
TVをつけたら、ジブリ映画の「猫の恩返し」をやっていたので見てしまった。
この映画を最初に見たときの感想は「ジブリで一番できが悪い」だったので、そう思いながら見てみたら、逆にけっこう楽しめた。
もともと「耳すま」に登場する猫の人形のフンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵の「バロンがくれた物語」によるものだから、「耳すま」外伝として見ると、主人公のバロン(鈴木プロデューサーが題名を「バロンがくれた物語」にしてほしいと提案したとき、森田宏幸監督は、「主人公はあくまでハルであって、バロンではない」と思ったそうだが。こちら)はもちろん、ムタ(=ムーン)がいい味を出していることにしよう。ムタは「耳すま」ではムーンのことを地球屋の近所の子供がつけた別名、ムーンは天沢聖司がつけた名前と知っていれば、最後の格闘シーンでムタがムーンと名乗るシーンもほほえましい。BGMも「耳すま」のものがこっそり(たぶん)2カ所でそのまま使われていた。
ただ、やはり、ではハルは何だったでしょう?という印象だけは同じだった。
だいたい、トラックの前に急に飛び出したら猫でなく自分が事故ってしまうけど・・・。
全然関係ないというか「耳すま」で重要な素材となる「ラピスラズリ」はジブリでの初出は「天空の城ラピュタ」でしたね。主題歌・井上あずみ「君を乗せて」にもはっきり出てきたのに最近気がついた。パズーとシータが地下の坑道を歩いているときに出会ったポムじいが見せてくれた。
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原作を読んだので映画の方も見てきました。
台風の接近を告げるニュースを日付入りで流すことで時間の流れを意識させ、クライマックスは台風になるのはまあ、いいかな。
三浦友和のサラリーマンがなぜホームレスの仲間になろうとしたのかが不明だった。歩道橋を降りてくる姿を見て「モーゼだ」はないだろう。それと彼がホームレスから脱却するきっかけがなくなってしまった。そのために元クラスメイトのアイドルに夢中になる話と他の話の接点がなくなった。
これが原作とのストーリー上の違和感。
鳴子の娘がシンヤ(ギャンブラー)の相手役で登場することとシンヤがホームレスにあこがれたサラリーマンの息子であることが原作との一番大きな違いで、これによりひとつの映画としてまとめやすくなったが、鳴子もシンヤもそれによってそれぞれが親と子の問題、テーマを持つことになってしまった。それでなんとなく親と子の絆のようなものがテーマになってしまったが、原作のもつ、ちょっといい話レベルのものが、重いテーマになってしまったように思える。まあ、それはそれで良かったのかもしれないが。ストーリーは同じでも少し設定をいじるだけでこんなに印象が違う作品になるのか、とある意味感心した。
ああいう流れ話であればシンヤは岡田准一でもいいか、という感じ。原作のイメージならルー大柴とは言わないが、もう少し情けない役の合う、佐藤隆太あたりか。
原作でも一番違和感があったのが、あの情けない芸人(伊藤淳史)がいくら時代を経たとはいえ、あの堂々とした大ぼら吹きになるものだろうか?? もっとも映画は同じ俳優がやっているので芸人=モーゼなんだが、原作では「アメリカ兵を殴った」というキーワードだけであり、同一人物とは明言していない。
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虹の女神を見た。
構成の勝利ではないか。変わった形の虹の写真をアメリカに行ったあおいにメールした智也。返事はなく代わりに届いたのは彼女の事故死の知らせ。そこから物語は始まり、出会いからあおいのアメリカ行き、事故死と葬儀、そのあとの流れになる。
智也を演じる市原隼人にはこれといった印象は残らなかったが、あおいを演じる上野樹里がとてもふつうっぽくて良い。智也のあまりの鈍感さにいらいらしながらも、蒼井優演じるあおいの盲目の妹が、ちょっと冷めた感じで良かった。相田翔子のくだりはよくわからない。あえていえば押しかけ女房のような相田翔子を智也が追い出して空しい気持ちになったところに変わった虹が出て写真を送ったという冒頭に戻るための布石くらいか・・・。虹の写真を待ち受け画面にしたあおいの遺品の携帯の厚みが、少し前の映画だなと思わせる。
