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後藤正治「天人 深代惇郎と新聞の時代」

後藤正治「天人 深代惇郎と新聞の時代」
 多数の著作を読んだ作家は何人もいるが、漱石も三島も村上春樹も、個人的には深代惇郎の1冊にかなわない。▼I君の奨めで「深代惇郎の青春日記」を手にしたのは、大学に入った年。読み始めていきなり打ちのめされた(彼我の差に・・・)。詳しくはこちらこちらをご参照。本書は、「天人」(朝日新聞の天声人語)を執筆し、46歳で早世した深代惇郎を、生い立ちから驚くほど広い交友関係、上司、後輩と可能な限り接触し、深代が書いた多数のコラムや記事を綿密に取材し、「天才コラムニストがいかに生まれたのか」をその時代背景とともに探るとともに、深代に関係があった様々な記者を語ることで新聞黄金時代を描写している。朝日に限らず最近の凋落からは想像もできない新聞黄金時代とそれを支えた記者たち。特に当時の朝日新聞の記者はその後に作家やエッセイイストになった人も多く、この人って朝日の記者だったのか?という人が多数登場する。副題の「新聞の時代」が「朝日」限定ではないのはそういう意味だろう。▼「青春日記」や「天声人語」の文章からは、深代は孤高の天才コラムニストで友人も少なくとっつきにくい人と思っていたが、下町育ちの深代は、馬鹿騒ぎはしないが、交友範囲は内外に非常に広く、後輩の面倒見も大変良い、理想の上司のような人柄だったようだ。▼「青春日記」もその原本(出版されたものの約4倍あるらしい)を含め多数の引用がなされており、それを読むと、何度も手にした若いころを思い出し、ほろ苦い記憶が少し蘇る。「青春日記」「天声人語」は今でも入手できるが、それ以外のコラムや社説はまとまったものがないので、引用(たいていは全文)された記事は貴重。深代が活躍した昭和50年以前は新聞を読む年齢ではなかったし、社会や経済問題もわからなかったので、後追いの知識で読むしかないのが残念。引用された記事との関係で唯一リアルタイムに覚えているのは、昭和45年の三島由紀夫事件くらい。事件当日夕方以降に深代が一気に書いた社説は非常に鋭い。この事件のために多数の記者が一面や社会面を苦労して作ったが、翌日の飲み屋で、彼ら曰く「一刀両断だものなあ。社説にはかなわない。あれを読んだらもう筆を執る気が失せたよ」と舌を巻いたとある。(私は事件はリアルタイムに知っているが社説をその時読んだわけではない、念のため)▼海外でのエピソードやコラムも多数出てくるが、特にイギリスのメディアの在り方やトップの考えに感嘆し、自国との差を意識していた様子もうかがえる。抜群のバランス感覚がある深代をゆくゆくは経営層、社長へと考えた朝日のトップもいたようだ(天声人語担当はそういう出世ラインからははずれるらしい)が、「深代のことをわかっていない」と反対の声をあげる人もいたようで、当時の朝日の社員の見識と社風がうかがえる。▼資料としてもなかなか貴重な本であるが、著者もインタビューされた関係者も、早世した天才コラムニストに対する敬意と礼儀を割り引いても、悪い評価は全くなく、食傷気味の部分も確かにある。しかし、「青春日記」などの著作に打ちのめされながらも、何度か背中を押された私には、そうなんだろうなあ、と改めて思った。早世するのは分かっているので終盤に行くにつれて徐々に文調はトーンを落とし、終焉を迎える。「天人」には天声人語の略とともに、「天が気まぐれに、このような書き手を地上によこして、さっさと召し上げた」人、という意味も含んでいる。

 P.S 天声人語に敬意を表して、段落区切りを▼にしてみたが、この長さで▼5つはちょっと無理だった。書きたいことが頭の中で混乱したままだけど、ま、いいか。天声人語ではないから。

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