。内容もかなり深く、書き方もやや小林秀雄寄り、すなわち中原中也などそちらの話も多く、小林秀雄研究書とも言える。「思い出の小林秀雄」と重複する文章も多い。

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白洲次郎「プリンシプルのない日本」

プリンシプルのない日本
白洲次郎「プリンシプルのない日本」は「文芸春秋」に50年代に連載していた氏のエッセイが中心の著作である。
 立場的には東北電力会長時代のものが多く、まだ十分に「戦後」であった時代を感じさせる。この時期電力開発は復興の鍵でありその要は水力発電であり、それを推進する立場からの著作が多いが、マックァーサー(と、白洲は書く)とやりあったころの話や吉田茂との話も多い。
 新憲法、財閥解体、公職追放、日ソ共同宣言といった歴史上の出来事としか理解できない現代人にとって、当時の空気をそのままに伝えるのは著作が当時のことで当然ではあるが、政治、経済、官僚などに対する苦言は、今の時代にこのくらいはっきりと物申す人がいると面白いなと思わせると同時に、当時と今で、やっているレベルに差はないな、とも思う。
 瀕死状態の経済であった当時の日本が今のような経済大国になることは当時はさすがの白洲さんも想像できなかったようであり、また現代の人権尊重、男女平等の観点からは問題になりそうな発言も多々あるが、気楽に読むこともできるし、深く考えることもできる一冊である。

書き忘れたので追記(2007/11/24)。

 1969年の「諸君」の記事で、政治の混乱の大きな一因としてマスコミ報道のやり方を指摘している一節を読み、ああ、この人はGHQとやりあった頃や吉田茂と組んでいた頃、マスコミから茶坊主とか昭和のラスプーチンと非難され続けていたことを思い出した。
 死後、未亡人となった白洲正子が最近は評価してくれているようでありがたい、あの頃はつらかったと述懐している。

 ボクシング一家や大家族もので視聴率稼ぎをしているようでは・・・。

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田村裕「ホームレス中学生」

ホームレス中学生
 100万部突破の最短記録とからしい。
 実物を見てハードカバーなのでちょっとびっくり。
 もともとそれなりの人の本なのでそれなりに読んだ。嵩高紙ではなく上質紙で200ページ足らずの本は1時間ほどで読み終わった。
 「ホームレス中学生」とはネーミングの勝利だな、と思う。
 ホームレス中学生生活そのものは前半の少しであっけなく終わる。
 なかなか良い話であるし、否定はしないけど、このレベルの本でないとベストセラーになれないのかな、と思う。

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牧山桂子「次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家」

牧山桂子「次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家」

「風の男」「日本で一番カッコイイ男」、吉田茂の懐刀といわれた父次郎と、類稀な審美眼、研ぎ澄まされた美意識の持ち主といわれた随筆家で伯爵家の母正子を持つ娘は、さぞかし大変だったろうとこの本を読む前から想像できたが、やっぱり大変だったようだ。特に家事能力ゼロで娘が出産しても病気で寝込んでいてもどこかへ行ってしまう趣味優先人間の母にはかなり手を焼いたようだ。まあ、天は二物を与えずというところか。
 それでもきちんと育ってしまったので何もしなかった母はまったく後悔も懺悔もしていないところは、ときどき見かける頑固なばあさんでしかない。

 とはいえ両親の伝記を書くのであるから両親への愛情はもちろんあるわけで、父母の晩年から死に至る描写は暖かい。

 秋も深まり著者・牧山桂子(かつらこ)さんが管理をする武相荘(ぶあいそう)も周囲のもみじがきれいになった頃だろう。家から車で15分ほどのところにあるがまだ行っていない。