この歳になると青春映画を見てもなかなか感情移入はできず、第3者的な視点で見てしまうが、それでもなかなか良い映画である。
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山の郵便配達を見た。
80年代初頭の中国湖南省西部の山間地帯の郵便配達人の話。いい映画との評価が多いことは知っていたが中身はまったく知らず、郵便配達人と届ける先の人々との交流の話かな、と思っていたら違いました。ま、もちろん交流もあるのですが・・・。
2泊3日かけて120キロの山道を歩いて郵便物を配達する公務員である父はひざを痛めて、息子にその職を引き継ぐ。息子の最初の配達に案内をする犬(次男坊)が父が家にとどまったまま息子に付いていかないためにやむなく犬を連れて引き継ぎの旅に出る。道のりの厳しさを知らされていなかった息子は戸惑いながらも徐々に父のやり方に理解を示していく。旅の途中で出会った山の民族の娘に心をひかれながらも、母と同じ境遇になることを懸念する息子。幼少のころから不在の父に威圧感だけを感じ親近感を持てず「あんた」と呼んでいた息子は足の悪い父を背負って冷たい川を渡る。背中の父は息子とのわずかな記憶を思い出し涙し、渡り終えた息子ははじめて「父さん」と呼ぶ。
大きな波乱もドラマもなく、わずかな台詞のほかは表情の変化だけで映像は進んでいく。じんわりとした印象が残る良い作品だと思う。
ところで、父子のドラマというのはたいていは父がいろいろな意味で立派な人であるケースがほとんどで、この映画も郵便配達にかける熱意と配達先への配慮などにこだわりそれを息子に教え込む父はある意味、立派な父親だろう。あまり立派な父を持たなかったぼくにはこういうシチュエーションができるのはうらやましい。
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「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」。向田邦子のTV番組はそれと知らず見ていた。意識して読んだのは氏が台湾の航空機事故で亡くなってからで、短編集「思い出トランプ」と「父の詫び状」を読んだ記憶があるがそのほかはTVドラマもエッセイも読んだことがない。
映画「阿修羅のごとく」は1979年から放送されたTVドラマを2003年に森田芳光がリメイクしたもの。元のTVを見ていないのでそれとの比較はできないが、現実の家族に起こったらひとつひとつがけっこうな大事件なのに見終わったあとになんとなくほっとしてしまう向田邦子らしさを出した映画であった。
しかし4姉妹のせわしなさ・・・。母親・八千草薫がおっとりしている反動だろうか。彼女たちを4人も育てた父親も立派だなと思うが、仲代達矢は歳の離れた愛人・紺野美沙子とその連れ子と何をしていたのだろう。黒木瞳の夫の愛人役の木村佳乃のわざとらしいまでの色気を蒔き方が妙に印象的であった。
それにしても独立した4姉妹が実家に集まり、鏡開きにもちを割って揚げモチ。。。昭和だと思う。
P.S 原作TV(1979年)と映画(2003年)のキャストを比べてみるのも面白い
| 配役 | 原作TV | 映画 |
| 三田村綱子(長女) | 加藤治子 | 大竹しのぶ |
| 里見巻子(次女) | 八千草薫 | 黒木瞳 |
| 竹沢滝子(三女) | いしだあゆみ | 深津絵里 |
| 陣内咲子(四女) | 風吹ジュン | 深田恭子 |
| 竹沢ふじ | 大路三千緒 | 八千草薫 |
| 竹沢恒太郎 | 佐分利信 | 仲代達矢 |
原作TVを知らないので逆に見るしかないが、加藤治子では映画の大竹しのぶ本人のようにいつも男狂いしている女はちょっと無理ではないか(大竹しのぶもNHK朝ドラ「水色の時」のころはあんなになるとは思わなかったが)。いしだあゆみは美人もさえない女も演じられるという意味では深津絵里と同じタイプかも。風吹ジュンは深田恭子役は問題ない。大路三千緒?・・・存じません。
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「亀は意外と速く泳ぐ」はそこはかとなくおかしい。「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」は能天気なまでにおかしい。
