
堀井憲一郎「落語の国からのぞいてみれば」は講談社の広告誌「本」に連載している「落語の向こうのニッポン」を新書化したものである。8月号の連載ではこの本について述べている。「本」の連載がなかなか面白いので、新書も読んでみたが、内容はなかなか良いが新書にまとめてみると連載中に感じたくせのある文体が気になった。落語の本なのに、センスのない駄洒落やまるで口述筆記したような余計な文末の一言が多すぎる。「本」に1回で連載する量であればそれほど気にはならないが、まとまると鼻につく。
この傾向は同じ作者の「『巨人の星』に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。」は題名からだめだったが、やはり途中で嫌になってやめてしまった。
しかし、この本、視点はなかなか面白い。落語を聞く上での基本的な知識ともいえるし、文明批評はいいすぎにしても比較文化論ともとれる。基本は落語の舞台となる江戸時代とそれを聞く現代との人々の意識や常識の差である。
たとえば旧暦と月の満ち欠けはさすがに現代人でもわかるが、夜の真の暗闇を知らない現代人には日付=夜の明るさを示すことが実感できないと行った現代との感覚や慣習、常識の違いを述べていく。
まだ連載中なのでこれから書かれるテーマもあるし、本書のなかで随所に触れられているが、江戸の地理感覚について独立したテーマがあってもいいかなと思う。
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ビートたけしと竹内薫の「コマ大数学科特別集中講座」を読んだ。
フジテレビ系列で木曜深夜(金曜未明)に放映している「コマ大数学科」を見たのはつい最近。放送開始は06年4月ですでに放映90回を超えるこの時間帯では長寿にはいる番組である。たけしが明大工学部(中退)という立派な理系なので少なくとも文系のぼくよりも数学が得意であろうことは想像できるが、何回か番組を見てみると、かなりのレベルではないか、特に本人もなぜかわからないけど答えはこうだな、という直感が鋭い。
読む前はTVのクイズ番組が放送が終了した過去問題を集めたものを出版するようなものかと思い、過去問題の多くが収録されているのではと思っていた。もっとも発行が放送開始の2006年の12月だが・・・。
しかし、過去問題は6問のみで間をつなぐたけしと竹内薫との対談や数学の話が面白い。高校時代、数学だけは東大進学者よりも出来たたけしと映画監督北野武とたけし軍団のたけしがバランスよく存在している。
それと番組の解説者でもある竹内薫が数学と物理と両方の経験があるので、数学者や数学好きと物理学者との違いなどもわかり、それらを含めて数学が苦手な人でも面白い読み物になっている。
ちなみに収録された過去問6つともまともに考えずに先を読んだけど、まじめに取り組んでもきっとできなかっただろうな。
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泉麻人の職業を一言でいうと何になるのだろう。WIKIペディアではコラムニストということになっているが、その対象は今の時代よりも少し後ろを振り返っていることが多いようだ。そのあたりの趣向は外向けのものかもしれないが、まあわかりやすい。
年齢が少し上なので、幼少から学生時代までの彼の記憶とぼくの記憶には少しずれがあるがまあ四捨五入の範囲でもある。
小学校のこじんまりとした同窓会から始まるオジサンバンドの再結成や、転校して行方がわからない美少女を探す話がメインのこの小説の主人公は中学はみんなと分かれて私立に行き、今の職業は紀行ライターで名字が浅見。泉麻人の本名は朝井泉だから彼そのものである。
出だしから展開やおおよその結末が読めてしまうのは彼の小説の欠点でもあるが長所でもある。彼が描きたいのは物語ではなく昭和の時代なのだから。とはいえ、この小説の結末はちょっぴり意外ではあったが、これも最後の方で読めてしまったのはご愛敬。
やっぱり彼は小説よりもコラムのほうが生き生きとしているなあ。
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中野翠「今夜も落語で眠りたい 」を読んだ。
志ん朝讃歌であり、哀惜でもある。
志ん朝の「文七元結」で落語に目覚め、文楽、志ん生、志ん朝をメインに20年にわたって毎晩落語のテープやCDを聞きながら寝ていたという作者が本人曰くように「素人」とは思えないが、まさに素人のぼくにとっての志ん朝のイメージと重なる部分が多い。
