塾員・千住博展


 山種美術館で開催中の千住博展に行って来た。今回は、―フィラデルフィア「松風荘」襖絵を中心に―ということで、フィラデルフィアの松風荘に納める滝の襖絵がメインで、その他にG市の記憶などの過去の作品や2006年に発表したフォーリングカラーズも展示されていた。
 美術館は入ると簡単な受付と小さな売店があり、グッズにおばちゃん連中が群がっていた。展示室はすぐ横で、くらい照明がほどこされた襖絵の展示スペースはいい感じであったが、中央のベンチにたむろするおばちゃんたちが目障りだった。千住博の日本画は松田権六の漆芸のようにいかにも難しそうな作品ではなく、誰でもその気になれば描けるのではないかと錯覚してしまうので、圧倒されるという印象はなく、むしろ全体のバランスや色遣いのようなもののほうが素人目には印象に残る。
 1500円の図録には今回の出典作について千住自らが細かく解説している。巻末に作品の年譜が出ているが、ここに出ていない新作を知った。

 その新作とは慶應義塾大学150周年の記念ロゴである。リンク先にはこのロゴの製作、選定過程のビデオクリップが掲載されているが、その中で「塾員千住博」という字幕があった。塾員ってなんだ?千住博は慶應の講師でもやっているのかな、と思ってネットで調べたら、卒業生・OBのことを塾員と慶應では呼ぶようだ。慶應義塾ことば辞典を見ると他にも独自の表現がある。「先生」は福沢諭吉のみで大学教授も学生も「君」。慶應義塾を構成する職員、学生などすべてを「社中」と呼ぶようだ。「社中」なんて坂本竜馬の亀山社中以外では初めて聞いた。
 ぼくは慶應出身ではないが、慶應の学生や出身者の知人、上司、同僚、親族もいるが、在学中の学生を「塾生」というのは聞いたことがあるが、塾員も社中も聞いたことがなかった。
 これらの独自の用語を部外者が知らないということは関係者が関係者のみで使うようにしているためでもあり、業界用語をひけらかすマスコミと違ってその点は慶應関係者の節度が感じられる。
 翻って業界用語やIT用語など仲間うちだけにしか通じない用語を無意識のうちに共通語だと思い込んでいないだろうか、と自省することしきり・・・。

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再訪:氷川丸とマリンタワー

秋のマリンタワー
マリンタワーから見た氷川丸
 今年の12月25日で営業終了する氷川丸とマリンタワーに行ってきた。
 自宅から50分で山下公園の駐車場に到着し、マリンタワーを見上げると上半分がピンクで下半分が白に塗装されていた。古い記憶のマリンタワーは赤と白のだんだら模様。いつ塗り替えられたのか・・・。
 最初はマリンタワーには行かないつもりだったが、タワーの中空を上下するエレベーターを見た娘が乗りたいというので行くことにした。
NHK「小さな旅」で氷川丸について12月1日のBShiに始まり昨日も総合TVで再放送をしていたのでこれを見て来た人(ぼくもその一人)もいたせいか、予想どおりの人出。
 展望台行きエレベーターが45分待ちと切符販売窓口に貼ってあったので躊躇したが、とりあえず切符を買って乗車口のある2階へと進むと、ゲームがならんだ懐かしいコーナーが・・・。並べられたゲーム機は全く替わっているだろうけれども、横浜の中心にしてはさえない場末の雰囲気は以前と変わらない。
 エレベーターはそれほどの人が並んでいるわけでもなく10分くらいで乗れた・・・。45分の貼紙は少し前のピークの時のものか・・・。小さなエレベーターに改札員が同乗して上まで行ってまた降りてくる人手のかかる仕組みに時代を感じる。
 営業終了が決まる前はきっとこの数分の一しか観光客がいなかったと思われる展望台からは天気もよくて眼下の氷川丸やベイブリッジが良く見え、実家の近所の電波塔のある山も見えた。
 マリンタワーよりずっと高いランドマークタワーを見上げるとこれもやはり時代を感じる。