「亀は意外と速く泳ぐ」の上野樹里は若すぎて海外単身赴任の夫に放置された暇な奥さんには見えにくいが、目立たないようにする「スパイ」役にはとてもふさわしい。脇役もちょっといなそうな変人ばかりで存在そのものがおかしい。目立たないようにそこそこの味のラーメンしか作らなかったラーメン屋が最後の晩に自分のために最強の味のラーメンを作るところが哀愁を感じてこれもおかしい。
爆笑はないけど、くっくっく、とちびまる子ちゃんの野口さんのように笑い続けた。
一方、「バブルへGO!!」はいかにもホイチョイらしい、どたばた映画で1990年にタイムスリップした広末涼子を落とそうとしていた阿倍寛(いくらバブルの時代とはいえMOFの官僚があそこま遊んでいたとは思えないが)が娘と知って態度を急変させてからが面白い。
思えば90年当時はたしかに携帯電話はまだなかったなあ。携帯がないための待ち合わせや連絡方法(先進的なポケベルとか)や六本木のスクエアビルなど懐かしい。
一方、AMAZONのレビューにもあったけど、薬師丸ひろ子がお母さん役をやってしまうところに年月の流れを感じ、きっと一世代上の吉永小百合に対する印象が同じなんだろうなあ、などと思う。原田知世はまだお母さん役はできないけど。
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溜まっていた映画の続き・・・・。

村松友視の「時代屋の女房」を読んだのはもう20年以上前だと思う。あまりストーリーは記憶していないが古道具屋「時代屋」の前にある歩道橋のらせん階段を女房が帰ってくるラストシーンだけはなぜかよく覚えている。
映画のほうはヒロイン夏目雅子を筆頭に、沖田浩之、TV「大岡越前」の村上源さんの大坂志郎、初井言栄 などの故人の元気な姿や、かなり若い渡瀬恒彦、津川雅彦、朝丘雪路などの俳優・女優陣、103系が走る京浜東北線や0系の新幹線など、なつかしき昭和を見ているだけもなかなかだった。
まあ、ストーリーはもともとないようなものだけど、25歳の夏目雅子はとてもきれいだった。でも年齢の割にはふけ顔かもしれないとも思った。


たまたま図書館に原作本があったので、原作を先に読んで、それから映画を見た。
原作を読んでしまうと原作がどのように映像になっているのかに注目してしまうので良し悪しであるが、やっぱり原作との差に目が行く。
ストーリーはほぼ原作どおりで、もてない兄弟の物語。原作と同じセリフも多かったが、やはり原作のこまやかさが欠けてしまっているのが少し残念。兄役の佐々木蔵之介(07年の大河ドラマ「風林火山」で真田幸隆役)がいい男なのでもてない役がややずれている。大垣賢太の妻がなぜ離婚に同意するに到ったかの心理描写がない、・・・とか。
ただし映画としてはほのぼのとしていて後味が良い。特に高架から見る新幹線の車両区の映像は映画ならではのものだ。原作では、弟が失恋すると近所の新幹線を見に行くとだけの記述であるが、夕日をあびる車両区でゆっくり動く700系の映像はなかなか良い。
エリカ様も出演されていましたが、役柄に合っていた。
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「運命を分けたザイル」を見た。
この映画のことは事前に全く知らなかった。高所遭難の映画では「バーティカル・リミット」という映像がチャチなのがあるのでやや引き気味に見始めた。映画と文芸の違いはあるにしても、はたしてノンフィクションである「凍」を超えられるか・・・。
(以下、ネタバレ)
最初の部分で、物語が実際の遭難を扱ったノンフィクションであることが判明し、生還した本人たちが説明を入れながら物語は進む。舞台は南米アンデス、6千メートル級の未到峰シウラ・グランデでの遭難である。海外の山は詳しくはないが、映像は雪線や山容を見る限り少なくとも手軽なロケという感じではない(ロケ地は事件の舞台を含めアンデスとのこと)。
雪上や岩壁でのシーンはかなり迫真ではないかと思う。
映画の邦題は「運命を分けたザイル」であるが原作は「死のクレバス」である。
下山途中で右足を骨折したジョー・シンプソンはその時点で自力下山が不能であること、パートナーのサイモン・イェーツが自分を残して下山するであろうこと、すなわち自分が死ぬことを覚悟するが、サイモンはザイルを結んでジョーをゆっくり下ろすことを選ぶ。しかしジョーは途中で宙吊になってしまい荷重を支え切れないサイモンは二人とも滑落することを防ぐためにジョーとのザイルを切る。