作者が目覚めた「文七元結」は夜のTVの落語番組と書いてあったので、たぶんTBSの「落語研究会」だろう。最近若い奥さんをもらったたれ目の山本アナウンサーと落語にふさわしくない堅い印象の解説者(京須偕充さんというようだ)がやっていた・・・。 あら、まだやっている、しかも志ん朝の火焔太鼓だって、放送日は、ああ、過ぎてしまった、BS-iでの放送も先週だった・・・、残念。
そう、ぼくの場合はこの「火焔太鼓」である。ツウに言わせると志ん生のほうがいいというが、志ん生は音しか残っておらず、仕草を想像できないんだよね。それと細かいところがやっぱり少し古い。鎮西八郎為朝や小野道風では今の人にはそれこそ時代がわからない・・・。それと「二番煎じ」。これも志ん生がいいということで志ん朝のほうはかなりけなす人がいるが、志ん生のは聞いたこともないので何ともいえない。
まあ、これらの作品をTVからラジカセに録音して、家族みんなで何回も聴いてげらげら笑っていた。家族の中では、ひとり飲んべえの父親はすでに故人となっていた志ん生を飲んだくれだったというだけでファンであったようだ。
さて、本書はその「素人」による有名な噺の解説とそれにまつわる個人的な逸話であり、なかなか面白い。聞いたことがない噺も多数あったが、適度にストーリーや聞き所も記載されており、初心者にはいい演目指南書になるだろう。
とはいえ、最近の現役の人はどうなんだろう。
以前は、NHKの「日本の話芸」を録画していたがだんだん見なくなってしまった。
やっぱり、このDVDを見るしかないかなあ・・・。
というわけで、iTunesに入っている志ん朝の「文七元結」と「二番煎じ」、志ん生の「火焔太鼓」を聞いてみた。
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ホリプロマネージャー南田裕介の「ホリプロ鉄道オタクマネージャーの鉄ちゃん」を読んでみた。
タモリ倶楽部に鉄道オタクマネージャーとして登場して有名になったが、鉄子として育てた豊岡真澄は結婚して引退してしまった。もっとも新人の頃の担当は優香だったようでこちらのほうが良さげに思えるが、仕事となると違うのかも。
冒頭に野月貴弘との濃い対談から始まり、小学校以来のハマリ度を順次紹介していくが、さすがになかなか本格的な鉄ちゃんである。
本を読むにはある程度の鉄度が必要かもしれない。まあ車両の型式などの記号や数字がわからなくても記号として見ればいいだけだが。
最後にタモリ倶楽部への出演の経緯や豊岡真澄の話が出てくるが、ぼくの記憶ではタモリ倶楽部の最初は昨年あたりの「埼京線ダービー」だったので、この番組そのものを以前はあまり見ていなかったのだろう。最近はリアルタイムに見て備忘用に録画もしているが・・・・。
普通の人より少し電車が好きかもしれないけど、このことは黙っておこうと思っている人には、この本を読んで自分はまだまだ軽いんだと安心できる本。まあ、最近はそんなにタブーではないけど。
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中島義道「偏食的生き方のすすめ」で解説が面白かったので読んでみた。
中野翠の名前はずいぶん昔から随所で見かけるが彼女の著作を読んだのは初めて。1946年生まれらしいのでまさに団塊の世代であるが、書体はもう少し若い。30代と言ったら言い過ぎであるが、まあ同年代には思える。
「マニュアルを読む人、読まない人」をはじめさまざまな二種類の人間についてのエッセイであるが、かなり面白い。彼女の好みに100%一致はしないが半数以上はそう思える。特にTVや流行、人つきあいなどについては同感の部分が多い。まあ、だからこそ、中島義道の偏食的な生き方に面白い解説が書けるわけである。
ひとつだけ気になった記述。
「それはあのかたをヤワラちゃんと呼べる人と呼べない人だ」の項。元ネタはエッセイストの堀井憲一郎の意見であり、彼は「谷亮子をヤワラちゃんと呼ぶな浦沢直樹「YAWARA!」の猪熊柔をばかにしてんのか運動」の人である。中野翠はアイドルや芸能人、スポーツ選手をニックネームで呼ぶことであたかも自分と近い関係にするような幻想が嫌だと言っているが、堀井さんが言っている意味とはきっと違う。
田村亮子は小学生?くらいからマスコミに出てきていたように記憶しているが、その頃はともかくオリンピック選手以降の彼女をヤワラちゃんと呼ぶのを見ているのには相当抵抗があった。で、その理由はたぶん中野翠の理由ではなく、堀井憲一郎のほうの理由だと思う。