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「クルマの渋滞 アリの行列」

クルマの渋滞 アリの行列 -渋滞学が教える「混雑」の真相
「クルマの渋滞 アリの行列」-渋滞学が教える「混雑」の真相-という本を読んだ。
 「電脳通信」という新刊パンフレットをときどき送付してくれる技術評論社の本。この出版社では数学が苦手な文科系でも読める理数系の本がけっこうあり新刊情報をときどきチェックしている。
 「クルマの渋滞 アリの行列」は技術評論社のサイトでは「数学/物理/化学」に分類されているが難しい数式は一切出てこない。伝統的な「渋滞、行列」というと待ち行列、ポアソン分布、ランダム到着とかの統計学の知識が必要だが、この本はもう少し新しい理論をもとに高速道路の自然渋滞やレジ待ちからはじまり災害時の避難誘導などの話に発展していく。クルマの渋滞で前が空いてから発進するまでに時間がかかることやパニックに陥った場合の行動などを簡単なモデルに適用していく過程はなかなか面白い。
 技術評論社のサイトでの紹介では「こんな方におすすめ」として
・なんで渋滞が起こっているのか不満をもちつつ知りたい人
・渋滞や行列について知的関心のある人
・セルオートマトンやASEPなどのシミュレーション科学に興味のある人
となっている。

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白洲信哉「小林秀雄 美と出会う旅」

小林秀雄 美と出会う旅 (とんぼの本)

 白洲信哉「小林秀雄 美と出会う旅」 (とんぼの本)を読んだ。
 白洲正子の著作を読むにつけ、受験勉強時代の小林秀雄のイメージ、すなわち難解な評論家というイメージが少しだけ変わってきた。難解さに変化はないがもう少しふつうの人間でもありあるいはもう少し外れた人間でもあるようだ。
 ということで、とんぼの本という割りとラフな概説書っぽいイメージのシリーズから小林の孫(白洲の孫でもある)が語る本で、小林秀雄再発見を狙ってみた。
 まあ、もちろんこの本そのものがそういう意図もあるのだろうということは著者自身のコメントにも見られるが、ある程度その意図は成功している気がする。
 なんといっても孫である信哉はもちろん、小林をめぐる身近な人のコメントやエピソードが多数掲載されているので、少なくとも「無常といふこと」をじっくりと読むよりは簡単に人となりに接することができる。

 そうはいってももともと難解なのだから、そう簡単にはわからないことが多いが、巻末に掲載された小林の長女であり信哉の母である明子(はるこ)による食事の話はわかりやすかった。ぼくも最近毎年訪問している山高実相寺の神代桜も小林の好みの桜のひとつであったことや、鎌倉の自宅の桜が清春白樺美術館に植え替えられていることなどは、まさに再発見である。

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飯島 夏樹「天国で君に逢えたら」

天国で君に逢えたら
 図書館の予約の順番が回ってきたので、飯島 夏樹「天国で君に逢えたら」を読んだ。映画「Life 天国で君に逢えたら」の原作といえば原作だが、つくりは(映画は見ていないので)たぶん映画とはかなり違う。
 入院患者の気持ちを代筆する「手紙屋Heaven」の立ち上げが前半を占める。ここまではどちらかというとややコメディでもあり、がん告知された著者が書いたとは思えない。
 それから代筆依頼のために入院患者が来てそのエピソードが紹介されるあたりから少し毛色が変わり、最後に作者をモデルにしたシュージの妻から、シュージの最後を伝える長い手紙が始まる。この部分とおそらくもう1冊の著書「ガンに生かされて」に書かれたことをもとにして映画は作られたのだろう。こちらも読んでみたい気もするが、苦手な系統なので正直あまり気が進まない。

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白洲正子3冊

おとこ友達との会話 白洲正子おとこ友達との会話。AMAZONの解説に「千利休にはじまり、「見る」ことの難しさ、不思議さを語り合う、赤瀬川原平との「目玉論」はじめ、前登志夫、尾辻克彦、河合隼雄、養老孟司、多田富雄ら10人の「男友達」と縦横に語りあう。」とあるが、たしかにこの性格では女友達は少なそうだ。すぐに行動してしまう性格を小林秀雄らが揶揄して「韋駄天お正」と言われるが、そんな雰囲気が対談の端々に見られる。ただし対談の内容は相手により和歌や陶器などぼくには理解できない内容も多い。

夕顔 白洲正子夕顔はエッセイ集である。「おとこ友達との会話」よりはやわらかい。
 作品名の「夕顔」とは源氏物語の夕顔でもあるが、植物そのもののことをさしている。著者が夕顔の咲くところを見ようとじっと見つめていると必ずその花はさかずにしぼんでしまう、という話である。
 そういえば、全く個人的な話ではあるが、この本の中で、ある作家と著者にかかわる話を読み終わったところで、その作家の孫にあたる友人から久しぶりにメールが来た。こういうこともあるものか。

