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「秀吉はいつ知ったか―山田風太郎エッセイ集成」

秀吉はいつ知ったか―山田風太郎エッセイ集成

 「秀吉はいつ知ったか―山田風太郎エッセイ集成」という本を表題作に惹かれて読んだ。
 目的語が書いていないが、もちろん本能寺の変のことを、である。
 本能寺の変の発生直後に高松城からの大返しに始まり、天王山・山崎の戦いであっという間に明智光秀を滅ぼすことで、秀吉が信長の後継者の最右翼になるわけだが、本能寺の変、高松城の和議、大返しの決断などが早すぎること、京都に引き返すことができるぎりぎりの位置である高松城で長い戦をしかけたこと、さらには秀吉ひとりでも落とせるのにわざわざ信長の出陣を要請し、それによりその途上で本能寺の変が行ったことなどに言及し、忍者小説の作者にふさわしい推理をはたかせている。

 さて、表題作はそういうわけでなかなか面白いが、他のエッセイで興味を惹いたのが氏の住まいのこと。
 全く知らなかったのだが、山田風太郎は2001年に没するまでのかなりの年月を聖蹟桜ヶ丘の住宅街、桜ヶ丘の山の上に住んでいた。
 エッセイ集の前半のいくつかにこの界隈についていくつかの作品があるが、そのいずれもが、ここがとても暮らしやすいことを書いている。そのうちのひとつには「丘の上の桃源郷」とまで題名をつけている。
 氏が語る住みやすい理由は「ロータリーの一角に、パン屋、そば屋、米屋、八百屋、肉屋、魚屋、仕出し屋、薬屋、床屋(略)郵便局と交番と医者と歯医者がある。これだけあると、日常の生活にほかには何もいらない」「それ以外はぜんぶ住宅だから静か」「この町に用件がある車以外はまあ通らない」「一方で、車で丘を下りて5分ないし10分走ると京王ショッピングセンターあり、そごう百貨店あり、パルテノン公園あり、桜ヶ丘カントリーあり、その上、多摩動物公園まである」ということだ。また別のエッセイでは晴れた日の早朝に見る新宿副都心の風景や夕方の富士山などについても語っている。
 もっとも一連のエッセイが書かれたのは一番最近でも91年なのでそれからもっと変化してはいる。そごう百貨店はなくなったし、ロータリーの周りに今でもこれだけのお店があるのかどうかは確かめていないし、地球屋はもとからない。

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