 氷川丸もやはり相当の人出であったが、順番待ちや人の渋滞ができるほどではなく、観光地はいつもこの程度ににぎわっていないと経営的には無理だろうと思った。
 氷川丸の船内の記憶は全くない。
 さすがに古びた船内の意匠や装飾品を見るとこれも最近悲運の生涯を閉じたスカンジナビア号を思い出した。船内には世界客船館という古今の豪華客船の博物館があり、氷川丸はもちろん最近のQE2や飛鳥まで豪華客船の解説や模型もあり、ひとつひとつがかなり貴重なものに思えた。

 自宅よりもたぶん3度は気温が高い横浜・山下公園は銀杏が黄葉の盛りだった。

写真

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氷川丸とマリンタワー営業終了

 今日、1日にNHK BS-hiで放映した「小さな旅」で横浜・山下公園の氷川丸とマリンタワーが今月25日で営業終了となることを知り、少しショックだった。
 この2つのランドマークには学生時代まで横浜の下町に住んだぼくには、幼少の頃のほのかな記憶と思い出がある。

 氷川丸に最初に父に連れてってもらったのはたぶん小学校入学前後の頃だと思う。前年まで両親と離れ、母の実家の群馬で祖父母と叔父叔母と暮らしていたぼくにとって、たまにしか顔を見ない父は非常に怖い存在だった。そのくせよく二人で出かけた。父は歩くのが早かった。一緒に歩いていてぼくが遅れると叱られた。
 氷川丸がずっと停泊したままになっている船ということを知らなかったぼくは、艦内を見学している間も、このまま出発して外国に連れて行かれてしまうのではないかとヒヤヒヤ、ビクビク。船好きの父に早く帰ろう、早く帰ろうと何度もお願いしては叱られていた。
 「小さな旅」にも登場した「横浜少年少女合唱団」を当時ぼくらは「氷川丸の合唱団」と呼んでいた。小学校4年の頃だったか、ここに入るかという話があったがいつの間にか立ち消えになったことも思い出した。
 その後、氷川丸にはもう1,2回行ったと思うがあまり記憶にない。当時の船体は水色あるいは薄いグリーンだったが、TVに写った氷川丸は黒くて威厳があり、記憶の中の氷川丸とはちょっと違った。

 マリンタワーに最初に行ったのも父と一緒だった。下から見上げると展望台部分の床下の壁材が一箇所ずれているように見えた。いまにも落ちそうに見えた。このまま展望台にあがったら展望台ごと下に落ちてしまうのではないかと気が気でなかった。展望台から周囲を眺めて楽しんでいる父に早く帰ろう、早く帰ろうと言ってはやはり叱られていた。
 マリンタワーは近所からよく見えた。小学校の標高が4m、近所で最も高い電波塔がある山でも52mしかなかったし、当時はマンションなどもなかったので、106mもあるマリンタワーはどこからでもよく見えた。昼間は気にもしなかったが、夕暮れが迫り、遊びつかれた頃、遠くをふと見ると赤と緑の光が廻るマリンタワーがよく見えた。どんよりした日などには赤と緑の光の帯が遠くまで延びていたのが子供心にも印象的だった。

 営業終了までに一度行ってみたいが、時間がとれるかどうか。

P.S 気合で行ってきました

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女性専用車

ぼくが通勤で利用している私鉄でも、女性専用車はかなり前から導入されていたが夜間のみであったのであまり影響はなかった。しかし先ごろ朝の時間帯でも女性専用車両が登場し、今までその車両に乗っていたぼくも直接的な影響を受けるようになった。

 女性専用車に乗る女性のメリットはうざい男と隣り合わせになるリスクの軽減、男臭い匂いに我慢せずに済む、ということだろう。ひっくりかえせば、男にとってのメリットは、女性専用車に乗る女性が増えて自分が乗る車両から女性がいなくなれば、女と隣あわせになるリスクがない、化粧の匂いに我慢しなくて済む、ということであれば良いのだが・・・・現実は・・・。
 いつも乗る車両が女性専用となったので隣の車両に乗ることになるが、その車両にも女性は乗ってくるのだ。これは割りと予想外。
 せっかく隣に女性専用車があるのだからそっちに乗れよ、と思う。それと当の女性専用車に乗っている女性が意外と少なく他の車両よりもすいている。
 結局通常の車両に乗る女性の数はあまり変わらない。特に朝の通勤時間帯の場合は下車駅での乗り換えや出口への距離などの問題もありそうそう乗る車両を変更しない女性が多いせいであろう。
 一方、ぼくのように女性専用車に指定されてしまった車両から押し出された男が隣の車両に乗るので、おかげで混む。だから多少は数が減ったとしても、女性と隣り合うリスクはむしろ高まっている気がする。