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「まあ、よくやるよな、暇人」というか「時間の自由がきく大学教授・・・」。というのが最初のあたりを読んだ感想。著者は町中のあらゆる騒音、なかでも無駄な放送やテープ音などに敢然と立ち向かう、そんな著者の戦闘記録である。が、最後のほうになってもう少し「哲学的?」な日本人論が展開される。
ただ、著者の主張にはうなずけないものもある。たとえば電車の車内放送で駅に到着する前に社内放送で「次はXX」と何度も言っているのだから、到着した駅で再度「XX」というのは不要だ、というもの。少なくとも車内で爆睡状態になるぼくにとっては「次は」の時は聞こえておらず、「XX」の到着のアナウンスで慌てて降りる、って全く平和だが・・・。
それとやはり著者は聴覚過敏の傾向があるのでは、という気はする。
昔、音の強弱の相対性を表す話として、昼間の喧噪の中での柱時計の音と夜の柱時計の音の比較の例を読んだことがある。昼間の喧噪では柱時計の振り子のチクタクの音は聞こえないし、また昼間はその音に興味が行かないので聞こえないが、夜の静寂とともに、チクタクを聞く姿勢もでき、聞こえてくる、というものである。
だから、どうだというものでもない。
電車の中でiPodを聞いていても別の人の音漏れは気になるが、車内放送や線路の音は気にならないぼくだが、中島先生よりはふつうの聴覚だと思う。

この本は著者の日常がつづられながらも、いきなり偏食の話になる。日記的記述も多く、音に怒る著者の行動もよく出てくるので「うるさい日本の私」を読んでからだと、なかなか面白い。
ぼくもかなりの偏食で、野菜は基本的に苦手、漬け物だめ、梅干しだめ、キムチ嫌い。高校の修学旅行で能登に行くまで刺身も食べたことがなかった。それでも子供の頃から比べるとかなり改善したが、著者は間違って嫌いなものを食べてしまって、問題なくてもそこで改善しない、というかする気がない。
ビーフカレーは大丈夫だが牛丼はだめとか、よくわからない偏食も多い。
で、著者がこの本でいいたいのは偏食そのものよりも偏食的人生というかものの考え方である。
こういう人がユーザーだとかなりいやであろう。が、人ごととして読むとなかなか面白い。
中野翠の解説でのポイントがぼくが感じたものとほぼ同じだったので、おお、ぼくは中野翠レベルには偏食ではないと思った。
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半藤一利・保阪正康「昭和の名将と愚将」は題名のとおり昭和の名将と愚将について対談形式で語ったものである。
日中戦争や太平洋戦争など昭和以降の戦争については意識的に避けてきた。というのもこのあたりの話は、南方戦線やシベリヤ抑留、特攻、玉砕、原爆など前線での悲惨な話か、日本軍の現地での専横など、読んでいても気分が悪くなるに違いないと信じるからである。
一冊だけ読んだのは同じ保阪正康の「瀬島龍三―参謀の昭和史」だけで、山崎豊子「不毛地帯」のモデルとなり、「不毛地帯」ではスーパーマンのように描かれた瀬島を「参謀の昭和史」では「戦中は大本営参謀。戦後は大商社の企業参謀。そして総理の政治参謀─激動の昭和を裏からリードしてきた男の60年の軌跡を検証する」としながらもかなり否定的に書いていることに興味を持ったからである。
瀬島は2007年に95歳の天寿を全うしているが、最後までNTTの顧問として禄をはんでいた。それを知ったとき実にさもしいと感じた。
本書では瀬島はもちろん愚将に分類されている。
さて、本書そのものは、昭和史の研究家どおしの対談なので初心者には敷居は高く、解説的な説明がないので、取り上げられる軍人の履歴や戦歴をある程度知らないと十分には理解できない。冒頭に述べたように昭和史には疎いので半分以上はよく知らない軍人で、名将、愚将として名前だけは知っていたがその履歴を知らない人も多かった。取り上げた数は名将が愚将より多いがそれは読者の気分を考慮した著者側のバランス感覚であって、著者たちが述べているように名将よりも愚将が多かったのが昭和史であるようだ。
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鉄道マニアやおたく向けではなく、この業界の実態はどうなっているのだろうという一般的な興味に現役の私鉄職員が答えるものを意図しており、文筆業を目指していたとのことで書体はなかなか読みやすく、内容も楽なのであっという間に読み終わった。
