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「はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語」

はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語

「はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語」という題名のとおり、この6月に地球に見事に帰還し、科学技術予算を削減した民主党の事業仕分けをあざ笑った「はやぶさ」とこのプロジェクトを成功させた宇宙研の物語である。刊行は2006年11月。もちろん「はやぶさ」帰還前である。
 小惑星イトカワへの着陸シーンから始まる本書は、次に日本のロケット開発物語に移る。開発物語ははやぶさを打ち上げたM-Vまで続き、ページ数では本書の1/3以上を占め、うちほとんどが糸川英夫博士の物語である。
 糸川博士が日本のロケット開発の父と言われることは知ってはいたが、実績については無知で「あんな小さなペンシルロケットを作った人がなぜロケット開発の父なんだろう」と思っていた。
 しかし、この人、やはり凄い。
 元は中島飛行機で戦闘機「隼(はやぶさ)」を設計していた。本書の中では零戦(三菱重工)の堀越二郎と併記されている。そんな糸川が敗戦で航空機開発の中断を余儀なくされ、宇宙ならまだ戦勝国の米ソと競えるとロケットに進む。その最初がペンシルロケットであり、これをきっかけに日本のロケット開発が今に続くことになる。堀越二郎が航空機YS-11の開発に携わったのとは対照的だ。
 さまざまな中傷や毀誉褒貶、島国なのに漁業権や安全性の確保のためロケット実験の基地がなかなか見つからないなど様々な困難を克服した糸川とその後継者の奮闘のすえに今の宇宙研がある。日本のロケットは米ソ(最近は中国も)などに比べ小型であるし、射出角度も垂直ではなく斜めである。斜めなのは真上に打ち上げる力がないからと思い込んでいたが、あれは安全のために一刻も早く海へロケットを出すための配慮だそうだ。

 そんな宇宙研と糸川の歴史のあとに物語は再び「はやぶさ」に戻る。以降の「はやぶさ」と宇宙研の格闘は最近はよく知られている話であり、「はやぶさ」との通信途絶と再開、地球への帰還の準備で本書は終わる。

 「はやぶさ」についての本はたぶんいまや大量に出回っていると思うが、この本が面白いのは技術をわかりやすく書いていることはもちろん、技術移転はどうされるべきか、プロジェクトとは何か、教育とはという点について意識しつつも、あまりそれを前面に押し出さずに記述しているからだろう。

P.S 「はやぶさ」の命名理由にはいくつかあるが、基地である内之浦(鹿児島)までの(今はなき)寝台特急の名前であり、糸川博士が設計した戦闘機の名前でもある。だから東北新幹線にこの名前をつけることだけはどうしても納得できない。東海道本線の特急「つばめ」の名前はなぜか九州新幹線に取られたし、最近の新幹線の命名はなんかおかしい。もっとも「のぞみ」「ひかり」も満鉄の列車の名前なのでなんとも言えないが・・・。

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