 というわけで、女性専用車は男には何のメリットもない。
女性専用車を設定するのであればその隣の車両は男性専用車とすべきではないか、と思う。

 世の中には男女を区別するスペースは多数あるし、女性専用車を否定するつもりはないが、1つの電車に乗る乗客の数に変動はないのだから、女性専用車を設定すればその他の車両にしわ寄せが来るのは小学生でもわかること。
 女性専用車に乗っている乗客にこの車両に乗る以前はどの車両に乗っていたのか、あるいは通常車両に乗る女性には、どうして女性専用車を使わないのかをアンケートしてみるべきだと思う。

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JR西日本は変わるのか(その2)

 JR西日本の脱線事故に係わる、事故当日以降の「不祥事」のマスコミ報道についてはその姿勢を疑うが、
一連の「JR西日本体質たたき」によってひとつだけ良かったことがある。
 それは脱線事故の直接的な原因が速度超過によるものであることが明らかになってきたわりには死亡した運転手たたきがないことである。
 かつて航空機事故が多かった頃は機体の潜在的な設計ミスやヒューマンファクターをカバーでできないノンフェイルセーフが調査で発覚しても、政治的・業界的圧力で(死して物言わぬ)「パイロット操縦ミス」説が大勢を占めた。このあたりの事情は柳田邦男「マッハの恐怖」「続・マッハの恐怖」等の一連の航空機事故関連の書籍によって今では割りと広く知られている。

 マスコミにしてみればいくら直接的な原因だとしても死せる若き運転士の責任を問うよりも、親方日の丸的企業をたたくほうが憂さ晴らしにもなる。
 しかし、武富士問題のTV朝日とか、不祥事続きのNHKあたりがトップニュースで宴会だ、ゴルフだと報じるのはいかがなものか。行動の優劣・品位はともかく、これらの一連の「不祥事」がトップニュースに値するものだろうか。
同じ日に小泉首相がロシアを訪問しているが、そのニュースは番組の最後にわずかに触れられただけだった。
 マスコミが「庶民を啓蒙」する意思があるのであれば、一見つまらない話題に潜む重要性や考え方を披露するなど、少しは視聴者に頭を使わせる報道があっても良い。
 それと記者会見の席上で横柄な口を聞く記者の姿をそのまま報道するのは「私どもマスコミは礼儀も知らない天下の公僕です」と知らしめるだけなのでやめたほうがいいだろう。

 さて、関係者と想定される方のなかなか興味深い意見が紹介されていた。こちら
 組織は大きくなるほど官僚的になり、倒産の可能性がほとんどなく職を失う可能性がゼロに近いほど腐敗
していくのかもしれない。

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JR西日本は変わるのか

 JR西日本の尼崎脱線事故の原因や経過や各種の状況が判明するにつれて、JR西日本の体質や体制が非難を浴びている。まあ、当然だろう。
 事故の直接の原因が車両の不良やレールの問題ではなく、オーバーランによる遅延挽回のための速度超過によるものであることが早い時期に推定されたが、その後、JR西日本に限らず各社でオーバーランが報告されている。ひょっとすると通常時でも同程度発生しているのかもしれないが、昨今の状況ではオーバーランしただけでTVやメディアにニュースとなって流れ、それが他の運転士にも心理的な影響を与えているであろうことは想像に難くない。

 事故前のオーバーランの距離の過少報告や最近判明した同乗したJR西日本社員とその上司の対応など、悪いニュースしか出てこないのが現状である。

 はたしてJR西日本は変われるのだろうか。

 新たな不祥事が発覚するたびに「被害者や遺族の感情を逆なでする話ですね」とマスコミは報道しているが、「新たな不祥事が発覚する」ことについて、評価すべきでは、と思うことがある。