白洲正子自伝白洲正子自伝はその名のとおり自伝である。これを読むと「おとこ友達~」や「夕顔」で出てくるさまざまな交遊の陰にいだく「持てるものの悩み」が浮かんでくる。
 また吉田茂の懐刀と言われ、マッカーサーとやりあった夫・次郎が家庭内では意外と情けなかったのもおかしい。

 昨日、旧白洲邸武相荘に行ってみたが駐車場が満車だったのでそのまま引き返した。お彼岸でやや混みがちな道だったので帰りは22分もかかった。


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鎌倉―原田寛作品集

鎌倉―原田寛作品集
 先日TVで写真家の原田寛という人が鎌倉の案内をしていたので、氏の写真集を見てみた。

 ぼくの実家は横浜市南区ですぐそばを鎌倉街道が走っている。自転車で南下して原・七曲あたりの坂を気合を入れればやがて鎌倉、という距離である。祖母が信仰していた銭洗弁財天界隈には毎月のように連れられて行った。鶴岡八幡宮や大仏など有名どころは大体記憶があるのだが、そのほとんどが祖父母あたりとの記憶であり、自分で意識して鎌倉を歩いたことはあまりない。という地域的には灯台下暗し的な場所が鎌倉である。


 鎌倉―原田寛作品集は大型本である。「彩、祷、輝、象」と4部に分かれている。TV放映でも感じたが原田氏は浄智寺がお好きなようで浄智寺の山門の石段と花から写真集は始まる。花というと高山植物や山の花にしか興味がなかったが、街中の花もなかなかきれいである。氏の好きな苔は鎌倉らしい。仏像の写真もあり落ち着いた写真集である。

鎌倉花散歩―ベスト21コース
鎌倉花散歩―ベスト21コースは観光ガイドに近い。1月から12月まで鎌倉を彩る花をめぐるコースガイド。この種の本にしてはやや写真の割合が少ない印象があり、熟読して出かけるための本であるが、バス乗り場や案内などガイド的な要素も十分である。年に何回も鎌倉を目指す人には良い本であるが、有名どころを駆け足で回る人には使いにくいガイドだろう。

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白洲正子「鶴川日記」

白洲正子「鶴川日記」 白洲正子「鶴川日記」を読んだ。
 なんと気品に満ちた文章であろう。
 海軍大将・樺山資紀伯爵の孫娘であることを知らなくても、14歳でアメリカ留学した、この明治生まれの女性の生まれ、育ち、そして交友関係が極めて上流の部類に入ることが匂うような文章である。息子は小林秀雄の娘を娶ったわけでそれだけでも十分に教養人であるにしても麹町育ちの思い出話が全く鼻に付かないのは、貴族たるゆえんだろうが、貴族の友人がいないのでわからない・・・。

 前半の「鶴川日記」は高度成長期以前の多摩の歴史を読むようで面白かった。神社やお寺、そして村や字の名前が多数登場するのでカシミールで地形図を追いながら読んだ。「東京の坂」は山の手の坂の話。最近(といっても執筆当時の昭和50年代だが)の話もあるが幼少の頃の話も多く、こちらはアルプス社のプロアトラス(坂の名前が詳細に記してあることを今回発見)をPCに広げて読んだが、この電子地図にも記載されていない坂もいくつか出てきた。

 「心に残る人々」は交遊録が中心であるが、薩摩出身の祖父・樺山資紀を語る中で記した明治維新や西南戦争への記述は太平洋戦争の経験者と戦後生まれとの違いを彷彿とさせる。