ジョーはクレバスの底に落ちていく。
普通はこれで死ぬのだが、彼は死なない。途中の棚にひっかかって一命を取り留める。そんなことがあるんだ、実際に・・・。しかも元からの骨折以外はとくにけがはない。
その事実を知らないサイモンはひとり下山し、キャンプで自責の念にさいなまれつつなかなかキャンプをあとにしない。
映画に本人たちも出ているので二人とも無事(生きて、という意味)に生還していることはわかっているが、クレバスに落ちたジョーが、どのようにこれを打開していくのか、ザイルが切れた(切った)あと、別々になったふたりがどのように生還するのかはなかなか迫力がある。原作が落ちた(ザイルを切られた)本人が描いているのでこのあたりは詳しい。
クレバスを登ろうとして挫折、底が見えないさらなる深みへの決死の下降、クレバスからの脱出・・・・。光を取り戻したジョーであったがそこからはまだ長い氷河を片足で下る必要がある。杖代わりのものは短いアイスバイルだけ。雪や氷河の上はなんとか後ろ向きに座って進む、さきに下山したサイモンの足跡を目印に進むもやがて雪に足跡は消され、さらに氷河が終わると岩稜帯・・・・、ここからははいつくばって行く。20分後に目標地点に着くことだけを自分に言い聞かせながら激痛のする右足を動かす。
やがてキャンプの手前まできて、すでにサイモンが下山しているに違いないとの落胆、精神錯乱できらいなバンドの音楽が頭の中をぐるぐるしている状態でサイモンの名を呼び続ける。ふたりが留守の間、キャンプを守っていた男はその声を聞くが、人間ではない化け物と信じて何もできないなか、サイモンはすぐに探しに出かけて、ぼろぼろになったジョーを見つける。
「すまなかった」とあやまるサイモンにジョーは「あの状況ならおれも同じことをした」と答える。
エンディングロールでザイルを切ったことで帰国後サイモンは山岳界から非難を浴び、それをジョーが擁護していると出ていた。
感想を書くより、どうしてもストーリーを書いてしまう。ストーリーを説明すればその状況がわかり、それによって受けたこちらの感覚もわかろうというもの。
率直な感想・・・・鍛えた人間てあんなに飲まず食わずでも動けるのだ・・・。
ジョーもサイモンももちろん今でも山を登っている・・・。
ネットでもかなり評判がいい映画のようである。
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11月23日に公開された映画「ミッドナイトイーグル」を見てきた。
なかなか良い出来である。
原作は高嶋哲夫の同名小説。ネットを見ると山岳小説としてもなかなか良い出来らしい。
先日、NHKハイビジョン特集「白夜の大岩壁に挑む~クライマー山野井夫妻~」を見て、久しぶりにこの系統の書籍に興味を持ったところにこの映画の公開を知った。舞台は北アルプス。予告編では北穂からの槍ヶ岳が映る。特集番組によればロケは新潟、上越地方の津南とのことだが、どこまで穂高が出てくるのだろうというネタ探しの興味もある。
近所のワーナーマイカルは21時だというのにけっこうな人出。
TSUTAYAのTカードでチケットを購入したらやけに安い。開館2周年記念で今日だけ1000円だって。得した気分。
劇場はガラガラ・・・。ロビーの人出の大半はきっと「続・三丁目の夕日」に回ったのだな、レイトショーとはいえ公開2日めの土曜日でこの入りで大丈夫なんだろうか・・・。
以下、ややネタバレあり。
原作は2000年刊行であるが、映画では六カ国協議などの台詞もありもっと現代に置き換えられている。
オープニングは戦場カメラマン西崎(大沢たかお)の戦場でのシーンから始まる。
次に冬の穂高の稜線を一人で歩く西崎の遠景。このシーンは眼下に上高地が見えたので穂高での撮影だが、遠景だったので大沢たかおではなく代役では。西穂っぽい風景もあったが一瞬だったのと現地を経験していないので不確か。吹雪のシーンでは八ヶ岳の赤岳鉱泉から見た大同心を見上げたものもあった。
北アルプス、穂高までは実名が出るが、ピークや尾根の名前、登山口はすべて架空であったがストーリー展開には影響はない。