 それは、これらの事実がJR西日本自らによって報告されていることである。
 もちろん「隠していてもいずれわかる」という判断はあっただろうが「いずれわかるのだから報告しよう」と考えるか「わかるまでは黙っておこう」とでは大きな違いがある。たぶんこれら事後発覚した不祥事を公開するかどうかはJR西日本の広報部はもちろん経営層が判断しているはずであり、場合によっては「報告しない」と判断されたものもないとはいえない。
 しかし、同乗した社員の行動などはJR側が報告しなければまず判明しない事象であり、ましてや社員が対応を乞うと「遅刻しないように出勤せよ」と指示した上司(係長)の発言などは係長がさらに上に報告し、経営まであがるルートがなければ報告されないだろう(4月25日の出来事の報告が今までかかった点に難はあるが)。

 いずれにせよ、JR西日本にはこれを機会に大鉈を入れる必要があるだろうし、その覚悟は少しはできているのではないか。事故とその原因・遠因はいくらでも非難できるし、そうあるべきであるが、少なくとも悪い報告をあげている点についてだけは、前向きに評価し、彼らも変わるつもりなのだなと考えたいと思う。
 裏切るなよ、JR西日本。

P.S 事故後2日たって公開された決算報告書を見てみた。(こちら
 ・利益処分案から役員賞与はなしになっていたが、「経営の基本方針」に「安全」の文字は見当たらなかった。

 ・「対処すべき課題」の中に、「運輸業につきましては、鉄道事業の根幹である安全安定輸送の確保に向け、社員一人ひとりが果たすべき責務に重点を絞った指導の徹底や、保安装置の拡充・改善などソフト・ハード両面からの取り組みを推進し、事故防止に万全を期してまいります。」とあった。

 ま、2日ではここまでは手が回らなかったようだ。

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ライブドア・地裁仮決定に拍手

中学や高校の頃、ラジオの深夜放送が楽しみだった世代であるぼくにとって、谷村新司はフォーク歌手(古いなあ)ではなくて「天才・秀才・ばか」の文化放送・セイヤングのパーソナリティだったし、野沢那智と白石冬美は「アランドロンの吹き替え」と「星飛雄馬の姉の明子の声」ではなく、TBSパックインミュージックの金曜日のパーソナリティだった。
 そんなぼくにとってはカメさんも「オールナイトニッポン」のDJの一人だった。少なくとも彼が亀淵社長と同じ人と知るまでは。

 ぼくはライブドアの堀江さんは好きではない。
 たまたま昔の仕事でお客さんだった会社と「オンザエッジ」の頃の彼の会社とトラブルがあった。当時はすでにそのお客さんとは付き合いがなかったので真相はわからないし、贔屓眼もあるが、あのときの印象は「オンザエッジの堀江:なんとなくうさんくさい」という印象で、今でもその印象は変らないし、年齢を別としても彼の下で仕事をしたいとは思わない。

 それでも今日の東京地裁の判断には喝采を贈りたい。
 特に、時間外取引について違法ではないと断言したことがすばらしい。
 相当な圧力があったのではないか、と思う。いや、地裁だからそれほどのことはなく、この後の高裁、最高裁になるほど圧力はあるのかもしれない。

 しかし、マスコミと時間外取引に対する政治家の異様な反応を見るにつけ、たとえ実際には何もなかったとしても、決定を下す地裁の面々には相当なプレッシャーがあったと思う。
 もちろん、背景には海外も注目している一連の事件であり、ここで日本の司法は終わったと思われたくないというその筋の支援もあったのではないかと思う。

 ニッポン放送とフジテレビの資本のねじれについては、以前から多少株に知識がある人なら知っていたし、コクド・西武の事件のときにもあらためて話題になった。それでも放置されていたのはフジやニッポン放送の経営陣の意識のなさであり、パートナーである大和證券SMBCの大チョンボだろう。すでにSMBCのそれなりの人のクビは飛んでいるはず。