 白洲次郎・正子夫妻が住んだ武相荘は自宅から直線だと5キロも離れていないのだが未見である。

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後藤 雅洋「ジャズ喫茶のオヤジはなぜ威張っているのか」

後藤 雅洋 ジャズ完全入門!  四谷のジャズ喫茶「い~ぐる」のマスター後藤 雅洋の本を2冊読んでみた。
 ジャズ完全入門!。完全入門というだけあって非常にわかりやすい。構成そのものはオーソドックスでジャズの歴史や名プレーヤー、名盤の解説と続くが、どれも嫌味がなく、なんとかジャズの世界をわかってほしい、というひたむきさすら感じるが、かといって下手に出ているわけでも読者を甘やかしているわけでもない。「朝日カルチャーセンター」でジャズの話をしているだけあって読者をあきさせない。お勧め。

後藤 雅洋 ジャズ喫茶のオヤジはなぜ威張っているのか  ジャズ喫茶のオヤジはなぜ威張っているのか題名で売る本かと思ったが、やや題名負け。というのも題名についての回答が冒頭に出てきてしまい、そのあとにはこの話はない。題名で売るというよりは短編集の題名を収録作のひとつで代用した感じ。
 ただし、中身はさすがに「完全入門」よりは中級向けであり、正直、理解できないこだわりなども書かれている。が、全体としては少しジャズがわかってきた脱初心者の好奇心をくすぐる薀蓄もあり、なかなか面白い。

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中山康樹「超ブルーノート入門」

「超ブルーノート入門―ジャズの究極・1500番台のすすめ 」「超ブルーノート入門完結編―4000番台の至福」

 ジャズを聴き始めて一応30年もたつのでブルーノートがジャズの有名なレーベルであることくらいは知っているし、わずかながらレコード(CDでなくて・・・)も持っている。
 それでもまじめに研究したこともないので、たまに名盤紹介の本を読むことがあるが、あまり面白いものではない。名盤にはそれなりの由来がありそれを作者が強調すればするほど、ほんとかいな、というような醒めた感覚を持つ。クラシックにせよ、ジャズにせよ、名盤紹介というのはプレーヤーそのものではなくどうしてもアルバムに話題が寄り、しかもたいてい紙面が限られているせいか、著者の空回りのような本が多かった。

 今回の2冊(「超ブルーノート入門―ジャズの究極・1500番台のすすめ 」「超ブルーノート入門完結編―4000番台の至福」)はその期待を見事に裏切りとても面白く、びっくりした。

 この本はブルーノートの「名盤」紹介ではなく名盤が多い1500番台と4000番台を番号順にすべて紹介することでブルーノートそのもの、すなわちブルーノートの設立者でありプロデューサーであるアルフレッド・ライオンのジャズへの考え方、レコードの考え方を紹介していく。読者はレコードの解説を読みながら、ブルーノートの変遷やプレーヤーの栄枯盛衰も見ていくことになり、すこしばかりのドラマが生まれてくる。ブルーノートの1枚1枚のアルバムを語ることでジャズ史を語っている。
 著者の中山康樹のジャズ評論の書き方は受け狙いとの意見もあり、たしかにそれを感じる書き方も所々に見られるが、このような興味深い構成をとったことに軍配を上げたい。
 ジャズの名盤はどのようにして出来上がるのか。もちろんプレーヤーが一番であるが、その組み合わせ、ホーン構成、曲などソフトの部分、そしてレコーディングエンジニア、さらにジャケットデザインであることがよくわかる。ジャケットについてこんな記述があった。
「ケニー・バレル Vol.2 」
 ケニー・バレルの2枚めのアルバムのジャケットを担当したデザイナーの話。
「28歳のアーティストは無名で、仕事も収入もなかった。あるのは才能と情熱だけだ。そのアーティストはリード(デザイン担当者)からジャズ・ギタリストのイラストを描くよう依頼され、わずか15分で仕上げる。青年はイラストの下に名前を入れた。Andy Wahol」
ソニークラーク「クール・ストラッティン」

 蛇足だが、ジャズのアルバムで一番有名なジャケットといえばやはりブルーノートの1588番だろうか。
 Cool Struttin'のジャケットデザインもリード・マイルスである。