とはいえ「スジ屋」などの隠語・略語などの起源などマニア向けの話題もある。
2008年2月の刊行でスイカや福知山事故の話にも触れており話題は新しい。
冒頭でいきなり事故死体処理の経験談で始まり、コインロッカーで安全装置がはずれた実弾入りの拳銃を見つけた話などで目が覚める。今は御法度になったらしいが、駅内での宴会や駅長など管理職と現場との対立など経験に裏打ちされながらもそれほど重くは書いていない。
興味深かったのは事故や自殺などで電車を止めた場合の賠償金について筆者が上司に質問したときのやりとり。上司は新人教育の一環として規則集を片手にいろいろな費用を計算させる。賠償の対象となるのは、列車の修理費、電気設備など関連設備の修理費、応援要員の人件費など直接的な費用に加え、振替輸送の運賃などの間接費用が加わる。これらを合わせると1億円は概ね超えるようである。
ただし自殺や事故で本人が死亡している場合は損害賠償をしないケースも会社によってはあるようだが、踏切で車両立ち往生など事故だけの場合は、減額することはあるものの請求はされるようで裁判例でもそうなっている。
ちなみに、自動車保険の対物賠償は相手の車を想定して1000万もあればと以前は思っていたが、今年から無制限に代えた。さらに自転車に乗るようになったので日常生活の賠償保険を先日追加した。




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要旨や最後の「人間嫌いのルール」そのものはAMAZONの商品説明をごらんいただくとして、けっこうまじめで面白い。特に夏目漱石の後期三部作に登場する「高等遊民」や徒然草の台詞を引用するあたりは、学生時代に同じように考えていたので、だよねえ、と思った。
また「走れメロス」や映画「哀愁」を題材にした「信頼と誠実さ」「信頼による支配」などの章はなかなか考えさせる話題である。
著者はまずさまざまな人間嫌いの種類を分類・分析し、自分がどこに居るのかを表明し、次に人間嫌いとして生きるために「共感ゲームから降りる」「ひとりでできる仕事を見つける」「他人に何も期待しない」という段階をあげ、最後に「家族を遠ざける」に至り、人間嫌いとして生きるための10のルールを掲げる。
ただし、これを実現するのはかなり難しい。
共感ゲームを降りるとは会社や地域社会というコミュニティーを無視することであり、そのためには変人と思われても自活できる「ひとりでできる仕事」が必要であり、芸術家や大学教授というものがそれにあたる。「他人に何も期待しない」は可能かもしれないが「家族を遠ざける」とは十分な経済力で家族を養ったうえで、交渉を断つことを意味しており、国民年金だけではそれは実現できない。
ということで、財力が先か、そのために共感ゲームに長い間付き合って蓄財するのか、という鶏と卵の論争になってしまう。
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題名から想像できるとおり、バブルとその崩壊をテーマにしたもの。
二部構成で第一部が幼なじみの3人の幼少から大学までの物語、第二部がバブルとその崩壊。
第一部の出だしは田舎の里山を冒険する3人の幼なじみ、スタンドバイミーっぽい出だし。そこでの知恵遅れの双子の弟の事故死、これが第一部のその後の展開および第二部の種になっていく。
冗長。
ITの世界では「冗長」というと冗長構成、フォールトトレラントでいい意味(あるいは高額)に使われるが、ここではもちろん本来の意味・・・・。
舞台を早稲田大学に設定し、大学周辺や高田馬場の著名な飲み屋、喫茶店、建物の名前が実名で出てくる。わずらわしい。作者が実名を出すことでリアリティを狙ったのであれば失敗。この界隈やお店を知らない人にはイメージが湧かないし、知っている人がイメージすることで描写を省略したようにしか思えない。
ストーリーも現実性に乏しいし、いくら浮かれた学生とはいえ発想が稚拙。
第2部は本来の江上剛、すなわち銀行っぽい。バブル時期の定期預金偽造証書による不正融資を幼なじみの3人が手を染め、やがて崩壊するというものである。第1部よりも展開はリズミカル。それはいったん不正をすると、それを続けないと不正が発覚するからである。
最後に学生時代に無理矢理別れさせられた恋人の忘れ形見が出てくるのはちょっとわざとらしい。
第1部の事故が第2部の不正を産む人間関係への伏線になるとはいえ、ちょっと長すぎる。
