中村清太郎「立山圏谷面」
中村清太郎の「立山圏谷面」という油彩を入手した。12号F(606x500mm)という小部屋に飾るにはやや大きめの絵である。
後立山連峰から立山の山崎カールを中心に描いたものである。実物が来る前にカシミールで描画地点を調べてみたが、だいたい冷池小屋あたりから描いたもののようだ。あかね書房の「日本山岳名著全集11」に収録された「山岳渇仰」付属の年譜によると昭和17年冷池に滞在して剱岳、立山を写したとあるのでその時のものかな、と思ったが、カタログには製作年不詳とあった。
さて、物が来て裏の木枠を見る。昭和19年山岳画協会出品とある、やはり昭和17年に描いたもののようだ。しかし、同じ木枠を良く見ると「新越乗越から」との書き込みがあるのでびっくり。新越乗越とは同じ後立山連峰でも岩小屋沢岳の南、現在アルペンルートのトンネルが下を通っているあたりである。カシミールで描画してみると図のとおり雄山(立山の一番左のピーク)からの尾根の傾きが全く違う。
これは中村画伯の勘違いだろうと思いつつ念のため、山岳展望の権威が集まるFYAMAPに照会したところ、間違いなく冷池からであること、左手前の尾根は岩小屋沢岳から2339mの三角点まで伸びる尾根であることが分かった。
この絵には立山の二つの有名な雪形が描かれていることを思い出し、田淵行男「山の紋章 雪形」をめくってみたら、ありました、同じ場所からの写真が。
さらに同じ田淵行男「山の手帖」にはカラーで冷池山荘からの写真もあった。
やはり書き込みは画伯の勘違い、弘法も筆の誤りならぬ画伯も絵の取り違え、か。
田淵行男「山の手帖」Ⅲ 尾根を行く 3.残雪は語る「立山連峰のカール群(後立山鹿島槍冷池小屋より)
田淵行男「山の紋章 雪形」Ⅳ 雪形ニューフェース 218立山(鹿島槍冷池山荘より) 左のサルマタは以前から知られていたが右のピエロは田淵が命名。
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