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「カインド・オブ・ブルーの真実」

カーン・アシュリー「カインド・オブ・ブルーの真実」

 カーン・アシュリー「カインド・オブ・ブルーの真実」を読んだ。
 「カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)」はビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ、ウィントン・ケリー、ジミー・コブ、ポール・チェンバースという当代一流のプレイヤーをマイルス・デイビスが従えて1959年にリリースしたJazzの金字塔といわれるアルバム。発売枚数はCDなどを含め200万枚以上といわれる。
 本書はこのアルバムがいかに製作され、いかに影響を与えたかを語る本である。
 小冊子をイメージしていたが上質紙309ページ、厚さ3センチ近いハードカバーで随所に貴重な写真もあり、読み応えがある。

 このアルバムのライナーノーツはビル・エヴァンスがジャケット裏面に書いているが、英語だったので読んだことがなかったが、今回初めて和訳を読んだ。日本の水墨画を例に即興音楽について冒頭から語るライナーノーツは評論家のものよりも読みやすい。
 このアルバム前後のマイルスやジャズ、音楽全般の動きも当然記されており、マイルス史でありジャズ史ともいえる。製作までの過程やマスターテープから描く製作現場の情景はもちろん、現代でも活躍するジャズプレーヤーのこのアルバムへの思いなどを読むだけでも価値がある。

 手元には学生時代に購入したと思われる、キャノンボールアダレイのスペルが間違ったままの輸入版LPとフラメンコスケッチの別テイクが収録されたCDがある。
 人気の「So What」よりはエヴァンスの「Blue in Green」のほうが好きだ。

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コミック版「時をかける少女」2冊

 アニメ版「時をかける少女」を見たので関連コミックも読んでみた。

琴音らんまる「時をかける少女―TOKIKAKE 」

 琴音らんまる「時をかける少女―TOKIKAKE 」。アニメ版の映画をそのままコミック化したもの。アニメでは一切触れていない「魔女おばさん」の過去を描く一節が最後にあり、これをエンディングにしたところは意外とよかった。アニメでは原作のヒロイン芳山和子は魔女おばさんとして登場するが、吾郎ちゃんは出てこなかったので少し可哀想だと思った。
 Amazonのいくつかのレビューにあるように、アニメに比べてテンポが速い部分があるが、これはアニメがストーリーのスピードをいくらでも操作できるアニメのメリットの裏返しといえるかもしれない。


ツガノガク「時をかける少女」 ツガノガク「時をかける少女 」
 ツガノガク「時をかける少女(1)(2) 」は筒井康隆の原作、すなわち芳山和子と深町くん、吾郎ちゃんとの話である。しかしエピソードは原作とは全く違い、時代も現代である。ラベンダー、ケン・ソゴルというキーワード、そしてアニメ版と違い記憶も消えるところは原作のとおりであるが、原作の登場人物たちが現代で演じる別のエピソード、全く違う話と考えて良く、原作の存在と登場人物の名前を知らなければ、全く別のコミックとして読める。
 コミックとしての出来はアニメ版をコミック化した琴音らんまるのものよりもこちらのほうができがいい。

 ちなみにツガノガクの2刊めを購入するのにアマゾンのマーケットプレイスを利用したがそのときの顛末はこちら

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AMAZONマーケットプレイスとイーブックオフ

 Amazonのサイトを見るたびによくできたシステムだなあ、とシステム屋の端くれとして感心することが多い。家族を含めた利用頻度はかなり高く、最近できた「AMAZONプライム」という有料システムにも登録している。
 また、ブックオフは、タレント清水国明の姉・橋本由美子氏がパート社員から社長に登りつめたことで経済雑誌でも有名で、最近は日経ビジネスオンラインの彼女の記事(近く出版される)も読んだ。近所には彼女が立て直した店舗もありよく利用している。
 今回もそのブックオフでそろわない本があったので、AMAZONマーケットプレイスを探したら、たまたま販売していたのが、ブックオプのフランチャイズ店のネットオフが運営している「イーブックオフ」だった。

 AMAZONマーケットプレイスとはAMAZON以外の個人や企業がAMAZONのシステムを利用して中古品を販売できるシステムであり、出品するほうは決済の手間がかからず、買い手からは出品者と決済をせず直接連絡もしないで済むメリットがある。もちろんAMAZONは出品者から相応の手数料をかせぐ。
 ぼくは出品者でも利用者でもあるのでその便利さはなかなかのものと評価している。

