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蓼科・御泉水自然園

黄葉と紅葉
 蓼科山の麓の御泉水自然園に行きました。
 当初は娘と下の蓼科牧場に行って眺めがよさそうならゴンドラであがって自然園にでもと思っていたが、娘が来なかったので最初から上の自然園を目指した。
 東京は曇りがちだったし、甲府盆地に入って上空は晴天でも遠望はきかなかったが、今回は紅葉めあてなのであまり気にすることなく車を進めると八ヶ岳だけが雲が切れ始める。
 大門街道への道はところどころにコスモスが咲き、大門街道を登るにつれて山が色づき始める。霧が峰は上部が草原なので草紅葉一色、白樺湖の周囲の山は適度に赤が混じった黄葉だった。
 夢の平、御泉水という名前は以前、蓼科山に行ったときに知ったが、なんとなくいい加減に付けられたようにも思えるし、それなりに由来のある名前のように思える。御泉水自然園は位置的にも女神湖より遥かに上であり、営業目的で作ったようには思えず気になっていた。(ちなみに御泉水自然園は長野県が明治100年事業として作ったものでした。夢の平の由来はわかりません)

 女神湖から夢の平林道に入ると車はほとんどいなくなり、まもなくビジターセンターについた。花もないこの時期に人もいないだろうと思ったらそこそこ人がいた。ビジターセンターの受付で展望ポイントを聞くとゴンドラの駅とのことなのでとりあえずそちらに行く。
 スキー用のゴンドラがひっきりなしに登ってくるが、降りる人はほとんどいない。
 ゴンドラ駅から槍穂高
 正面に美ヶ原が見え、眼下には女神湖が見える。よく見れば美ヶ原の左に穂高と槍がうっすら見える。目をこらせば白い山も見える。白い山はその場では同定できず、立山かとも思ったが、帰宅して確認したところ、裏銀座の野口五郎岳だった。穂高や槍にほとんど雪がついていないのに裏銀座は雪景色なのか。

 自然園はこのゴンドラ乗り場以外はすべて林の中である。北白樺高原の名に恥じず、カラマツの中で白樺の白い幹と黄葉が目立つ。自然園なので基本的に造形物は少ない。縦横に散策路がめぐらされ所々に丸太のベンチと案内図がある。管理費として入園料300円がかかり、ビジターセンターとゴンドラ駅に人がいるが、周囲に柵があるわけでもなく、夢の平林道からは出入りもできるし、道路の反対側の自然園の一部である。入園していたのは1時間ほどだけだが全体をみるのは数時間かかるだろう。花の時期に再度行きたい。

写真


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塩野七生「ローマから日本が見える」

ローマから日本が見える
 塩野七生「ローマから日本が見える」を読んだ。
 世界史で受験に失敗して以来、司馬遼太郎が描く中国史の一部以外の世界史にはそっぽを向いていたが、たまたま図書館で塩野七生の本がずらっと並んでいるのを発見。塩野七生はけっこう面白いといううわさも聞いていたが、ずらりと並ぶ「ローマ人の物語」はいかにも大作、手に取るのも躊躇する。
 なにせ、30年近く昔のローマ史の記憶は、ロムルスとレムスの狼伝説の建国、カルタゴ・ポエニ戦争・ハンニバル(もちろんレクター博士ではないです・・・)、「賽は投げられた、ルビコンは渡れり」「ブルータス、お前もか」、アウグスツス、ネロ、五賢帝・・・・そんな単語がバラバラに思い浮かぶ程度。
とりわけローマ史については、古代ローマ人の方がよっぽど知性あふれるように思える現代のイタリア人、陽気な女好きのラテン民族、かっこイイけどいかにも壊れそうな車、というように、古代ローマと現代ローマ・イタリアとのイメージのギャップも手伝っていただろう。

