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広瀬和之「安曇野」


 広瀬和之という画家の絵を入手した。
 「安曇野」、たぶん豊科あたり光城山山ろくからの爺が岳と鹿島槍。雪の量と新緑から見ると5月中旬あたりだろうか。爺が岳の一番左のピークには種まき爺さんの雪形らしきものが見える。鹿島槍の獅子はちょっと見にくい。
 同じ構図の作品はいくつかのサイズがあったが、これがもっとも小さく、安く、かつもっとも爺が岳の姿がいい。キャンパスのサイズは227x158mmで額を入れても380x310mm ということで、とりあえずPCの上のプリンターの横にそのまま立てかけてある。
 昨年、入手した中村清太郎の「立山圏谷面」は爺が岳と鹿島槍の間にある冷池乗越から立山を描いたもの。その冷池が「安曇野」では正面になる。冷池まで行くには1泊の山行となるが、「安曇野」の風景は車でも楽しめそうだ。
 左の写真は06年5月に光城山からのもの。絵はこの山の山ろくあたりからだろう。

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旭山動物園の本4冊

坂東元「動物と向きあって生きる」
 坂東元「動物と向きあって生きる」を読んだ。本文の漢字にはルビが振られ小学生でも読めるようになっている。

 著者は旭山動物園の副園長。この動物園が廃園寸前から立ち直り、今や日本一の入場者数を誇る人気動物園となったことは有名だ。坂東さんは「行動展示」といわれる手法で動物本来の能力や凄さを見せることで、この動物園を有名にしたかずかずの展示館を考えた人である。特集TVになると必ず案内者として出演し、興奮しているタレントを横目につまらなさそうな顔をブラウン管、じゃない液晶に映し出している。これだけ有名になって取材攻勢ではいろいろ疲れるのだろうなあ、と半ば同情の気持ちで副園長を眺めていた。
 ちなみに坂東さんもぼくとほぼ同年代。
 
 そんな坂東さんの著書なので、動物園の復活までの話を動物の話を織り交ぜながら楽しく語るのかな、と思っていた。が、もっとストレートな意思表示であった。

 転校が多かった小学生のころの生徒はもちろん教師によるいじめ、それを受けてどんどん昆虫にのめりこむ坂東少年の記憶から始まり、虫から鳥、やがて獣医をめざし、旭山動物園での野生動物との出会い。それぞれの段階で動物とは命とはということを様々なつらい思い出から心に刻んでいく・・・・。小学生時代の最初のあたりを読んだだけど、これはとても重いテーマの本かもしれないと気がついた。
 彼が語る、野生や命についてここで簡単にまとめることは難しいが、彼の熱い語り口に星野道夫を思い出した。星野道夫はアラスカの自然、クマやカリブーなどの動物や森を含めたアラスカの自然そのものを畏敬してやまなかったが、坂東さんの野生への思いも似たような根を感じる。

 ペットと野生動物の厳しい区分け、動物園の在り方、野生動物たちの共存はけっして「仲良く」ではないこと、「いのちは大切」という耳障りの良い言葉のウソなど、動物園の動物を見て「カワイイ」としか感じなかったぼくには、目をさまされる内容であった。
 典型的な話がこの本にも記載されている「レッサーパンダ風太くん」事件。ある動物園でレッサーパンダの風太くんが立ったということがメディアでもてはやされ、他の動物園でも同じような話が出てきて、ブームになったことを氏のブログで批判したことに、逆に批判された出来事である。坂東さんは、野生の姿を見せるのが動物園の使命であり、餌で無理やり立たせるような芸をさせて「見世物」にしたことや、それをメディアがもてはやしたことを批判したのだが、なかなか受け入れられずブーイングの嵐となり、やむなくお詫びのブログを書いた。
 この事件で、旭山動物園の人気は、野生動物のありのままに見せる行動展示にあるのではなく、その結果としての動物のかわいさのみに由来していることに氏は改めて気がつくことになり、自分たちの努力が途上にあることを知る。

 自然保護や温暖化といった問題についても動物のプロとしての観点から述べられており、なかなか興味深い一冊である。
旭山動物園のつくり方―「伝えるのは命」最北の動物園からのメッセージ