第一部が雑誌公開済みで第2部が書き下ろしのようだが、2作に分けるべきだろう。
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雨の土曜日、無聊の一日を横山秀夫の2冊で過ごした。
「ルパンの消息」は横山の未刊行デビュー作をリライトしたもの。15年前の事件の時効をあと一日に控えてドラマはスタート、時代は自ずと15年前に戻るが、その時代にやはり時効(7年)を迎える事件があった。三億円強奪事件である。
三億円強奪事件は小学校の時の事件だが、社会人になった最初の勤務地がたまたま事件発生地に近く、事情聴取を受けた上司もいて、事件場所まで連れて行ってもらったこともあった。
ストーリーは三億円事件とはあまり関係なく進む。やや強引な展開もあるが、途中で何度もヤマ場がありとても面白い。題名のルパンは15年前のおちこぼれ高校生がたむろしていた喫茶店の名前であり、彼らが画策した期末テスト強奪作戦の名前であるが、読み終わって最後になぜルパンの「消息」なのかがわかる。
三億円事件は誰も傷つけることなくまんまと三億円を盗み、窃盗にあった銀行も当然保険でカバーされ、その保険すら海外への再保険でカバーされたため、国内での実損はないらしい。捜査のための警察等の膨大な人件費が最大の損害であり、見事な完全犯罪に爽快感を感じたり、拍手を送った人たちも多かったことだろう。
実在の三億円犯人の「消息」を知りたい。

もう1冊は4つの短編集である「動機」。
ミステリーやサスペンスものはほとんど読んだことがないので、こんな短編で話が作れるのかと思ったが、テーマを絞ればなかなか面白い話ができるものだ。2000年の第53回日本推理作家協会賞短編部門受賞作らしい。
冒頭の表題作「動機」は警察手帳の大量紛失事件で、展開はやや強引ながら少しだけ意外な結末。女子高生殺人の前科持ちの男が匿名の殺人依頼電話に苦悩する「逆転の夏」は日常にありうるちょっとした罠の恐ろしさと人の恨みの執拗さが少し怖い。低迷する地方新聞社で苦しむ女性記者の話である「ネタ元」は上毛新聞社時代の著者の苦悩でもあるのか、公判中に居眠りをして妻の名前を呼んでしまって窮地に立つ判事の物語「密室の人」は訳ありげな美人妻はもらわないほうがいいと言っているのかも・・・。


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JAL123便続きで横山秀夫「クライマーズ・ハイ」を読んでみた。
横山秀夫といえば映画「半落ち」の原作者である。もっとも原作は読んだことがない。気になるのは「クライマーズハイ」という題名。これは「ランナーズハイ」と同様の意味合いで特にクライミング(岩登り)中の事象として言われ、恐怖心が麻痺してしまうことをいう。徒歩による登山ではどちらかというとランナーズハイの状態になることがある。自分の経験では、歩き始めて1時間を経過し調子が出てきた頃と頂上直下でへばっていたのに展望が開けてくる頃か・・・。
そんな題名も気になって読み出した。単行本は相応のページ数であるが、割とすっと読み終わった。
123便の事故原因とかにはほとんど関係なく、地方新聞社を描くための材料として大事件である123便の事故を使ったという印象。他紙をいかに抜く(スクープ)か、どんな紙面にするのかについて社内での勢力争いと家庭の問題を独特の筆致で仕上げたもので面白かった。
しかし、新聞関係の方には申し訳ないが、2008年現在の自分の生活から見ると、スクープも紙面割もなんの意味もない。いまだに多くの家庭あるいは個人は新聞を読んでいるのだろうが、我が家では新聞の購読をやめて久しい。WEBが発達した数年前からもう新聞はいらないなと思っていたが、直接的には配達所の人と年に1回でも接するのが嫌で購読を中止した。物心ついた頃から最近まで日経と朝日新聞が家にあるのが普通だったが、客先で日経新聞のネタを振る必要もない業種では、新聞社のWEBサイトで十分である。ましてや部数のみ世界一の新聞社の重鎮がプロ野球のルールをこねくり回したりしているのは笑止千万である。プロ野球も興味ないのでどうでもいいが。
あ、有料の携帯サイトは契約してます。朝見る量としてはあの程度で十分ですね。
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角松敏生に「RAMP IN」というバラードがある。1985年11月のリリース。歌詞カードの最後に小さな文字で「Dedicated to the stewardesses of JAL 123」
