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エーデルワイス写真集「わが心の山」

箱
 「岳人」2008年10月号の「備忘録-語り残しておきたいことども」は写真家・三宅修だった。
 その中でエーデルワイスシリーズの写真集「わが心の山」の出版経緯について語っていたので、グラビア写真しか眺めていなかったこの本を読んでみた。
 この写真集は発足間もない日本山岳写真集団が1968年に刊行したもので、三宅はそのとりまとめとして巻末に刊行の経緯と掲載した写真家を紹介している。白籏史朗をはじめ三宅を含む1930年代生まれの当時の若手写真家8名による写真が数点ずつ掲載されている。
 いずれもその多くか日本を代表する山岳写真家のものだけあって、写真集は小振りながらも見応えがある。

 加えて、串田孫一、尾崎喜八、深田久弥、新田次郎、上田哲農、辻 一、山口耀久、最後には武田久吉が自らの「わが心の山」についての散文を掲げている。人により哲学的に山を思う人や失敗談などいろいろあるが、個人的には武田が最初に尾瀬に入った紀行が大変おもしろかった。武田久吉はご存じのとおり幕末の外交官・アーネスト・サトウの息子であり、植物学者。尾瀬の植生に興味をもち、その研究と保護に尽力した登山家である。「はるかな尾瀬」のころはまだしも、今や予約をしないと小屋にも泊めてもらえない人気の尾瀬の探検時代の紀行を武田は淡々と綴り、最後に心の山といえば尾瀬がそうなるだろう、と結ぶ。いかにも武田らしい沈着冷静な文章である。

 さて、「備忘録」には、名取洋之助の「つまらない山岳写真」の話も出ていた。
 これは1959年「山と高原」に掲載した当時国内トップを争う写真家・名取が山岳写真をばっさりと切り捨てたものである。1959年といえば山岳写真ではすでに白川義員が「白い山」を出し、田淵行男も1955年にデビュー、横田祐介などの若手も活躍していた、山岳写真のひとつのピークの時代らしい。
 これについての評価は杉本誠「山の写真と写真家たち」によれば、若手が反発、中堅がふらふら、長老が傾聴という感じだったようで、当時若手であった三宅も反発した口。ただし当の名取は実は山好きで、田淵行男や白川などきちんとした写真については評価していたこともあり、その後の山岳写真史の中ではやはり名取の勝ち、という印象になっている。
 「備忘禄」では三宅は「「山岳写真家である以上に山登り屋だ」というのはいけないことですかね」、とのみ反論している。

 最後に、最近のデジカメについてのコメントがあり、ふだんメモ代わりに持ち歩くのはリコーのカプリオで、28ミリから200ミリ相当のズーム、1センチまでのマクロ、手ぶれ補正機能が便利だと言っている。ぼくのR6もそうなんだけど、どのバージョンかな。

白籏史朗・黎明

左:三宅修・高原/霧ヶ峰、右:内田良平・雪稜/剣岳

山の本

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