 とにかく、旭山がここまで復活できたのは、どん底時代の動物園の周囲、とりわけ上司にあるのではないかと思わせる表現が本書のなかにいくつか見られたので、現在の園長が中心の本も読んでみた。それが「旭山動物園のつくり方」である。この本で園長が述べていることは坂東さんが言っていることとまったく同じであり、動物園としての姿勢がぶれていないことがよくわかる。

旭山動物園へようこそ!―初公開!副園長の飼育手帳・写真

 もっと気楽な読み物としては「旭山動物園へようこそ!―初公開!副園長の飼育手帳・写真」がある。これも坂東副園長の文章になるものであるが、動物園紹介の本なので、考え方は「動物と向きあって生きる」ともちろん同じながらももっと表現がやわらかである。



旭山動物園写真集 (DVD-VIDEO(1枚)付)
で、ぼくのように遠くてなかなか行けそうにない人には「旭山動物園写真集」が良い。DVD-VIDEO付でアザラシやペンギンの動画も見ることができる。本文の写真集はペンギンなど人気動物に限らず、かなり広範囲に収録している。2005年の刊行なので、まだゾウも写っている。

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映画「陰日向に咲く」

劇団ひとり「陰日向に咲く」

 原作を読んだので映画の方も見てきました。

 台風の接近を告げるニュースを日付入りで流すことで時間の流れを意識させ、クライマックスは台風になるのはまあ、いいかな。

 三浦友和のサラリーマンがなぜホームレスの仲間になろうとしたのかが不明だった。歩道橋を降りてくる姿を見て「モーゼだ」はないだろう。それと彼がホームレスから脱却するきっかけがなくなってしまった。そのために元クラスメイトのアイドルに夢中になる話と他の話の接点がなくなった。
 これが原作とのストーリー上の違和感。

 鳴子の娘がシンヤ(ギャンブラー)の相手役で登場することとシンヤがホームレスにあこがれたサラリーマンの息子であることが原作との一番大きな違いで、これによりひとつの映画としてまとめやすくなったが、鳴子もシンヤもそれによってそれぞれが親と子の問題、テーマを持つことになってしまった。それでなんとなく親と子の絆のようなものがテーマになってしまったが、原作のもつ、ちょっといい話レベルのものが、重いテーマになってしまったように思える。まあ、それはそれで良かったのかもしれないが。ストーリーは同じでも少し設定をいじるだけでこんなに印象が違う作品になるのか、とある意味感心した。

 ああいう流れ話であればシンヤは岡田准一でもいいか、という感じ。原作のイメージならルー大柴とは言わないが、もう少し情けない役の合う、佐藤隆太あたりか。

 原作でも一番違和感があったのが、あの情けない芸人(伊藤淳史)がいくら時代を経たとはいえ、あの堂々とした大ぼら吹きになるものだろうか?? もっとも映画は同じ俳優がやっているので芸人=モーゼなんだが、原作では「アメリカ兵を殴った」というキーワードだけであり、同一人物とは明言していない。

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劇団ひとり「陰日向に咲く」

劇団ひとり「陰日向に咲く」
 劇団ひとり「陰日向に咲く」を読んだ。
 映画より原作がいいというので読んでみた。最近、芸人のしょうもない本を2冊読んで間もなかったので、まともな文章にほっとした(と、ここまで昨日の角松敏生と同じ・・・)。

 けっして感動作ではないけれども映画にするとけっこうさわやかなものになるのではないかと思える佳作である。
 すべてのエピソードはそれぞれの主人公のモノローグの形で進む。冒頭の「道草」はホームレスの話なので少し前に読んだ、芸人田村某の駄作を思い出してちょっとイヤな感じがあったが、まあそれほどでもない。ストーリーとしてはなかなか面白いがモチーフはありきたり。ただこの小説が工夫しているのは、ひとつのエピソードで登場した主人公が大小の差はあれ、別のエピソードにも絡む形にしていることだろう。これは明確に映画化を意識した造りだ。映画では別々のエピソードをばらばらに流しても退屈な2時間になるだけで、様々な登場人物の絡まないと1つの映画にはできない。