 まあ、最高裁でひっくり返るストーリーなのかもしれないが、久し振りに気持ちのいいニュースを聞いたので・・・。

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続・改憲問題を読む


憲法と平和を問いなおす

 憲法論議の本としてはなかなかユニークな本を読んだ。

長谷部 恭男「憲法と平和を問いなおす」

著者は若い(といっても1956年生まれだが、まあ同年代は若いということにしておく・・・)憲法学者で名前だけは知っていた。

 読んでいる間はあるときはイライラしながらも、読み終わったあとに、目から鱗が落ちる思いのする本であった。

以下は、購入を迷っている人のためにと著者が書いた「あとがき」からの引用。


第一に「憲法と平和」とくれば、憲法に反する自衛力の保持を断固糾弾し、その一日も早い完全破棄と理想の平和国家建設を目指すべきだという剛毅にして高邁なるお考えの方もおられようが、そういうう方には本書はまったく向いていない。
第二に、「憲法と平和」とくれば、十分な自衛力の保持や対米協力の促進にとって邪魔になる憲法九条はさっさと「改正」して、一日も早くアメリカやイギリスのように世界各地で大立ち回りを演じることのできる「普通の国」になるべきだとお考えの、自分自身が立ち回るかはともかく精神的にはたいへん勇猛果敢なお方もおられようが、そういう方にも本書は全く向いていない。
(中略)
となると、本書はどういう方に向いているのかだが、筆者としては、以下のようなかなりトッポイ疑問のうち、いずれかがいままで一度でも心に浮かんだ方には、向いているのではないかと考えている。
①国家はなぜ存在するのか。国家権力になぜ従うべきなのか(それとも従わなくてもよいのか)。
②人が生まれながらに「自然権」を持つというのはいかにも嘘くさい。そんな不自然な前提にたつ憲法学は信用できないのではないか。
③多数決で物事を決めるのはなぜだろう。多数で決めたことになぜ少数派は従わなければならないのか。
④女性の天皇を認めないのは、男女平等の原則に反するのだろうか。
⑤憲法に書いてあることに、なぜ従わなければならないのだろうか。とっくの昔に死んでしまった人たちが作った文書にすぎないのに。
(以下、略)

 この本に明確な答えは記載していない。
 しかし、読んだあとに自然に答えがわかってくる。

 リンク先のアマゾンの読者レビューも参考にされたし。


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改憲問題を読む

改憲は必要かこういう議論は苦手なのだが、先日、こんな記事(中曽根氏が「憲法改正試案」 天皇元首、防衛軍など明記  asahi.com 2005/1/20)を見かけてさすがにびっくりして、ちょっと関連する本を読んでみた。

以下の疑問に答える本である(この本の目次)。

1.いま、憲法9条を選択することは、非現実的ではないか
2.国連は無力なのだから、国連中心の平和主義には意味がないのではないか
3.「押し付け憲法」は選びなおさないと、自分たちの憲法にはならないのではないか
4.憲法といっても法の1つなのだし、改正の手続きだって規定されているのだから、改憲にそんなに慎重でなくてもよいのではないか
5.憲法を改めれば、自由や人権の状況も改善されるのではないか
6.市民がどれだけがんばっても、しょせん戦争は止められないし、世界は変らない。憲法9条も変えられてしまうのではないか。
7.現実と遊離してしまった憲法は、現実にあわせて改めた方がいいのではないか。

7つのテーマに答えるのはそれぞれ別の方なので、論調や考えは多少異なるものの、押し付けがましいところがなく、とても明快に自然に読める本である。
読み終わったあとで、すべての質問に無理なくNOと考えられるようになる本である。

もし、上の質問の1つにでも「そうだね」と思うのであれば、http://www.hatena.ne.jp/1105812375 に出ているリンク先の改憲議論を読む前に読んでおいたほうがいい。



憲法問題の焦点
もう1冊。これは読みかけ。

憲法問題は上記の7つの疑問やそれに対する攻防の歴史である。
いろいろな解釈や内外からの圧力があったわけだ。

この本は戦後60年のさまざまな圧力とその歴史からこの問題を探る。
時の政権がどのように説明を行い、あるいは行わずに来たかを知ることで、ああ、その意見は昔、吉田茂が言ったことと同じかも、とかわかるかな。
 憲法の本というよりも政治とはどういうものなのか、を考える本としてとらえると面白い。