520人の犠牲者を出した単独機では世界最悪の日航ジャンボ機の事故で犠牲になった客室乗務員たちに捧げた曲である。ということに最近気がついて、またこの関係の本を読んでみたくなった。
この事故は犠牲者の数の多さはもちろん、坂本九ら有名人が乗っていたこと、4名の生存者がいたことなどで今でも飛行機事故といえばこの事故を連想するくらい有名な事故となった。個人的にも(顔は知らないが)同じ会社の人が2名犠牲になったし、大阪に帰る予定の出張者が強引に飲み会に誘われて難を逃れたケースもあったことや、当初の報道で墜落場所が八ヶ岳に近い御座山(おぐらやま)とされていたことなどをリアルタイムに経験していたので記憶に残っている。
航空機事故の本は柳田邦男「マッハの恐怖」を手始めに一時期かなり読んだが、御巣鷹山の墜落事故については、事故機のコクピットボイスレコーダー(CVR)の録音がネットで出回った頃、断片的に読んだがまとまったものは読んでいない。当時は、4系統の油圧系統が尾翼に集中していたことによる不完全なフェイルセイフによる操縦不能とエンジン出力だけで事故から30分飛行させた乗務員たちの技量という観点でしか見ていない。
当時の疑惑というか謎は、①事故現場の特定と救助作業開始が遅れたのなぜか、②修理ミスによる隔壁破裂から尾翼が破壊されたという事故調査委員会の報告の根拠となっている機内の急減圧はなかったのではないか(生存者である落合さんとの証言との食い違い)→ 事故報告書はねつ造? → 何のために? → 本当の原因は?
というものであった。
というわけでAMAZONの評価がよさそうな、米田憲司「御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年」を読んでみた。2005年7月、事故から20年を目前に出版されたものである。DVDも付属しているが図書館では映像作品は貸し出さないのでDVDはなかった。ま、DVDは出来が悪いようだし、まあいいか。
著者は赤旗の記者。冒頭は事故発生の連絡から墜落場所をさぐるまでのドキュメンタリーでなかなか面白かったが、後半は上記の謎を探るものとなっており、文体もかなり変わる。よく調べてあるし、事故調査委員会の報告も含め他の説も公平に取り上げているが、前半のドキュメンタリータッチとはうって変わって冗長な印象は残る。
①については自衛隊が事故原因に関与していたのかどうかを確認するために米軍を含め現場に近づけなかったためではないか、②については、修理ミスをボーイング社が認めたのはジャンボ機全体の構造問題とするよりも得策とのボーイング社および日米の政治的な問題。修理ミスにより隔壁の金属疲労が進み、破裂し、穴が開いて急減圧が行ったために尾翼が大破というストーリーにした。そのストーリーを正当化するには相模湾に墜落した尾翼の部品などは回収して調査はしない、生存者の証言(急減圧発生時には突風が吹き、機内温度が-40度になるはずだがそのような兆候はなかった)を無視してボイスレコーダーの解析もしない事故から4日めで推定原因を発表した。さらには近年、情報公開法が施行される直前の年に当時の資料をすべて廃棄した。というような感じ。
②について本当の原因はこの本では断定はしていないが、いわゆる急減圧は発生していなかったとは言っている。原因としては尾翼構造の問題でフラッターが発生し、先に尾翼が破壊されたのではないか。それから徐々に減圧が起こった説を紹介しながらも、整備士たちの推論である、尾翼上部の変形(外的要因による変形)も紹介している。これは尾翼に何かがあたり壊れたというもので、著書では否定しているが、自衛隊の演習中の飛行物体の衝突なども可能性として残すことになるのだろうか。冒頭で墜落地点の情報が二転三転された原因として自衛隊による現場隔離説を著者はあげるが、この間の経緯や自衛隊のヘリなどの行動はいくら昔、雫石の事故(自衛隊機が民間定期航路を横切り民間機と衝突、墜落した)があったとはいえ、ちょっと異常な感じはあった。
最後に事故調査委員会のあり方について著者は触れている。これについては戦後初の航空機事故の頃から、結論ありき、犯人捜し、構造問題隠蔽体質は柳田邦男あたりの著書でもよく言われていることである。
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生誕100年 東山魁夷展の公式サイトでは東山魁夷の絵を壁紙としてダウンロードできる。「残照」をダウンロードして壁紙にしてみたが、ディスプレイのせいか手元の画集3冊と色が微妙に違う。しかも3冊とも違う。本当の「残照」はどんな色なのか気になってでかけた。