 とはいえ後半のギャンブラーからオレオレ詐欺になりさがる主人公から相手の婆さんとその過去のエピソード、さびしい葬儀の最後の訪問者などの流れはこれだけでもスクリーンにまとめることができており、よく計算している、と改めて感じた。
 ただ、あのギャンブラーの口調はV6の岡田くんではなくて、やっぱりルー大柴がぴったりのような気がする。

 映画では婆さんの娘が登場するようで、たしかにそのほうがストーリーがまとめやすいなと思う。

 さて、劇団ひとり、次が書けるかなあ。

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角松敏生「モノローグ」

角松敏生「モノローグ」
 角松敏生「モノローグ」を読んだ。
 最近、芸人のしょうもない本を2冊読んで間もなかったので、まともな文章にほっとした。
 角松敏生は今年年男であり、同じ年。

ON THE CITY SHORE
 初めて聴いたアルバムがON THE CITY SHOREだったので1983年ということなのだろう。当時はカッコイ山下達郎みたいな印象で、桑田佳佑とは全く違う異国の海のようすを高い声で唄っていた。その後、ベストアルバムやBALLAD集をときどき聴いたがそれほど熱心なファンではなかった。

The gentle sex
 最近になって女性ボーカルに提供した曲をセルフカバーした「The gentle sex」を聴いて、ちょっとはまってしまいました。
 で、ちょっと調べたら、同じ年であること、長野オリンピックの閉会式で「WAになって踊ろう」を唄ったこと(作者の長万部太郎とは角松のペンネーム)や杏里や中山美穂のプロデュースの実績を持ちながらも、いったんは音楽界を引退してしまう経歴などに興味を持った。というか、最近は歳をとったせいか、同年代の元気な人が気になる・・・。

 「モノローグ」は2002年の刊行で角松が音楽界に復帰したばかりのころのものである。前半がロングインタビューで自らの経歴や音楽への思いを語る。後半は毎日新聞北海道版に2年間連載したエッセイである。角松のような世間的にはかなり無名に近い人が新聞連載なんて大丈夫なのか、と思ったが、読んでみるとけっして名文ではないが、いいたいことをわかりやすく書こうとしている姿勢がにじみ出ていてなかなか好感が持てた。
 比較の対象となる物事や思い出話、記憶、そして価値観や基準などが僕自身とことごとく一致してしまうのが、同世代とはいえ、苦笑い・・・。
 いわゆるミュージシャンと呼ばれる人たちの華麗なように見えて、その実なかなかきつい体力とプレッシャー。自虐的になって死んでもいいと思って始めたスキューバダイビングの話など、けっして派手だけとは言い切れない生活の一端を垣間見る思いであり、こういう世界とは縁遠いので余計に新鮮に思えた。

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工藤隆雄「山のミステリー」

工藤隆雄「山のミステリー」
工藤隆雄「山のミステリー」を読んだ。
 アマゾンのレビューではあまり芳しくないが、そうは思わなかった。
 ミステリーと題がついているが、怪談だけでなく不思議な話が集めてある。すべて著者が見聞きしたもので、一部を除き提供元も明記されている。「山の軍曹」として名高い千畳敷カールの木下さん雲取山荘の新井さん、北八ツ、しらびそ小屋の今井さん黒百合ヒュッテの米川さん、陣馬山の清水茶屋の清水辰江さんなど名前をよく聞く人のほか、名前は知らなかったが小屋としては有名な南ア北沢峠・大平小屋、南御室小屋、奥秩父金峰山小屋、十文字小屋、大菩薩富士見山荘、丹沢鍋割山荘ほか各地の小屋番の話が多いので少なくとも噂話のレベルではなく、まだまだ科学では説明できない事象がたくさんあることに最近はかえってほっとする思い・・。
 怪談はどうしても遭難者の話と結びつく。もしも自分が山の中で幽霊を見たらやっぱりとても怖いと思うが、生きていればただの登山者で亡くなったとたんに忌み嫌ってしまうのは本当はおかしなことと思うが、これは死や危険をさける生物の本能なので致し方ないか。
 遭難話でも捜索隊がいくら捜索しても見つからないのに山は素人の肉親が行くと全く予想外の場所を探して遺体を見つけてしまう話などは、肉親・家族の不可思議さを知る思いである。それにしても遭難する人の背後に霊が見えてしまう小屋番というのは凄い。
 不可思議な話で興味があったのはしらびそ小屋の今井さんが他の登山者とみたUFO着陸シーン。今井さんは明け方に離陸のシーンも目撃している。しばらく上にあがるとそのまま消えてしまったということなので、光学迷彩くらいできるんだろうなあ、UFOは・・・。