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ナベツネ

 だいたいにおいて世の中のニュースは腹の立つ話が多いのだが、最近の一連のニュースでは例のプロ野球の1リーグ制問題だろう。

 カテゴリを「スポーツ」ではなく「経済・政治・国際」にしたのは、まさに経済や経営の問題だからである。

 「この不況下で毎年、年俸を増やし、長者番付に名前を並べる唯一のスポーツ団体の恵まれた連中が何をいうか。赤字になればリストラがあたりまえ。事前に説明がない? 企業買収や合併のような経営の最高機密を現場に諮るわけないだろ」
 
 というのが最初の印象。
 ライブドアの堀江さん。イーバンクとの泥仕合以降、久しぶりにネットで拝見したが、なんだかねえ・・・。

 でもまあ、やっぱりこれは、ナベツネ問題であろう。

 ぼくはプロ野球ファンでもないし、ナイター中継で後続の番組の放送時間が変更になる事象を非常に迷惑に思っているので、ナイター中継なんかなくなってもらいたい、と思っているほうである。
 「巨人の星」をライブで見た世代なので、小さい頃はそれなりに巨人ファンであったし、町内の野球チームなんかでも下手なりにやったけど、大学の頃からほとんど興味がなくなった。

 だから1リーグだろうが2リーグだろうが、どこの球団がなくなっても買収されても、どうでもいいけど、やっぱりナベツネは問題だと思う。
 この人はたしか大相撲の横綱審議会?にもいるはず。

 こういう方が最高の視聴率を稼ぐマスメディアの頂点にいることが許されることが、とても不思議である。それを許しているのは、巨人戦のTV中継を熱心に見て、スポーツ新聞を見る巨人ファンと執拗な勧誘とお土産の洗剤に妥協した読売新聞購読者なのかな・・・。

 ナベツネ関連では ↓ これ、なかなか面白い。
http://nabetsune.blogspot.com/

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三菱自動車とボーイング

いくらでも出てくる三菱自動車関連のリコール隠しについては、すでに色々言われているのでここでは書かない。

一企業が生命の危険がある欠陥を隠すのは、許しがたいことであるが、企業に加えてその団体くるみで欠陥隠しがあったのではないか、といわれている事故の真相がいまだに究明されていない。

以前にWEBに書いたのであるが、御巣鷹山の日航123便の墜落がそれである。
http://yamatabi.que.ne.jp/daydrea5.html#000813
(サイトに引用した各種リンクはすでにかなり切れてしまっている)

柳田邦男が「正・続マッハの恐怖」の昭和40年代の3件の航空機事故を取り上げている。
この中で全日空727の東京湾墜落は、失速しやすい727の構造的欠陥というのが氏の結論である。

日航123便の事故には、自衛隊誤射説、標的衝突説やらいろいろの説もあり、混沌としたままになっているようであるが、生き残った落合さんなどの証言によれば、尻餅事故の修理不完全を原因とした「隔壁爆発」は起こっていないと考えるのが素直であり(与圧された機内で爆発が起これば、パニック映画のような状態--人や荷物が機外に吸い出される--が発生するが、日航機事故では発生していない)、尾翼に集中した油圧制御などいかにも欠陥設計はもちろんであるが、いまだに公開されていないもっと根本的な欠陥があったのではないか。最近、大きな航空機事故が減ったのは「ヤミ改修」をしたからではないか、というような疑念も持てる。
航空機のようにごく一部の企業しか関与できない製造物であれば、このような隠蔽はいとも簡単になしうる。