 しかし今回はAMAZONマーケットプレスを利用し、この2つの企業のために非常に不愉快な目にあった。ざっくり言えば、
1.悪意を感じるイーブックオフの発送体制
2.虚偽の発送表示をするAMAZONのシステム
ということになる。

 時系列に書く。
6月30日にマーケットプレイスで注文。AMAZONから注文の確認メールが入る。
「出品者は2007-07-03までに商品を発送することを了承しています。」
 ところが発送期限の7月3日に出品者であるイーブックオフから「注文急増による出荷遅れのお詫び」との題名のメール。「ただいま、予想外の注文急増により出荷が追いつかず、7日~14日の出荷遅れが発生しております。」
 イーブックオフの利用者による評価を見てみると、同じような例がたくさん出てくる。
発送期限にメールしてくるとは確信犯であろう。メールでの照会の回答も遅いようなので問い合わせをしても回答がくるかどうか不安だ。




 過去の評価を見ると過去1年では悪いが1%なのに最近30日では4%に増えている。25件に1件は悪い評価が付いている。この店の取引はかなりの件数なので毎日クレームの嵐だろう。
こんな評価もあった。


 このような業者では店舗とネットで同じ商品を併売していることが多く、ネットで注文しても店舗で売れてしまい売り切れというケースがときどきある。この商品のイーブックオフ側の在庫はどうなのかと見てみると、・・・ある。これが注文したものと同じものかどうかは不明だが、はやく発送してくれえ。以下のようになるのはいやだ。


 さて、この注文がAMAZON側ではどのような状態になっているのか見てみるとこれまたびっくり。なんとすでに発送済に分類されている。


 注文の明細を見ると「発送済」ではなく「配送予定日」が別に掲載されている。



マーケットプレイスでは出品者がAMAZONのシステムに取引状況や発送状態を登録する仕組みはないので、AMAZON側が確認もしないで勝手に発送済にしているようだ。
念のため、AMAZONに照会すると7月6日に返信メールで「アカウントサービスにおけるお客様のご注文の状態につきましては、ご注文確定後Amazonペイメントにてお客様のクレジットカードへご請求手続きが完了した時点で、実際に出品者が商品を発送したどうかに関わりなく、当サイトのシステムにおいてご注文のステータスを「発送済み」の表示に自動的に更新させていただいております。」
 やはり、確信犯である。

 発送不明とかマーケットプレイスの注文を別表示にし、発送についてふれなければいいと思うが、8日のAMAZONからのメールでは
「Amazonマーケットプレイスのご注文の場合は、出品者が商品を発送いたしますため、商品の発送作業自体を当サイトでは確認ができかねますことをご了承ください。そのため、現在のところAmazonマーケットプレイスのご注文に付きましては、ご注文後すぐにアカウントサービスの表示は「発送済み」と表示させていただいておりますことをご理解いただけますようお願いいたします。」「ご指摘の点につきましてはお客様からの当サイトに対するご意見として担当部署に申し伝えさせていただいておりますが、当面は現状のシステムにてサービスをご提供させていただくことになりますので、恐れ入りますが再度当サイトのシステムをご理解いただいたうえで、ご利用くださいますようお願い申し上げます。」
 
 自分が出品者となった場合も利用者に同様の誤解を与える可能性があるので気持ち悪い。

 肝心の商品は12日にメール便で送られてきた。冒頭の遅延連絡メール以降、イーブックオフからは何の連絡もなかった。ヤマトのサイトでメール便を照会したところ発送は10日にされている。 配送予定日の最終日は11日なので間に合わなかったわけだ。まあ、待った挙句に欠品ですと言われるよりはよかったが・・・。
 改めてアマゾンのサイトの評価を見ると直近30日では悪い評価の率があがっている。照会メールに返信なし、キャンセル要請にも無回答、などひどい例が多数ある。こういう業者をアマゾンは放置しているのだろうか。まあ、アマゾンにすれば取引件数が相当多く、手数料のネタになるので歓迎なんだろうけど。
 本家ブックオフの橋本社長はフランチャイズ店の評価がこんなであるって知っているんだろうか。