本編131分と2時間を超える長編であるが、最初から最後までまったくだれるところがなく、しかもテンポは速すぎず無理なく物語は進む。原作は未読なのでどの程度の違いがあるかはわからないものの、ストーリーとしては無理を感じなかった。あえて言えば、実際の政権担当者があれだけ迅速に決断を出来るか、という点だろうか。それと墜落地点はかなり平らであるが穂高にあれほど水平な場所はないだろう、しかも吹雪とは言え山岳レンジャーが2日半もかかるところなんて、ということくらいか。
西崎の山岳部後輩で新聞記者役の玉木宏はNHK土曜ドラマ「氷壁」で、主役をやったが、あのドラマが名ばかりの「氷壁」だったのでかなり印象が悪かった。今回は良かった。
なんと言っても良かったのは自衛隊佐伯三佐を演じる吉田栄作。久しぶりに彼の姿を見たが、最盛期の軽さは影を潜めひたすら渋かった。慶子(竹内結子)の上司の編集長の石黒賢は軽すぎてストーリー全体から浮いていたように思えたが、全編に緊張感が漂うストーリーの中で息抜きのためにあえて軽めにしたのだろう。
日本映画の割りには死んでしまう人が多すぎるような気はしたが、あれでまったくのハッピーエンドでは単なるヒーロー映画になってしまうわけで、そうしなかったことがこの映画の成功だと言える(興行的には知らないが)。
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「エヴァンゲリヲン新劇場版:序」を先月、公開から2週間ほどたった平日に見てきた。
序破急の序であり、ヤシマ作戦を中心とした物語であることはわかっていたのでストーリー的な新展開はあまり期待せず、大画面での絵を楽しみにし、かつ事前知識はなるべく排除して見に行った。
で、この映画をマニアの方はどう評価したのかというのが少し気になり、mixiを覗いてみたのだが、ぼくが読む速度の何倍もの速度で書き込まれるので、全部を読むのは諦めてこちらにアップすることにした。何せ公開初日の昼過ぎの書き込みで、すでに2回見たとか、気になった所、前作やTV版と異なったところなどをエンドロールの後の「破」の予告編も含めてきわめて詳細にレポートしている書き込みが多く、あらためてマニアのレベルを知った。
この映画を見るためにTV版をあわてて見た程度なので、マニアの人のようにはいかないが、気が付いた所(以下、ネタばれ)・・・。
・オープニングの海が赤い
・西暦2015年の表示がない
・箱根山中?に大きな人型の陥没のあとは何?
・起動前の初号機が瓦礫の崩落からシンジを守るシーンがない
・15年前からの契約ってなんだ。
・ミサトいきなりセントラルドグマのアダムにシンジを案内してしまう
・ネルフを離脱したシンジを見送るトウジとケンスケのシーンがない
・ヤシマ作戦の1発目もいちおう使徒に命中している
などなど細かいところでTV版と異なっており、そのひとつひとつが今後のストーリー展開に意味があるのでは、と思わせるところが多い。
しかし、CGや画面の出来は予想したほどではなかったかな、という印象。

士郎正宗の系統とは毛色が違うので比較するには無理があるが、APPLESEEDのようなフルCGを見てしまっていると、アナログTVと地デジの画面の違いほどの差がある。
で、やっぱりエンドロールの後の破・予告編が一番面白かった・・・。
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江口洋介、原田知世「となり町戦争」をDVDで見た。
昨年、原作を読んだときに映画は劇場で見たいなと思っていたが、mixiのコミュでも全然話題にならないままマイナーな映画はさっさと公開は終わってしまった。
前半は原作をそのままの感じでストーリーが進み、このあたりはかなりコメディタッチでもある。後半になると実は原作のストーリー展開をよく覚えておらず、映画の展開からああ、そういえばそうだったとか思い出す。香西さん(原田)の弟とか、北原(江口)の上司とか。このあたりからストーリーはかなり重くなり、たぶん原作にはなかったラブストーリーっぽい雰囲気も出てくるが、北原と香西の微妙な距離感などは映画のなせるわざでもあり、悪くはない。

めちゃくちゃ重くはなく、感動的でもなく、バラエティでもないところが原作と同様で読後感がある原作と同様の感覚が残るが、最後の旧京王線5000系(伊予鉄道700系)でのシーンはやりすぎ。
