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「ダ・ヴィンチ・コード」って??

以下は「ダ・ヴィンチ・コード」崇拝者は読まないこと、ただしネタばれはありません。

ダ・ヴィンチ・コード (上)ダ・ヴィンチ・コード (下)
 マスコミ、特にTVがタイアップして盛り上げる作品は、TVとかのメディアがターゲットにするレベルの人たち向けのものである。だから怖いもの見たさというのもあった。しかしねえ・・・。

 この数年でもっともひどいと思ったのは「神々の指紋」である。この本と「ダ・ヴィンチ・コード」との共通点は「これが事実だ」と言っていることだが、まあ「ダ・ヴィンチ・コード」は小説の形態を成しているだけ「神々の指紋」よりはまともであろう。翻訳も読みやすい。

 正直、もう少し高尚な御説を期待していたのだが、これでは倒錯じゃない盗作訴訟が起こるのも無理はない。上巻を読み終わったとき、あれれ、これだけかな、まだもう少し何かあるはずだと思いながら、下巻が終わってしまった、というのが正直な印象。また、これだけ実在の組織・団体の名前を出し、過去の「偉人」を出すのは失礼ではないかと思う。ここまで実在する、した人物・団体名を出すのであれば、研究論文なり相応の方法があるはずで、盗作のうえに他人の褌で、という感がぬぐえない。作者の品性を疑う。

 ストーリーだけなら「ハリー・ポッター」の方がずっと面白いし、奥深さなら三島由紀夫「豊饒の海」にかなわない。ちなみに「豊饒の海」は浜松中納言物語をモチーフにしているが作中に三島が明記してあり、こういうのは盗作といわない。

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田淵行男「山(世界写真作家シリーズ)」

表紙扉


 田淵行男「山」は平凡社が1958年に刊行した「世界写真作家シリーズ」のひとつである。とはいえ他にどのような写真作家が採り上げられたのかも、その人数も不明なら、日本人がどれほど採り上げられたのかも不明である。
 「山岳写真傑作集」によるデビューが1951年、翌年に「わが山旅」を刊行しているが、「世界写真作家シリーズ」のひとりとして取り上げれられるのであるからすでに山岳写真作家として不動の地位を確立していたのだと思われる。
 しかしこの本の収録写真数は少ない。同シリーズの制約のせいか、また同年に「尾根路」を出している影響もあるのかもしれない。

 さて、この本は中古も少なく、ページ数が少ない割りには中古価格が1万円を超えるものがほとんどであり(さきほど4000円というのを「スーパー源氏」で見つけたが)中身を見ないでいきなり購入するのはちょっと冒険である。
 地元や近隣の図書館には蔵書がなかったので国会図書館の蔵書を借りてみた。国会図書館は成人なら誰でも閲覧できるが貸し出しはできないと思っていたが、公立図書館宛の貸し出しを行っており、地元の図書館で借りてもらえば地元の図書館内での閲覧はできる(館外への貸し出しはできない)。貸し出し期間は1ヶ月で、その期間内であれば何回でも閲覧できる(ということが今回初めて分かった)。

 というわけで、本日、閲覧してきました。
 厚いカバーをめくると出てくるのは上の写真、次が扉。(表示の写真の黄色い点は図書館内の白熱灯が反射したもの)
 序文は登山家の松方三郎と写真評論家の伊奈信男。伊奈は「山岳写真傑作集」でも序文を寄せている(ちなみに「傑作集」の序文寄稿のもうひとりは浦松佐美太郎)。ただし二人で1ページという短い序文でやや迫力に欠ける。

作品は以下の写真解説頁のとおり。
写真解説1写真解説2


 数は少ないが常念からの槍穂など似た構図に見覚えのあるもの以外はほとんどがオリジナルのように思える。
 撮影山域は初期の作品らしく北アルプス以外にも浅間や八ヶ岳、草津白根などがある。
 扉(上右)の下段にある、花と穂高の写真が一番印象に残った。

 作品点数が少ないせいはもちろんあるが、田淵自身のあとがきも1ページの型どおりのもので面白みに欠け、サイズの問題もあり、全体としてイマイチである。
 しかも閲覧した本は37/38頁と39/40頁が2ページ飛んで逆に製本される乱丁だった。この2ページは常念山脈からの槍穂のパノラマであり、寸断されてしまっている・・・。国内すべての出版物を納本する必要がある国会図書館であるが、納本時に検査はなかったのだろうか。

 昭和33年6月25日印刷、30日発行で、国会図書館への納本日は8月21日となっていた。

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田淵行男「尾根路」VS「尾根路II」

田淵行男「尾根路」を入手した。1958年刊行の方である。せっかくなので、1980年刊行の「尾根路II」と比較してみた。IIは図書館のもの。


 まずは外観など・・・。(写真の大きさの関係で右端が見えません。すいません。こちらをどうぞ)


尾根路の函。4方に開く。

厚さは尾根路IIがかなり厚いが、表示素材の厚みのため。普及版ではほぼ同じかと

表示デザインは同じ(左:II、右:初版)。大きさはIIがわずかに大きい。右が大きく見えるのは撮影方向のため

裏のデザインは異なる。IIはキヌガサソウ

色調は初版(写真手前)が全般に黒めでコントラストが弱い。IIはやや灰色だが、ディテールは細かい

カラー印刷の色の違い、シャープ度は時代の違いを感じる(写真奥がII)

次にコンテンツ。
「尾根路II」のあとがきでは初版との違いが「カラー13頁(10点)追加、モノクロの変更差替え8点で本文総頁数134頁(22ページ増)」となっている。