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今尾恵介「消えた駅名―駅名改称の裏に隠された謎と秘密」

今尾恵介「消えた駅名―駅名改称の裏に隠された謎と秘密」

 今尾恵介「消えた駅名―駅名改称の裏に隠された謎と秘密」を読んだ。

 地図マニアはたいてい鉄道マニアでもある。今尾さんも例にもれず鉄道関係の著作は多い。この本もそのひとつである。
 駅名改変(改悪)といえば旧信越本線の沓掛(現:中軽井沢)、大糸線の信濃四ツ谷(現:白馬)の2つをその昔、亡父に聞いた。本人は旧駅名の頃に利用していた。
 個人的には山歩きを始めた頃のものに思い出がある。少し古いガイドブックだと駅名が旧名で記載されていたし、その後、古い山の本を読むと当然ながら当時の駅名が出てくる。青梅線の氷川(現:奥多摩)、中央線の淺川(現:高尾)、与瀬(現:相模湖)あたりがそうだ。与瀬は国土地理院の2万5千図の図幅名でもあり、初めて高尾山を歩いたときに購入した地図でもある。
 あとはやはり地元、関東圏が面白い。
 横浜から奥多摩の山に行くときに使った横浜線の原町田、小田急の新原町田は昔は乗り換えが面倒だったが知らないうちに町は大きくなり駅名も町田となった。
鎌倉六国峠から金沢文庫に抜けるハイキングコースの最後に「能見堂跡」というさびれた碑があり、東京湾が望めた。下ると金沢文庫だが手前の駅「谷津坂」は能見堂跡周辺の住宅化に伴い「能見台」となった。

 最近、驚いたのは中央線の笹子トンネルを抜けた「初鹿野(はじかの、まだ一発で変換できる!)」が「甲斐大和」になってしまったこと。合併で大和村ができたのは戦前の話なのになにをいまさらという感じがした。とてもいい響きの名前だったのに。
 
 いまや宝くじ売り場で有名な「西銀座デパート」にしか名を残さない丸の内線・西銀座、東横線にあった九品仏(現:自由が丘)、やっぱり温泉が先だった綱島温泉など、地元民からするとなるほどの記載が多く、楽しめる。

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高杉良「乱気流―小説・巨大経済新聞」

高杉良「乱気流―小説・巨大経済新聞」  高杉良「乱気流―小説・巨大経済新聞」を読んだ。

 きっかけは雑誌「選択」の記事、「昭和天皇「側近日記」報道 ■朝日と日経「角逐」の内幕」の中でこの小説に対する裁判に触れられていたからだ。もちろん日経が著者を訴えたもの。
 日経新聞は必読紙として学生時代から購読してきたが、数年前に購読を止めた。というか新聞そのものを購読していない。 ネットで読めるし、読むなら会社で読む専門紙の方が面白いから。

 モデルとなったのはこちら(My News Japanへのリンク)。1つの事件としてはこちら(週刊現代Onlineへのリンク)になる。直接の主人公ではなく彼の後輩の視線である。

 金融腐食列島シリーズのようないきなり裏社会に立ち向かうということではないが、イトマン事件、リクルートコスモス事件の頃から2003年までの流れを、新聞社という知らない世界を通じて振り返るという意味ではなかなか興味深く、1日で上下2巻を読み終えた。
 作品の中で著者の小説「濁流」を叩くシーンがあり、面白かった。

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今尾恵介「日本地図のたのしみ」

今尾恵介「日本地図のたのしみ」
 今尾恵介「日本地図のたのしみ」を読んだ。コラム記事の難しさを感じた。

 この本は日本地図センター「地図ニュース」や地方紙への配信記事と書き下ろし記事から構成されているが、前段のコラム記事的な短文がとても中途半端で消化不良の印象が残る。
 地名や地図という固有名詞、しかもその多くは由来や歴史をひもとく必要があり前段が長くなる。通常の今尾の文章はそれから面白くなるのだが、原稿用紙2,3枚程度の制限をかけられると話はそこで終わってしまう。
 270ページ、厚さにして1センチ強という本のつくりそのものはまったく問題ないが、上記のような短文が多数出てくるとやや食傷的に思える。挿絵となる地図が小さくモノクロでみにくいのも読みにくさを増加する。いったん配信した記事は修正はきかないだろうから文章を修正するのは無理としても、作者コメントなどで補足するか、地図を大きく見やすくして読者がゆっくり楽しめる構成が必要ではないかと思う。
 ・・・と、苦言ばかり書いたが上記のような印象があるのは全体からすると3割程度か、あとの書き下ろしは十分面白い。