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エヴァンゲリオンがブームになった10年前は何の興味もなかったが、この9月に公開される新作のプロモーションビデオでの街中からせり上がる通常兵器とビル群のCGと宇多田ヒカルの歌う「Fly me to the moon」に惹かれてアニメ全編と映画2本を見てしまった。DVDが借りられなかった分はYouTubeでフランス語とスペイン語字幕(音声は日本語)をゲット。
第一話から見始めた当初はいろいろびっくり。物語の設定をわざとあいまいにしているせいか疑問が疑問を呼ぶ作りになっている。エンディングテーマがFly Me To The Moonであることも知るが曲とともに流れるエンディングアニメも不思議だ。なんでレイがさかさになって回転しているんだろう。これ。敵の呼称が「使徒」などいかにも宗教的な命名。
で、話は終末になればなるほど混沌とし、TV版とDVD版と異なる画像、さらには劇場版2本の全く異なる結末。というわけで9月からむこう3年にわたって公開されるものも別の結末になるようだ。
監督の庵野秀明は「風の谷のナウシカ」で巨神兵や「火垂るの墓」の原画を担当した宮崎駿門下生。97年公開のジブリ「もののけ姫」に宮崎駿が異様に気合を入れたのは同時公開がエヴァンゲリオンだったためとも言われる。宮崎はエヴァンゲリオンの映画を3秒しか見ていないと言っているが、このふたりの確執はどうなったか。このあたりの情報はこちらが詳しくかなり楽しめる。
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たまっていた映画を2本見たら、2本とも竹田かほりが出ていた。そういえばそんな女優がいたなあ。ネットで調べたら1958年生まれだそうな。碌な映画に出ていない・・。
この2本は出演映画の中ではまともなほうか。
「スローなブギにしてくれ」、「俺達に墓はない」の2本である。
「スローなブギにしてくれ」は原作を遠い昔に読んだことがあるが記憶には全くない。片岡義男の小説ってそういう感じのが多かった。映画は表題作に2本の小説をあわせたような構成になっているらしい。
猫を拾った少女が若き日の浅野温子と気が付くのにはずいぶん時間がかかった。浅野温子はぼくの場合はW浅野あたり、すっかり大人になってからしか知らず、どちらかというと「あぶない刑事」で男漁りしている行きそびれのカオルのイメージしかないので、容姿、演技内容ともかなりびっくりした。
最後は余計だとの評価が多いがその通りだと思う。
81年公開の作品なので相模線はまだ非電化だし、出てくる車も古いが、ムスタングのおじさんが乗るムスタングだけは古さを感じなかったのは最近のアメ車を知らないためだけなのかどうか。
「俺達に墓はない」は、いつもどおり松田優作だけがかっこいい。松田優作の映画の多くはかなりの暴力志向のものが多いが、今では考えられない岩城滉一のマヌケな弟分の演技も含めて、全体にコミカルである。
「スローな~」ではほんの脇役だった竹田かほりがけっこうキーになる役をやっているのが意外。
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アニメ版「時をかける少女」を見た。
原田知世の映画はもちろん、NHKドラマ「タイムトラベラー」(1972年)からこの作品を見ているぼく的には、原作から20年後の話であり、跳び上がる明るい女子高生の絵に「ちょっと違うんでは」・・・、さらに原作の芳山和子がアニメではヒロインの伯母さん役で「タイムリープ」に関するアドバイスをするという。ふう~ん、なんか興味ないですな、という感じでDVDになったのも知らなかった。
今月28日のBSアニメ夜話「時をかける少女」の録画を見始めたらなんとこのアニメ映画のことのようだ。すっかり原作の話だと思っていたが題名を見ればわかるとおりアニメの話だった。アニメ夜話で特集するということはそれなりの作品なのだろう、というわけでこの録画を見るにはアニメを見ておかねば、というので今日借りてみた。
まず最近のアニメの作りに驚く。
宮崎アニメ以降、背景の書き込み、CG化は実写に迫るものがあるがこの作品は技術にこだわるかのように書き込んでいる。背景はプレステ3のゲーム並みでありながら、人物はいわゆる影なし手法ではっきりと存在させる。
キャッチボールのシーンが何度も登場するが、女投げはもちろん男の投げ方やキャッチの仕方などかなりよく書いている。ジブリアニメ「耳すま」でバイオリン演奏のシーンの書き込みが話題になったが比較にならない。
