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原武史「大正天皇」

原武史「大正天皇」

 前半では大正天皇に親しみが沸き、後半ではその運命に哀しさを感じる。

 大正天皇といえば遠眼鏡事件。国会の開会の勅語のあとに勅語の原稿を棒状にまるめて、望遠鏡をのぞくように議場を見回した、という事件で、大正天皇に精神・知的いずれかあるいは両方で異常があったという証左とされる話である。
 しかしこの話、実は昭和30年代になって出てきた話しであり、二人の証言者の記憶どおりであるとすれば、それが史実と一致していないことを著者は冒頭で記述している。一人の証言は事件を1912年としているが、これは大正時代になったばかりで、天皇は全く元気。別の証言は1920年としているが、この時期はすでに重病であり公務は後の昭和天皇が摂政として行っており公式の場に大正天皇は姿を見せない。
 当時の勅語は巻物であったから発言を終え元通りに丸めたときに、丸まり具合を確認するために中をのぞいたことはあるかもしれず、後代になって天皇の精神状態を印象つける目的の風説であった可能性が高いようだ。

 大正天皇は病弱であったことは確かで、転地療養をかねて皇太子時代に全国を視察することになる。皇居の中で暮らすよりも外の空気に触れることが良かったようで健康も回復し、また規律を好まない当時の皇太子は、予定していたスケジュールを意図的にはずしてみたり、平民に話かけてみたりというハプニングを楽しんでいたようだ。
 ところが天皇になってしまうとそれは許されない。すべては周りの決めた規律とスケジュールで縛られる。それが天皇には合わなかったのか天皇になってから徐々に体調は悪化し、からだが動かない、言葉がうまく話せない状態になってしまう。国家元首、大元帥である天皇をその姿のままで臣民の前に立たせるわけにはいかないと考えた元勲たちは半ば無理やり「押し込め」をはかり裕仁皇太子を摂政にしてしまった。
 というのが著者の主張である。

 ついでにいえば大正天皇に次男の秩父宮が生前の父について「皇太子のころは元気でいい父だった」と語っているのに対して長男の昭和天皇は明治天皇を理想とすべしとの教育・思想を叩き込まれたせいか、終生父について語らなかったことも大正天皇の風説が語られ、どんな天皇だったかという記憶が国民の間にも残っていないひとつの理由だと言いたいようだ。

 原武史の一連の著作を読むと、どうもこの著者は昭和天皇があまりお好きではないようだ。

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