「山 記憶と表現」展
田淵行男記念館の特別展「山 記憶と表現ー杉本誠収集作品によるモノクローム写真の世界ー」に行ってきた。
山岳写真史研究家 杉本誠氏が収集した黎明期の原版によるモノクロ写真の展示会である。
開催期間が10月1日までで、週末の天候がすぐれずとなかなか行く機会がなかったが、今週末は天気はもちそうなので出かけることにした。久しぶりに富士山も南アルプスも見えない中央高速だったが八ヶ岳だけはくっきりとよく見えたのが儲けもの。豊科ICを降りると安曇野はすっかり秋の装いで、北アルプスは見えないものの道路脇にはコスモスなど秋の花が多かった。
開館15分前に到着し、開館と当時に入館。
1階ホールが特別展の会場。順路をしめす札のすぐ横に河野齢蔵の1907年撮影「八ヶ岳高山植物採集会会員の記念写真」があった。中央の牧野富太郎の服装が妙にラフで現代的で、周囲の軍服、詰襟と違和感があって面白い。
上高地の河童橋の変遷、野営の小屋架けの写真など興味深い。中でも黒部渓谷の代名詞ともいえる冠松次郎の南ア、聖岳の写真が今も変らぬ山のすがたとその横の人たちの風俗との2つのギャップがよかった。
船越好文の「雪煙をついて」は「雪線」(復刻版)と「山を愛する写真家たち」のふたつの写真集に収録したものが手元にあるが、そのどちらともレベルが違う迫力だった。この写真も雪の剱岳が迫力をもって迫り、よく見ると歩いている人の装備の違いで時代の差に気が付くという感じ。古さがない。写真集に収めてしまうと視点の移動の手間がないせいか、そのような効果がない。
写真の大きさの違いだろうが、同じことは、同時開催の企画展「山の博物誌」でも感じた。
「山の博物誌」は田淵の「山の時刻」「山の季節」収録作品を中心とした展示であったが、最初に写真集「山の時刻」を見た(読んだ)ときのようなわずらわしさは何もなく作品を楽しめた。現物を見るということはこういうことなのだろう。
ガラスケースに収容され、1冊しかないのだから触ることもできないが、田淵デビューのきっかけとなったオリジナルの「山のアルバム」をガラス越しに食い入るように眺めた。その大きさはもちろんであるが、文字ひとつひとつの別の紙でのレタリングなど几帳面さがにじみ出ている。いちど中身を拝見したいものだ。
Tシャツと帽子を思わず購入して外に出ると、入り口の花に無数の蝶が群がっている。ギフチョウは時期的にも当然いなかったが、名前のわからないまま写真に収めて、帰宅してなんとか名前らしきものがわかった。
蝶とパンフレットとグッズの写真
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