芳山和子がヒロイン真琴に自分の若いときのことを語るシーンでは横顔のむこうに書棚のガラスにうつる和子の横顔、さらにガラスの中に飾られた高校時代の男友達と3人の写真なども見事だ。ついでにいえばその写真に移る女子高生の和子はもう少し原田知世っぽくしてほしかった・・・。
原作との大きな違いはタイムリープを自分の意思でできること、そして未来人(原作では深町くんことケン・ソゴル)が未来へ戻ってもタイムリープや彼の記憶をそのまま持ち続けることだろう。
筒井康隆がこのアニメを認めたといわれ、BSアニメ夜話でも概ね好意的なコメントをしていたが上記の技術はもちろん、ストーリーや映画としてもなかなかよくできた作品だと思う。
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NHKの大河ドラマ「風林火山」が始まったが・・・・。
武田信玄については昔、新田次郎の「武田信玄」を読んだだけであるが、山本勘助の印象はあまりない。というわけで本家・井上靖の「風林火山」を読んでみた。
新田次郎の全4巻、3千枚から比較すると短編ともいえる1冊である。山本勘助の生涯や軍略を描くというよりは山本勘助の信玄と由衣姫(「武田信玄」では湖衣姫だったような)への思いを通じて戦国時代を描いたと言える。文庫版の解説で吉田健一が指摘するとおり、山本勘助が架空、伝説の人物だったかもしれず、信玄もこのようではなかったかもしれないのは問題ではない。
さて、大河ドラマの方だが放送4回めでやっと晴信(信玄)と勘助は出会う。これまでは実家(山本)と養家(大林)の話や甲斐での妻・ミツが信玄の父、信虎に惨殺される話などである。ミツの死はTVでは明確には言わなかったが、信虎の矢を勘助がミツに贈った毘沙門天のお守りがはじいて九死に一生を得たあとに、妊娠しているミツのおなかを信虎が切り裂いたことを示している。信虎のこうした奇行は「武田信玄」には描かれているが「風林火山」には描かれていない。実家や養家の話も「風林火山」にはない。
大河ドラマは井上靖の「風林火山」が原作かと思っていたが、違うのかもしれないとNHKのWEBを見ると「大河ドラマ第46作「風林火山」は井上靖の不朽の名作をドラマ化する戦国ロマン大河の決定版です。」と「企画意図」にはっきりと書いてある。むむ・・・。
山本勘助 実在説を主張する上野晴朗「山本勘助」に引用された「甲州軍艦」の訳を見ると、「風林火山」の中のエピソードが「甲州軍艦」を元にしているのがわかる。「甲州軍艦」には山本勘助の生い立ちなども記されている。
大河ドラマは「風林火山」ではなく「甲州軍艦」のドラマ化ではないのか。
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「阿弥陀堂だより」を見た。
「東京での多忙な仕事で妻が心の病にかかったのを機に、小説家である夫の故郷、信州へと移り住んだ夫婦。二人は美しい自然と人々との交流の中で、失った何かを取り戻していく。出演は寺尾聰、樋口可南子、田村高廣ほか 」というのがAMAZONの解説。
派手な事件や波乱万丈のドラマがあるわけではないが、信州飯山の山村の四季の風景をそのまま取り入れ、非常にほっとする作品になっている。2時間を超える作品であるが長さを感じない。BGMとして流しておいても気にならない作品である。

「阿弥陀堂だより」の里へようこそというサイトをロケの舞台となった飯山市が主催している。このサイトによれば撮影のためのセットは阿弥陀堂だけでその他はすべて現有の施設や民家を利用している。セットである阿弥陀堂は撮影当時のまま公開されている。
飯山など北信はスキーで斑尾に行ったくらいなので、早春の頃に訪ねてみてみたい気がするが、高速でも4時間近くかかるようであり、日帰りはちょっとつらいかなあ。
阿弥陀堂
scale:250000
36/52/52.896,138/26/21.914
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ALWAYS 三丁目の夕日をTVで見た。
西岸良平の原作アニメはスタートした頃、雑誌で見ていたが、あのアニメ絵がどうにも好きになれなかったので作品としての印象は希薄。