「共産党」の名前すら嫌いであるが、2000年8月の赤旗の記事
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/otopics/topics0008.html
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(00.8.12)政府・運輸省は真相をあきらかにせよ―日航ジャンボ機墜落事故15年
 85年8月12日、史上最大の犠牲者(520人)を出した日本航空123便から15年が経過した。この間に「しんぶん赤旗」やマスコミ各社で報道されたボイスレコーダによって、運輸省・事故調査委報告の、墜落直前の重要な部分で、会話記録の改竄がおこなわれており、事故調が説明していた「圧力隔壁説」には、何の根拠も存在しないことが明らかになった。
 日航123便事故は、こうした墜落原因の真相をはじめ、救難活動の遅れ(墜落から救出まで16時間!)など、さまざまな疑問や疑惑があり、その背景にはさまざまな政治的動機が働いていることが推測・指摘されている。
 15年経つ今なお、多くの遺族らは、この事件の傷跡に心を痛ませ、その真相を求める声が広がりつづけている。政府・運輸省はただちに調査を再開し、真相をあきらかにせよ!(K・M)
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今回、はじめて見たが、航空機事故のサイトはここがまとまっている。

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新聞とかマスコミとか・・・

Fool Proofってバカが扱っても大丈夫なようなシステムの考え方なんだが、
マスコミっていうのもある意味そういうものであるはず。
くだらないバラエティを放送したって直接的な害はないわけだ。

しかし新聞とかTVでもニュースはそうともいえない・・・・。
例の年金未納問題、いい加減に飽きているが、古館伊知郎の22時からの奴(題名が覚えられない・・・)は相変わらずところ狭しと未納議員の写真を並べているし、・・・ちなみに古館になってからあの番組だめですね。
うるさいだけで面白くもなんともない。あの時間はNHKの方を見ることが多いです。

さて、今朝の新聞、といっても朝日も読売も購読していないので、WEBだが、
小沢さんの代表辞退をめぐる2紙の社説は興味本位に見てみると面白い。

朝日の社説はひどいなあ・・・。

朝日から
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 身を捨ててこそということか、小沢氏にすれば自分が代表を辞退することで首相に刃(やいば)を突きつけようとしたに違いない。小沢氏の辞退の弁は潔くも響く。
(略)
 まずは首相が態度を改めるべきことは言うまでもない。自らの問題について「加入しなければならないという時期になってからは、もうちゃんと払ってるんだから」とはねつけているが、これでは済まない。
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なんでこういう議論になるんだろ・・・。そもそも国民年金は自営業者などそれまで年金がなかった人のために
作られたわけで、加入する権利はあっても義務ではなかったわけだ、86年までは。
新聞の社説っていうのはどういう編集・チェック手続きで公開されるのかは知らないが、どうなっているんだろう。

ぼくは巨人ファンでもないが、本日の社説は読売の勝ち・・。

読売から
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 だが小泉首相同様に、小沢氏の非加入は、何ら政治責任が生じるような問題ではない。一九八六年以前は、国会議員が国民年金に加入するかどうかは任意だった。その間、加入していなかったからといって問題視することがおかしい。「未加入」と「非加入」は違う。
(略)
 未納・非加入問題は、年金制度の複雑さ、分かりにくさを浮き彫りにしたものだ。本来、制度の改革を議論するのが政治の責任のはずだ。個人攻撃の対象とするべきものではない。それを菅代表が政治問題化したことが、混乱を招いた。
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菅さんのこの問題についての態度は最初からおかしかった。江角マキ子の未納問題のときに「国会に呼んで説明をしてもらうべき」というようなことを言っていたが、あれ以来まったくおかしい。未納三兄弟発言もそうだが、自身の未納が発覚したときも「行政のミス、なんらやましいことはない」と胸をはった。行政のミスで責任がないというならほかの多くの未納議員もその可能性が高いわけで、批判の基準が他人と自分では違うのだ。

ま、それはいい。
というようなことを考えていて、木村剛ちゃんのココログ を読んで、なるほど、と思った。
木村氏曰く
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どうも厚生労働省は、当初からの計画通りに「年金問題の根幹は無責任な未納者である」という世論作りを展開し、そもそもの年金制度の欠陥や自らの無駄遣いの問題などを封印してしまうつもりのようです。そういう霞ヶ関の行動を監視し、警告を発するのがマスコミの役割であるはずなのに、彼らの計画にのせられて「未納問題」で盛り上がるマスコミは本当にアホなピエロです。官僚たちがほくそえんでいる様がみえるようです。
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まったく以ってこのとおりの進捗になっているのが悲しい


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整備不良ならいいの??