 というわけで、居並ぶ著作のうちもっともとっつきやすそうな本書を借りてみた。

 建国伝説から2代皇帝・ティベリウスまでをダイジェストで描き、最後に皇帝や英雄達の通信簿がついている。
 とても面白い。
「ローマから日本が見える」との題名のとおりときおり挟まれる近代・現代の日本や世界との比較が面白くわかりやすい。皇帝という職位?の印象と現実とのギャップ、中国の皇帝との違いなど受験では勉強しなかったローマ史の面白さに触れられる。
 元老院と55年体制の自民党との比較などはもちろんであるが、もっとも印象に残ったのは、古代ローマはもっぱら財政負担軽減のために、公立病院と学校がなかった、という話。公共事業の基本のひとつである医療と教育にお金がかかるのは古今東西おなじ。古代ローマではこの2業種を民間に任せるかわりに医師と教育者には税制などを優遇し魅力ある職業に引き上げることにより、優秀な医師と教育を提供した。
 時代と環境に大きな違いがあるとはいえ、昨今の産婦人科など労働環境が厳しい医師の不足、公立小中学校の教師のレベル低下・・・、そんな現実が鏡のむこうに見える。

巻末の通信簿編のはじめに現代のイタリアの高校の歴史教科書の一文が掲げられている。
「指導者に求められる資質は、次の5つである。
知力。説得力。肉体上の忍耐力。自己制御の能力。持続する意志。
カエサルだけが、このすべてを持っていた」

 うう・・・。イタリア人ってホントは賢いのかも。

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「アサヒカメラ」1950年7月号

1950年7月号
 田淵行男は1951年6月5日発行のアサヒカメラ臨時増刊「田淵行男 山岳写真傑作集」で46歳の遅れたメジャーデビューを果たすが、前年のアサヒカメラで表紙をかざり、いくつかの写真を発表している。いずれも「山岳写真傑作集」に収録されているらしいが、どんな作品が収録されたのかが興味があった。
 「山岳写真傑作集」は臨時増刊だったので通常の記事は掲載されていない、当時の写真記事と「傑作集」でも面白かった広告を見たいというのもあり、アサヒカメラ1950年7月号を入手した。田淵行男のデビュー号である。

表紙写真のコメント
 表紙は「白岳」。目次の頁にコメントが掲載されているが、これは「傑作集」のコメントとは異なる。
 14ページから始まる「夏の山」と題する掲載は、見開きを占める「剱岳(池の平から)」で始まる。この作品は「傑作集」の表紙を飾った作品である。田淵行男記念館の入り口の大伸ばしの写真も裏剱であるが、この作品だったかどうか、ちょっと記憶にない。

黎明(常念小屋より浅間を望む)
 次の作品「黎明(常念小屋より浅間を望む)」は「山上黎明」の左の一部、太陽の部分をトリミングでカットしたもの。さらに、「五龍の残月」が最後を締める。いずれも田淵の初期の代表作ばかりである。

 他の記事で山関連は浦松佐美太郎の随筆「カメラの還暦」、船越好文「高原の撮影」がある。
1950年といえば敗戦から5年。サンフランシスコ講和条約はこの翌年であり、記事にもGHQが現役で活躍している占領時代である。
 戦後の荒廃と復興がどのような形で実現したのかを文字では知っていても実感がない自分には、アサヒカメラの記事は、たった5年でこれほどの余裕ができたのか、と思わせるに十分である。
 アマチュア写真といえば、撮影はもちろん現像・引伸ばしも自分でやるのが当然に近い時代であり、記事や広告にもそれが反映している。
 この号では8つの企業が共同で「広告写真懸賞募集」記事を載せている( )内は写真のテーマ。東芝(電気照明)、明治乳業(赤ちゃん、ミルク)、明治生命(親子、老夫婦)などである。ちなみに1等賞金は3万円。
 それにしても写真は高価なものだった。
 「新製品メモ」に「さくら天然色印画引受け開始」の記事があった。それによれば、キャビネ版の最初の1枚が1000円、焼き増しは500円である。しかも現像完了まで20日から1ヶ月。別の広告ではトリミングなしの(モノクロの)引き伸ばしが、手札15円、名刺10円となっている。なお、アサヒカメラ今号のカラー写真は口絵となっている「浦島歌女(宝塚少女歌劇)」の1枚だけである。

