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西尾幹二「天皇と原爆」

西尾幹二「天皇と原爆」
 「天皇と原爆」という書名に天皇の戦争責任論だろうか、と思うが、まったく違う。
 本書の趣旨は「大東亜戦争は宗教戦争だった」ということである。
 これだけを見ると、ええ!?と思うだろう。

 西尾といえばニーチェの研究家であり難解な評論には定評があるが、本作はCSのテレビ放送用の番組を再構成したものなので、文章は平易である。なので読む難しさはない。
当初の製作は2009年であるが刊行は2012年1月であり、昨年暮の脱稿である。

 西尾は「大東亜戦争は、ピューリタリズムを信奉し、マニフェスト・デスティニーの名のもとに北米大陸の原住民を殺戮し、ハワイを併合し、太平洋を渡ってフィリピンを飲み込んだアメリカが異教国・日本をたたくための戦争である」という主張を25の章にわけて、述べていく。

 最初に、戦後あるいは現在の日本人の持つ太平洋戦争への罪悪感について、それがアメリカの戦後政策であることを指摘し、「あの戦争は間違った戦争だった」とか「こうすれば負けなかった」というような議論はやめなさいと言っている。

 日本人の知識人(といわれている人)の特性として二元論に陥るという点をあげている。最初はマルクス主義で、共産主義を実現していない状態はすべてダメという思想。具体的には、丸山真男、大塚久雄、加藤周一、戦前なら三木清、羽仁五郎など数えきれない。次に出てくるのは最近の昭和史、太平洋戦争終了までを語る人の善玉、悪玉論。これで駄目だしされたのは、半藤一利、保阪正康、秦郁彦の3H、ほかに五百旗頭真、北岡伸一、加藤陽子。加藤陽子さんについては巻末では具体的にここまでの議論は正しいが根本的な認識が誤っているので結論が間違っていると具体的に指摘している。ここでは陸軍悪玉、海軍善玉であり、戦後のアメリカ占領政策は善としているのが間違いであることを論証する。

 天皇の戦争責任論は、国家元首である以上、当然責任はあるが、だから悪いののですか?ということだ。
 戦争責任論が問われるのはそもそも東京裁判のせいであり、1929年に勝手に作った不戦条約違反として裁判されているのだが、そもそも戦勝国が敗戦国を裁くという例はこの東京裁判と敗戦国ドイツのニュルンベルグ裁判しかない。不戦条約締結以降、第二次大戦までの戦争にもなかったし、戦後の数々の戦争(朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、中東戦争、フォークランド紛争も各地の民族紛争)でも一度もない。単なる名目である。
 
 宗教については一言ではまとめにくいが、アメリカについては以下のようなことである。
・宗教的に迫害されて新大陸に来たことをモーゼの出エジプトと重ね(だからユダヤ、イスラエルには同情的)根底には選民思想がある
・独立宣言で掲げた自由は、自分たち植民地(アメリカ)のアングロサクソンがイギリス本国からの自由のことであり、アフリカから連行してきた黒人奴隷にも西部に住むネイティブであるインディアンの人権は認めない。・スペイン、ポルトガルそしてのちにイギリスも世界に植民地を作り支配したが、アメリカには黒人奴隷が居るので奴隷を海外に求める必要はないために、「人権・自由」とかええかっこしいを平気でする。
・アメリカの「政教分離」は聖書を基盤するキリスト教やユダヤ教の多数の教会のどれかと政治を結ばないという考え方であり、イスラム教や仏教、儒教など他の宗教には排他的である。特に日本については神道が原理主義でないため(なんでも受け入れて融合してしまう)、もっとも分かりにくい邪教である。
・アメリカが原爆を落としたのは人種差別と選民思想ともに邪教をつぶしたい意思があった。

このように箇条書きにすると過激で短絡的になるが、25の章を細かく読むと、「神は死んだ」のニーチェ研究家らしい宗教罪悪論が前面に出てくるものの、世界史に出てくる多数の宗教戦争の執拗で悲惨な歴史を考えるととても理路整然として受け入れることができる。

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