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「バカ日本地図」

バカ日本地図―全国のバカが考えた脳内列島MAP バカ日本地図ネットで増殖中の頃から見ていたので、本を覗いてみた。
バカ日本地図とは、いろいろな人が思い込んでいる日本地図を勝手に描いてみるという試みである。鳥取と島根はどっちが右?(東?とはいわない)、京都や兵庫が実は日本海に面しているとかいうまじめな話題はもちろん、県や地方のイメージを含めて俺流日本地図を描いてみようというものである。
 ぼくもトライしようかとも思ったのだがツールの使い方があまりよくわからなかったのとまともにやるとけっこうまともな地図になってしまい、ぜんぜん面白くなかったので投稿はやめた。

 ネットで今でも公開されているので本を見る必要はないのだが、ネットでは意外と進捗がまどろっこしく、この本での遷移の方がスピーディである。
 あと、巻末にまとめられた優秀作とその地図へのネットからのコメントがなかなか面白い。

 バカ世界地図になって、いまいち面白くなくなったのでその後、ネットはあまり見なくなったが、続編の書籍がかなり出ているようだ。

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「植草さんについて知っていることを話そう 」

高平 哲郎「植草さんについて知っていることを話そう 」
 70年代以前にジャズを聴いた人あるいは映画やサブカルチャーに興味を持った人ならMrJ.J、植草甚一の名前は聞いたはず。
 ぼくが初めてその名を聞いたのは、高校生当時すでに1000枚のレコードを持ち、桜木町のちぐさやダウンビートに連れて行き、油井正一になりたい、と言っていた友人Jからだったか。たまに買ったスイングジャーナル誌だったか、いずれにしても植草甚一はジャズ評論家であるのが第一印象で、そういう意味ではライナーノーツとスイングジャーナルで文字でしか出会わない油井正一や野口久光と同じラインにあった。
 だから「ぼくは散歩と雑学がすき」を見た(読んだではなく本屋で見た)ときは意外な印象があった。いずれにせよ、やっぱりかなり変わったおじさんで、はまるとまずいというのが受験生だった当時の印象で、読んだことがなかった。
 1ヶ月ほど前、NHKでシリーズ 粋な男の肖像「昔、男ありけり」という番組で、白洲次郎などとともに放映され、そういえばそんな人がいたなあ、と思い出した。

 山の写真集をヤフオクで落札したら、10冊まで送料が同じだったので植草甚一の本を同時に入手した。その本が来るまでに基礎知識をということで借りてきた本が、高平 哲郎「植草さんについて知っていることを話そう 」である。
 このテーマでかつて対談したもの、あるいは新規にインタビューしたものの記録であり、相手はナベサダ、ヒノテル、片岡義男、森田芳光、タモリ、山下洋輔、和田誠、野田秀樹、来生えつこなど多種多様、蒼々たるメンバー。タモリが植草の遺品のレコード4000枚を買い取ったエピソードも思い出した。
Bitches Brew
 で、なぜかこの本できっと一番登場したアルバムがマイルスのBitches Brew だったのでそれを聞きながら書いてます。1枚めはよくわからんが2枚めの1曲めのSpanish Keyはけっこう好き。一番好きなのはCircle in the round のLove for saleだが。夜中にZライトのスポットだけにした暗い自室をジャズ喫茶と思いこみ、まだ数枚しかなかったLPをリクライニングチェアにもたれ、ロックのグラスを片手に聞いていた頃を思い出す。

 読めば読むほど不思議な人である。本人の解説付の巻末の年譜が面白い。2・26事件の朝の雪の情景に感動したり、空襲で焼夷弾に逃げ惑ったあとで「空襲の不安と面白さと緊張感の毎日は、田舎にいて疎開しろとすすめてくれる人にはわからなかったんです」と言い切る・・・。