 それにしても昔の雑誌は文字が小さい・・・。

P.S この年のアサヒカメラは10月号に「秋の鹿島槍」3点、11月号に「秋山のねらい(エッセイ)」、12月号に「初冬の浅間」が収録されているとのこと。

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野辺山の牧場と清里散策


茅ヶ岳と初冠雪の富士

 秋晴れが見込まれたので、娘を連れて再び八ヶ岳山麓に出かけた。前回は娘の希望の牛の放牧を見ることができなかったので野辺山の滝沢牧場という観光牧場を目指した。紅葉が盛りの美ヶ原にも食指を動かされた。山本小屋までビーナスラインで向かえばすでに美ヶ原牧場入り口。しかし広大な美ヶ原牧場のどこまで行けば牛がいるかはわからない。まあ、塩くれ場まで行けば間違いないだろうが、山本小屋から20分歩けるかどうかわからないし、自宅からの距離、時間も考え野辺山にした。
 清里や野辺山も以前は須玉ICから141号をだらだらと登ったが、今は長坂ICから北杜八ヶ岳高原線という道路でラクラク行けるので助かる。

 6時半頃、国立ICに乗ったらすでに軽い渋滞が始まっていた。八王子料金所でETC用の2箇所のみが手前から渋滞しているのでETCのトラブルか事故かと思ったら、その先が渋滞していただけだったが、談合坂SAの駐車場はかなり混雑していた。
 甲斐駒と八ヶ岳だけが雲がとれないまま、長坂ICで降り、野辺山を目指す。八ヶ岳は雲の中だが右手の相木山群の男山、天狗山が大きい。
 
 滝沢牧場で念願の?牛を見てあっという間に引き返す。途中、一度くらい見ておくかとJR最高地点に寄ったが、大きな目印の看板がある以外は当然何もなく、線路をはさむように両側にみやげ物やがあるだけだった。
 娘の希望で美し森にも寄る。今回はゆっくり歩いて展望台まで達したが、犬連れの人が多く、犬が大の苦手の娘は苦労していた。展望台まで来たのは30年ぶり。30年前には展望台からもよく見えた御座山や男山は木立の陰で見えず、途中からしか見えなかった。30年前に訪れたのは真冬の12月下旬だったので人っ子ひとり居なかったが、今日は観光客と犬ばかり。展望台からはどこよりも安価なジャージー牛乳のソフトクリームの宣伝文句が流れてくる・・・。

 さらに娘の希望で前回、星野道夫を展示をやっていた自然ふれあいセンター(清泉寮の向かい)に行くと、なんと星野道夫の展示はまだ続いていた。よく見ると没後10年のことしはメモリアルイヤーということで一定期間ごとに展示内容を変えて継続している。今回はパネル写真が多かった。
ピンバッチ

 ついでに近隣のやまねミュージアムにも行ってみた。ミュージアムそのものはこじんまりとしていて、これで入場料300円はちと高いかなとも思えたが、敷地の維持費と考えて入場した。もっとも入場記念のピンバッチ代と考えれば安いか。
 室内はやまねに関する展示やグッズ販売、ビデオが流れていた。広い敷地に向かい合うテラスには双眼鏡がおかれ、やまねは無理かもしれないが、バードウォッチングなどができるようになっている。正面には富士山。
ヤマネの棲む森
 ヤマネそのものにあまり興味はないが、ヤマネには妙な縁がある。
 左の写真は、ヤマネの研究家の写真家・西村豊氏がインターリミテッドロジック(ILL)社から刊行したCD-ROM「ヤマネの棲む森」(廃盤)のジャケットである。@niftyのフォーラムFYAMAPでこのCD-ROMが話題になり、「ぼくの会社で作っています」と書き込みをしたのがILL社の社長HIBIさんで、これをきっかけに、当時フォーラムのスタッフだったぼくや、カシミール3Dの作者・DAN杉本さんなどとの交流が始まる。これがなければカシミールによるオンライン地図サービス「山旅倶楽部」はもちろんなかったし、ハンディGPSへの対応などカシミールの進化ももう少し時間がかかっただろう・・・。などと昔話を思い出しながら、ミュージアムを出て帰路についた。