昭和30年代、団塊の世代といわれる人たちの少年時代、古きよき昭和をCGと大規模なセットで表現している。ストーリーよりもこのシーンはどのように撮影したのだろうとかそんなことばかりが気になった。もっともその出来はかなりの線ではあるが粗もけっこう目立つ・・・。特に舞台となる東京の下町のセットはいかにも箱庭的であり、奥行きがない。
ストーリーは予想通りでもあるが、親の世代に戦争の傷跡の匂いがするという、団塊の世代より一回り下の自分では感じ得ない部分もあり、それなりのカタルシスを得ることができる。
個人的には東京タワーよりもマリンタワーだけど・・・
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「ゲド戦記」の1~4巻をハードカバーで読んでみた。5巻はこれからだが、5巻は4巻のあと11年たって突然世に出て、みんながびっくりしたというものでもあり、とりあえず4巻が「ゲド戦記 最後の書」となっているので・・・。

原作を読む前に読んでみたのが、「別冊 宝島 僕たちの好きなゲド戦記」。こちらは映画公開直前に刊行されているので、映画に対する酷評はない。
もともと映画への酷評の多くが「原作が台無し」というものだったので、原作を読んでみようかと思ったが、こちらは全6巻のうち少なくとも映画の元になった3巻までは読んでみないといけないので、挫折する可能性がある。
「ゲド戦記」は世界3大ファンタジーと言われるが、そのひとつである「指輪物語」を元にした「ロード・オブ・ザ・リング」の映画3本はあまり面白いとは思えなかった。長いし盛り上がりに欠けたというのが感想(こちら)。ということもあり、ファンタジーには警戒・・・。
それで、まずはムック本を手にした。
ムック本はその2/3が原作全巻のあらすじと人物相関図で占められる。だからすでに原作を読んだ人には無用の本であるが、大作に手を出すのに躊躇しているぼくのような人間にはうってつけ。原作を読み終わってから振り返るとあらすじはそれなりによく書けている。ただ、雰囲気というか空気は伝わらない。
でもまあ、読んでみてもいいなと思った。
で、読んだわけである。たしかに面白い。独特の世界観。魔法使いが日常に浸透しているのがふつうになってくる。ムック本では「ゲド戦記」をユングの心理学的な観点から解説しているものもあったが、さもありなんという印象。
以下、ネタばれあり。
1巻(影との戦い)では途中まで傲慢で自信家のゲドが、自らのミスで影を放ってしまい、それにおびえやがて克服するサクセスストーリー。2巻(こわれた腕環)は大巫女テナーが使える神殿とそこに宝物を奪回にくるゲドの話であり、全体に暗い。3巻(さいはての島へ)は映画の元になっている巻であるが世界の均衡をくずれた原因をさぐりにアレンとともに旅をする話。ただしこの巻では映画に出てくるテルーは出てこない。アレンの心理の葛藤が秀逸だが、けっこう暗い。クモは田中裕子ではなくて男だった。4巻(帰還)は3巻で目的を達成したあとのゲドと大巫女から開放されたテナーの話。テルーがとても暗い。この巻は3巻のあと16年後に刊行された問題作であり、映画ではテルーの顔の火傷あとは両親の虐待ということになっているが、原作ではテナーの母は数人の男の奴隷であり男の一人との間にできた子供であるテルーは8歳(か、それ以下)で強姦され焚き火に投げ込まれ、片手の手の指は小さい頃の野口英世のように癒着してしまっている。
映画は1巻でのゲドの影との戦いをアレンにすりかえ、4巻に登場し、ラストでいきなり竜を呼びゲドとテナーを救う竜の娘テナーを、わりと普通の娘に描いている。火傷のあともきれいだ。ゲドやアレンとクモとの戦い方が全く違う。ジブリ映画の割には空中シーンに欠け、動きが少ないのはやむを得ない。
「子供が途中で寝てしまった」という感想も当然だろう。子供向けの映画ではない。
ゲドとテナーの2巻では舞台が闇の迷路で映像化できないし、あの世との扉を閉める3巻もそのままでは映像化は無理だろう。
というわけで宮崎駿は息子吾朗に「シュナの旅」をやればいいと、アドバイスしたようなので、今度は「シュナの旅」を読もうかと思っている。
P.S 3巻「さいはての島へ」の表紙と本文のイラスト。これって宮崎吾朗が書いた映画のイメージ画像と同じ・・・。これにはさすがにがっかりした。


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