公営美術館の展覧会は17時で終了してしまうことが多いが、この展覧会は木・金・土は20時までやっているので仕事帰りに見に行くことができた。平日10時くらいは入場制限が出る盛況らしいが雨の夕方ということで予想外に閑散としていてゆっくり見ることができた。
実物の色を見ても、帰宅して画集と見比べられないので図録(2,300円)を購入して、図録の絵と実物を見比べてみた。結論として図録と現物は同じ色である。しかし雰囲気や迫力が全然違う。油絵と違い和絵の具を使った日本画にそれほどの質感があろうとは思わなかったのだが、かなり違う。さらに色は同じなのだが照明の関係もあり全体に暗めでありそれが荘厳な雰囲気を醸し出す。図録の色の再現性は十分だと思うが、写真で言えば原寸とサムネイルの差くらいの迫力の差がある。
ちなみに帰宅して図録と3冊の画集を比べたがやはり図録とは色が違う。そして図録と壁紙はやはり色が違う・・・。いずれにしてもこれからは図録を東山魁夷の絵のリファレンスにしなければならない。
さて、すばらしい展示であった。総数150点という規模からそのボリュームは想像していたが、画集ではすべて同じサイズで見てしまう絵がかなりの大きさ、それも異なった大きさであり、それを実感できた。たとえば「月篁」は竹林の上が明るく画面には書いていない上部に月があることを思わせるが、これは画集の小さな画面ではなかなか実感できないが、大きな現物を下から見上げると光を感じることができる。
驚いたのは唐招提寺の障壁画、第1期の濤声(部分)と第2期の揚州薫風が展示されていたこと。作品の性質上、せいぜいスケッチや試作しか展示されないのだろうと思っていたが、襖絵の現物はもちろんそれを支える建具、手前には奥行き二畳分の畳もあった。濤声は好きな絵であるがこればかりは奈良まで行かないと見られない、あるいは行っても障壁画が見られるかどうかは唐招提寺のwebでもわからない。本物があるがままに近い状態で見られたのでとても良かった。
展示数も多いので図録も立派である。作品の解説が細かく、上記のとおり印刷の再現性も良いのでこれだけでも価値がある。
売店では図録のほかに数十万円のリトグラフをいくつも売っていたが、当然見るだけ。
1枚800円で大判の絵も売っていたが、もう飾る場所もないので、これも見送った。
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「新訳 星の王子さま」を読んでみたが、旧訳も読んだことがない。もともとは読書嫌いだったので、高校を卒業するまでまじめに読書したことがなかった。だから高校以前に読まされるような名作と言われるものは読んだことがなかった。それ以降に読んだものはそれ以降の年代でも読む価値があったのだろう。
「星の王子さま」は子供の心を失った大人へのメッセージであるという通説以外に、第二次世界大戦の頃の国際社会への政治的なメッセージだという説もあるようだが、ざっと読む限りは通説でいいではないか、と思う。
僕的には「大切なものは目に見えない」というよく聴く台詞の出所がこの本だったことを知った程度。
大人向けのメルヘンに酔えるほど子供心は持ち合わせていないようだ。
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警察も交番や町の警察署あたりまでは想像がつくが、警視庁の本庁や警察庁となるとよくわからない。キャリアはいきなり警部補から始まる官僚組織であり、それなりに勉強が得意な人が多いのだろうが、試験勉強ができるのと仕事は違うし・・・・。
というわけで「警視庁情報官」を読んでみたが、話としては面白いし、警視庁の中身や捜査というものを知るには良いが、小説としてはいまいち、いま2くらい。ちょうど江上剛が銀行小説を書き始めた頃のレベルかな。
いろいろ表現したい、押し込めたい気持ちが前面に出すぎて、ちょっと乱雑である。
まあ、このように国家を憂いて日夜勤務する人もいるのだろうし、必要な組織ではあるが、警察への協力者へはにっこり笑って身辺調査で身ぐるみはがすような仕事はやりたいとは思わない。
主人公がキャリアでないけど早稲田政経から入ったという設定は、所轄の警察署の風景を描くのに必要だったとはいえ、キャリアの設定よりは良いが、仕事の出来も容姿もかっこよすぎて早稲田っぽくない。