 久しぶりにこのCD-ROMを見てみようかな。

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江上剛「円満退社」

円満退社
 江上剛「円満退社」を読んだ。
 3月31日、期末日の今日を無事すごせば「円満退社」となり十分な退職金をもらって第2の職場に行くことになる銀行の郊外支店の支店長の一日の物語。時代は金融庁主導の不良債権撲滅の嵐が吹いた近年の銀行に一番つらかったであろう時期。小説なので平穏な一日であるはずものなく、銀行全体で1年に1回あるかないかの事態がまとめて最後の一日にやってくる。

 金融行政の現場はもちろん知らないが、全体の数字のみを見てミクロの現場の実情を見ない(見ようとしない)のはどこの役人も一緒か。現場の銀行員がいかに金融庁を嫌っているかわかる作品である。
 1日の話にしては登場人物が多く、詰め込みの印象は否めないが、2時間ドラマを見るように読める。

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三崎亜紀「となり町戦争」

となり町戦争
 三崎亜紀「となり町戦争」。原田知世が主演する映画の原作ということをmixiで知ったので読んでみました。
 数十回は見た「私をスキーに連れてって」を筆頭に、「彼女が水着に着替えたら」「時をかける少女」「天国にいちばん近い島」「早春物語」「黒いドレスの女」など若い頃の映画はよく見たのだが、最近は「大停電の夜に」も見ていない・・・。
 というわけで先に原作を読んでしまった。

 原作の題名はなかなかユニークであるが中身はなかなか想像できない。まんま、なのだが・・・。
 役所批判か戦争論かという意見もあるようだが、実は重めの話を軽めに書いていて、それなりの読後感がある。ただ、主人公と香西さん以外のすべての登場人物がそれなりの意味を持ってしまっているのが、かえって堅い印象がある。もう少し人物に遊びが欲しかった。

 原作のままだと役場の香西さんは原田知世の実年齢よりはかなり若そうだし、江口洋介が演じる主人公ももっと若そうだ(江口洋介は原田知世と同じ年だった)。どんな映画になるのだろう。

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VECTORサイトでウィルス感染

VECTORのサイトに掲載されているオンラインソフトの一部がウィルスに感染していたとのニュースをYAHOOで知った。
 感染したのは9月27日。
http://www.vector.co.jp/info/060927_system_maint.html

 この期間にダウンロードされた可能性のあるソフト807本
http://www.vector.co.jp/info/060927_system_maint_urgent.html
の、一覧には拙作ソフト「AVIMaker」も入っていた。
 一覧を見てみるとけっこう有名なソフトもあり、ぼくが愛用しているソフトもある。

 しかし、これを書いている10月2日(月)17時現在、vectorから本件についての情報やお詫びは作者であるぼくには少なくともメールひとつも着ていない。

 vectorは以前は掲載しているソフト別に毎月のダウンロード件数などをメールしてくれて、フリーソフト作家としてはその件数を励みにしていただのだが、そのようなサービスもなくなっている。
 まあ、それはコストの問題で仕方ないとはいえ、ウィルス事故の情報の連絡がないのは問題だな。
 サイト上のおわび文は「ご利用いただきた皆様には、多大なご迷惑、ご不安をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。」となっているが、作者へのお詫びは一言もない。

p.s 807本の中にもうひとつ拙作ソフトが入っていた・・・。
  さきほどVECTORのサイトをみたら、トップ頁にやっと大きくこの件が表示され、お詫びの文章が掲載された。 今までは上部に2行あるだけで知らないと見過ごすレベルだった。
 ちなみにお詫び文の公開は10月2日21時。YAHOOに掲載されて焦ったのか。

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