 S県とY県をつなぐトンネル工事で小屋の水が出なくなった話はイニシャルだけで雁坂トンネルと分かる。もう話題にしてはいけないらしいが。

 うらやましいのは金峰山小屋の福の神かなあ・・・。

 惜しむらくは著者の行動範囲のせいか逸話の場所がかなり限定されているように思える。北アルプスは薬師岳の愛知大大量遭難の話があったが、槍穂高や立山周辺ではいろいろありそうな・・・。

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虹の女神

虹の女神
虹の女神を見た。
 構成の勝利ではないか。変わった形の虹の写真をアメリカに行ったあおいにメールした智也。返事はなく代わりに届いたのは彼女の事故死の知らせ。そこから物語は始まり、出会いからあおいのアメリカ行き、事故死と葬儀、そのあとの流れになる。
 智也を演じる市原隼人にはこれといった印象は残らなかったが、あおいを演じる上野樹里がとてもふつうっぽくて良い。智也のあまりの鈍感さにいらいらしながらも、蒼井優演じるあおいの盲目の妹が、ちょっと冷めた感じで良かった。相田翔子のくだりはよくわからない。あえていえば押しかけ女房のような相田翔子を智也が追い出して空しい気持ちになったところに変わった虹が出て写真を送ったという冒頭に戻るための布石くらいか・・・。虹の写真を待ち受け画面にしたあおいの遺品の携帯の厚みが、少し前の映画だなと思わせる。

 この歳になると青春映画を見てもなかなか感情移入はできず、第3者的な視点で見てしまうが、それでもなかなか良い映画である。

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山の郵便配達

山の郵便配達
 山の郵便配達を見た。
 80年代初頭の中国湖南省西部の山間地帯の郵便配達人の話。いい映画との評価が多いことは知っていたが中身はまったく知らず、郵便配達人と届ける先の人々との交流の話かな、と思っていたら違いました。ま、もちろん交流もあるのですが・・・。
 2泊3日かけて120キロの山道を歩いて郵便物を配達する公務員である父はひざを痛めて、息子にその職を引き継ぐ。息子の最初の配達に案内をする犬(次男坊)が父が家にとどまったまま息子に付いていかないためにやむなく犬を連れて引き継ぎの旅に出る。道のりの厳しさを知らされていなかった息子は戸惑いながらも徐々に父のやり方に理解を示していく。旅の途中で出会った山の民族の娘に心をひかれながらも、母と同じ境遇になることを懸念する息子。幼少のころから不在の父に威圧感だけを感じ親近感を持てず「あんた」と呼んでいた息子は足の悪い父を背負って冷たい川を渡る。背中の父は息子とのわずかな記憶を思い出し涙し、渡り終えた息子ははじめて「父さん」と呼ぶ。
 大きな波乱もドラマもなく、わずかな台詞のほかは表情の変化だけで映像は進んでいく。じんわりとした印象が残る良い作品だと思う。

 ところで、父子のドラマというのはたいていは父がいろいろな意味で立派な人であるケースがほとんどで、この映画も郵便配達にかける熱意と配達先への配慮などにこだわりそれを息子に教え込む父はある意味、立派な父親だろう。あまり立派な父を持たなかったぼくにはこういうシチュエーションができるのはうらやましい。