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椎名誠「ごんごんと風にころがる雲をみた。」を読んだ。
椎名誠の本はかなり読んでいるがなかなかその多作に追いつかない。
モンゴル、チベット、北極圏、シベリア、パタゴニアなど世界の異境への旅をオムニバス形式でまとめている。寄せ集めなので以前に読んだ記憶のあるものもちらほら。
椎名誠は1944年生まれだから今年で64歳というすっかり高年の部類に入るが、若い頃とあまり変わらない行動力と体力で動き回り、飲みまくっている。
赤マントシリーズは電車の中で読み流すのにちょうど良いので(元が夕刊フジの連載エッセイだったか)新しいのでが出ると読み散らかしている。今回の「ワニのあくび~」はたまたま「ごんごんと~」と時期が同じだったようで、「ごんごん~」の取材裏話のような話が「ワニのあくび~」に出ていて面白かった。
【訂正】赤マントは週刊文春の連載でした。夕刊フジは別のを連載しているとあとがきにあった。
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中島 誠之助「ニセモノ師たち」を読んだ。TV「なんでも鑑定団」の中島センセイである。
TVでは偽物だと千円とか鑑定しているが、実際のお客さんにはそのようにはいわないようだ。「大事になさってください」とか「変わったものをお持ちですね」「楽しんでますね」というような感じ。
もっともプロがひとめで見てわかるようなニセモノはこの本の主題ではなく、プロがプロをだますようなものがこの本のテーマになっている。中島センセイのお父さんも手を染めたこともあり、中島センセイも痛い目にあっている。やはり筋というものはあるようで、出所とか、あるいは妥当な値段とか・・・。
あのTVが15年も続いているのは他人の不幸を願う日本人の習性と、たまに出てくるいい話、お宝のせいだろうが、あのTVによって骨董や昔のおもちゃなどが見直されたのも事実。残念ながら我が家には鑑定してもらいたいものは全くないので(横浜の実家に古いおもちゃが売るほどあったが、噂では北原さんという人がトラックで来て、二束三文で根こそぎ持って行ったらしい)これからも、楽しく眺めるだけである。
それにしても中島センセイ、ずいぶん本を書いているなあ。
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白洲正子「器つれづれ」を読んだ。
生前の正子がいろいろな場で発表した陶器に関する文章を彼女の遺品となる陶器の写真を交えてまとめたものである。編集までは存命していたが刊行時には正子は故人になっていた。
骨董にも器にも興味はないが、なんとなくゆったりとした気分で読める。器の写真もきれいだが、おそらく百万円単位の名品の陶器も写っているのだろうが、ぼくにはいくら蘊蓄を説かれても、100円ショップとはさすがにいわないが、そこいらで売っているものとの区別は当然ながらつかない。
過去に発表した文章の寄せ集めなので、読んだ記憶がある文章も多いが、そういう文章にこそ味わいがある。

が、孫の白洲信哉は祖父が小林秀雄とは思えないほど文章はいまいちである。おそらく祖母・正子の関係で細川総理の秘書も務めた人物のようだが・・・。 白洲信哉「白洲次郎の青春」は、祖父・白洲次郎が青春時代をすごしたイギリスや卒業旅行の道筋をベントレーで訪ねる紀行であるが、なんとなく読み続ける気が起こらず、早々にリタイヤした。
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坂東元「動物と向きあって生きる」を読んだ。本文の漢字にはルビが振られ小学生でも読めるようになっている。
著者は旭山動物園の副園長。この動物園が廃園寸前から立ち直り、今や日本一の入場者数を誇る人気動物園となったことは有名だ。坂東さんは「行動展示」といわれる手法で動物本来の能力や凄さを見せることで、この動物園を有名にしたかずかずの展示館を考えた人である。特集TVになると必ず案内者として出演し、興奮しているタレントを横目につまらなさそうな顔をブラウン管、じゃない液晶に映し出している。これだけ有名になって取材攻勢ではいろいろ疲れるのだろうなあ、と半ば同情の気持ちで副園長を眺めていた。
ちなみに坂東さんもぼくとほぼ同年代。
そんな坂東さん
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