メディアを騒がせている三菱自動車・ふそうの欠陥隠蔽事件であるが、メーカーの隠蔽体質についてはあきれるばかりだが、もっと基本的なところで不思議に思うことがある。

この事件についてはメディアでの一般的な報道しか知らないし、大型自動車の構造に詳しいわけでもないが、そもそも車輪脱落事故の原因が三菱自動車が主張していたような「整備不良」であったとしたら、彼らは免責されるのだろうか?ということである。

言いたいのは、製造物責任とかの法的な話ではなくて、もう少し基本的な話である。

この種のリコールが話題になるとよく「これによって走行不能に陥る」という表現が使われるが、それは違うのではないか?
「走行不能になる」という意味は何か? 止まっているときに発生すれば(まあ、ふつうは停止中には発生しないのだろうが)それから走行し始めることができない、という意味で「走行不能」なのだろうが、走行中に発生した場合は、「制御不能」「停止不能」に陥るわけで要するに「暴走する」のではないか
もちろん用語の定義としてはそこまで含めて「走行不能」といっているのかもしれないが、「走行不能」といわれると車のスピードがガクンと落ちてよろよろと路肩に止まる・・・、そんな印象があるが、高速走行中に車輪が外れたらはたしてヨロヨロと路肩に止めることができるのだろうか・・・・

話が逸れた。

さて、「整備不良」によってハブが破損し脱輪が起きた場合、その整備不良とはどこまでが整備するユーザの責任でどこからが製造者の責任なのだろうか。

このブログの題名は思いつきで「Fool Proof」としている。欄外に記載のとおり「愚か者にも耐えられる」、すなわち「よくわかっていない人が扱っても安全」。安全設計の基本として重要な概念である。要するにユーザの無知でとんでもない操作をしてもとりあえず安全、ということである。とりあえず安全とはコンピュータソフトウェアの世界でいえば、エラーになってそれ以上悪化させない、ということ。ハードウェアであれば少なくとも人を傷付けない、ということだ。

整備不良だった場合にユーザに責任はあろうが、整備不良のユーザがあることを想定してその次の安全策を講じるのがメーカーの責任ではないか? ハブが破損するのであれば破損直前にアラームを出す、ブレーキがかかるとか・・・。
そのような安全対策をとった装置を製造してからユーザの「整備不良」を責める資格が出てくるのではないか?

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う、読まれてました

最初に木村剛氏のココログにコメントしたとき、江上剛氏と並べてハンサムでない、と言い切ってしまったが、(こちら)しっかり木村さんによまれていたようで、昨日の木村さんのココログに「じつはblog開設時に「Fool Proof」さんからも、「けっしてハンサムではない」とすでに断言されておりました。」などと書かれてしまった。「コメントありがとうございます。」なんて言っているけど、腹立ったでしょうね。

言い訳するくらいなら書くなと非難されるでしょうが、言い訳。
江上剛氏の場合は当然ですが、映画「金融腐食列島 呪縛」の主役の役所公司との比較。
ま、この点は江上氏もご了解いただけると思うし、彼はきっとここはみていない。

木村さんの場合はもう少し個人的な事情・・・。

木村さんのKFiはKPMGの関連会社であるが、高校の同窓の知人OがKPMGにいた。
学生の頃から派手だった。
仕事がらみで20年ぶりくらいに再会したときもやはり派手だった。
当時はまだKPMGに移る前だったが、紺とグレーのスーツばかりの地味な職場に彼が現れたときは、応対した女子職員は、出会い頭に日本ハムの新庄に会ってしまってどうしようというような感じで、びびっていた。
その日以来何回か話をした。コンサルタントの苦労はよくわかったが、彼の容貌のせいで、やっぱりなんとなく派手な商売だなあ、という印象があった。
しばらくしてKPMGに彼は移ったのだが、ちょうどその頃、木村剛氏の名前を聞いたので、木村さんの名前を見ると彼を思い出し、彼の名前を見ると木村さんを思い浮かべる、というような思考回路ができていた。

木村剛氏の名前をココログで見かけたとき、そういえば彼はどうしているかな、と思いながらキーボードを叩いたのが冒頭のココログである。

ちなみに彼とは、こんな男。いい男かどうかはともかくやっぱり派手・・・。

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