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大森久雄「山の旅本の旅―登る歓び、読む愉しみ」

大森久雄「山の旅本の旅―登る歓び、読む愉しみ」
大森久雄「山の旅本の旅―登る歓び、読む愉しみ」を読んだ。
 著者は朋文堂などで山岳関係書籍の出版に携わってきた人であり、登山もする。山の本を知っている人であればこのひとが深田「日本百名山」の企画者であったことも有名であろう。
 ということでこの本は深田さんとのかかわりや百名山企画とその功罪についても触れられている。最近の百名山ブームとそれに伴う中高年を中心としたモラルの低下や山の荒廃は深田さんに直接の罪はないだろうが、あるとすれば100と区切ってしまったことだろうと氏はいう。これが98とか103とかの半端な数で連載が終わっていれば、単なる深田さんが選んだ個人的名山で終わったのが100にしたことで、それを目指す、数を稼ぐことが良いような風潮が生まれてしまった。そして深田百名山に入らなかった名山を入れるために200名山とか300名山とかまで選定されるようになってしまった。
  ぼくの新日本百名山
 深田久弥の山の文章は味わいがあるし、「日本百名山」は秀逸な文章で、山ごとにかなりの言い回しを覚えているくらい馴染んでる。しかし最近は百名山ブームを嫌がり深田久弥の「日本百名山」に選定された100の山をあえて「深田百名山」と呼ぶようになってきたが、これは中高年の体力を考慮いただき、岩崎元郎が新たに選んだ「新日本百名山」と区別しているわけではなく、あくまでも深田さんが選んだ個人的な、という意味である 。

 深田クラブという会がある。この会そのものは深田百名山を登る会ではなく、深田久弥の著作と山への考えに共感する人の集まりであり、誰でも入会できるが、「百名山」がなかったらこの会は発足したのだろうか・・・。しかも、この会は会則に200名山選定をうたい、実際「日本200名山」を選定、出版している。まあ、200名山になるとこれを完登することで自慢する人はすでに深田百名山を登り終えた人なので数は少ないので、ブームにはならないだろうが、「混む山へは行かない」と言っていた深田さんのことばをどう心得ているのか疑問。

 まあ、相撲の番付ではないが、日本人は他人が設定した権威付けが好きなので仕方ないか。

本の感想から、思いっきりずれてしまった。本そのものは温かみのある文章でなかなか良いです。

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石川英輔 「大江戸テクノロジー事情」

石川 英輔 大江戸テクノロジー事情
石川英輔 「大江戸テクノロジー事情」を読んだ。
 著者は江戸時代風俗研究家・作家でNHK「コメディー道中でござる」で江戸風俗の解説をしていた。
 江戸時代は長い鎖国で海外からの技術流入がなかったがそのなかで江戸の日本人が発明・発展させた技術を解説している。
 和暦、和算、時計、からくり人形、富士塚、錦絵、銃、刀、天文学、馬、鍵、花火、朝顔
 どれも興味をそそるものばかりであるが、和暦(大小暦)、時計、天文学の一連の暦関係が面白かった。
 いわゆる太陰暦・旧暦であるが、江戸の人々がなぜ旧暦を使われたのか。いや明治になって新暦になるまで日本人は奈良時代からずっと旧暦を使ってきた。
現在の新暦のように1月1日の曜日がわかれば1年のカレンダーが機械的に作れる暦と違い、30日までの月、29日までの月が毎年変化し、たまには閏月があって13か月ある旧暦は、現在からみるとなんと不便なと思えるが、月明かりの社会では旧暦が便利だった。電灯の50分の1くらいの明るさの行灯やろうそくしかなかった当時の人々の、太陽と月を基本とした生活。ある日の夜の月の明るさがどの程度かというのが大事な社会での旧暦の立場を考えるとそうなる。お月見はもちろん、夜に盆踊りが開催されるお盆は満月である15日でなければならない。新暦を使いながら別に満月の日を計算する必要はない。

 銃、馬といった軍事面も面白い。江戸幕府は当然軍事政権であるが、元和偃武以降の平和ボケで軍事的制約を受けた外様大名はもちろん幕府そのものも実体的な軍事力がどんどん衰退し、幕末には将軍の前での閲兵式でも馬に乗れない旗本がずらり・・・、織田信長という一武将が3000丁という世界一の数の銃を持っていたころとは大違い。

 個々の項目についてもいきなり江戸時代に入るのではなく、銃や花火であれば火薬の歴史から紐解いてくれるのでわかりやすい。根底には江戸時代の省エネ社会、利益よりも遊びに使ってしまう社会への好感と、近代以降の西洋資本主義が行った破壊と利益追求への著者の嫌悪感がそこここににじみ出ており、それを嫌う評価もあるが、からくり人形?すごいね、で終わらずに考え込んでしまう部分を持つ著書である。

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