 ぼくが見比べてみた違いは以下のとおり。なお、掲載順序の変更は特段の断りのない限りカウントしていない。【 】内は章の名前

尾根路(1958年)尾根路II(1980年)
【常念・蝶・大滝】
山頂の岩

イワウメの写真をカラーに差替え

秋の蝶ヶ岳(カラー)追加

稜線の岩(カラー)追加
山の池(カラー)、山の岩(カラー)掲載なし
【穂高をめぐりて】【穂高・槍をめぐりて】に変更
横尾にて、その解説掲載なし
徳本峠にて(カラー)掲載なし

雨後の涸沢2題(カラー)、
暮れ行く槍(カラー)、
涸沢新雪(カラー)追加
新雪の朝 涸沢掲載なし。上記に替えたか。
解説の奥穂高の標高誤り訂正済
【後立山】
唐松小屋の朝
雪景色の写真に変更
五龍残月掲載なし
【剣岳】
剣御前尾根(カラー)追加
【山の樹々】
ハイマツ(蝶ヶ岳にて、天狗原にて)の2題
掲載なし
熊笹(浅間小諸口にて)【初冬の浅間】の章へ

ミヤママンネングサ(北岳)カラー追加
巻末エッセイの題名
山小屋あれこれ
追憶の山宿としてI/IIあり、量増加

山路回想2を追加
あとがきは横書き縦書き
著者近影

なぜか巻末に貼り付け。
しかも上部のみ
間に合わなかったのか?
左記写真を本文に

 1958年刊行の方は刊行から48年を経過している。ぼくより年上である。一方、「II」は1980年刊行の通常版(6,800年の普及版でなく25,000円の方)なので経年劣化の差は当然あるし、印刷技術の違いも如実である。「II」は初版から20年以上たっての復刊であり、その分、巻末のエッセイなどが充実している。
 田淵が山岳写真集にある程度本格的にカラー写真を使うのは(蝶関連を除く)1967年の「山の時刻」からであり1958年のカラーはそういう意味でも貴重である。

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田淵行男「わが山旅」

わが山旅中村清太郎の序文

 田淵行男の写真集「わが山旅」を読んだ。前年(1952年)アサヒカメラ臨時増刊「山岳写真傑作集」で初の単行本を刊行し、これに続く写真集が「わが山旅」である。
 刊行が「天文ガイド」(まだ刊行されています)や「初歩のラジオ」(廃刊です)の誠文堂新光社であるのは田淵の当時の仕事に関係があったのだろうか。ちなみに田淵の次の単行本「ヒメギフチョウ」も同社からの刊行である。

 序文は田淵にとって山と蝶の先輩である中村清太郎。中村は後に「山の紋章 雪形」で自身の雪形に関する著作を転載し、「高山蝶」では自身の高山蝶2種の発見物語を転載、また「黄色いテント」では「樹木動く」の項でハイマツが動いたことを転載している(オリジナルは「山岳渇仰」「ある偃松の独白」に収録)。

目次

 さて、構成は「傑作集」と同様、春夏秋冬に分かれている。
初期の作品は八ヶ岳や奥秩父、上越といった山の写真が多いのが特徴である。
甲武信ヶ岳で撮影した「奇雲」八ヶ岳での「嵐の前」、「新雪の一ノ倉」もこれに収録されている(いずれも岩波書店「日本の写真家11 田淵行男」に再録されている)。
 田淵自身が「尾根路」のあとがきで印刷に不満があったと記している「わが旅」であるが、そう思える写真もたしかにある。ざっくりいえばコントラストが弱めでねむい写真が見られる。
 これも「日本の写真家11」や「ナチュラリスト・田淵行男の世界」に再録されている有名な写真「立山・別山より」を3つで見比べてみると、サイズが一番小さい「日本の写真家」のコントラストがやはり一番強く、次に「わが山旅」よりも大きいサイズの「ナチュラリスト」となり、本家「わが山旅」のコントラストは一番弱い。しかしコントラストが弱いために影になっている雪渓の模様もよく見えるし、立山という山の印象をどれが一番伝えているのかは難しいところだ。3つの優劣を比較するよりは印象の違う3作に触れて楽しめば良い。

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中沢池公園




中沢池公園

scale:70000
35/37/2.290,139/24/40.732

久しぶりに中沢池公園の花菖蒲を見てきました。珍しく駐車場も満杯でした。カメラを替えてRAW撮影に切り替えてからは菖蒲の紫や青もきちんと出ます。ドクダミの白も

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田淵行男「山のアルバム 北アルプス回想」







 田淵行男「山のアルバム 北アルプス回想」を読んだ。といっても中古相場が2万円を下らない本なので地元の図書館経由で東京都立図書館のものを借りて読んだ。
 1985年刊行の田淵にとって30冊めの単行本ながら刊行当時の写真は一切なく、ほとんどが戦前戦後の写真である。
 田淵のデビューがアサヒカメラであり、初の単行本がアサヒカメラ臨時増刊の「山岳写真傑作集」であることは有名であるが、アサヒカメラでのデビューのきっかけとなったのがこの本に収録された写真の元になった800ページにおよぶ自作アルバムである。巻末のその経緯が書かれているが、自作アルバムが廻りまわってアサヒカメラ編集部の目に留まりデビューとなった。
 この本はその自作アルバムを抜粋したものであり、それゆえ書名も写真集ではなく「アルバム」なのである。

 この「アルバム」が貴重なのは上記のような田淵にとってデビューのきっかけとなった未発表作品集であることはもちろんであるが(「山岳写真傑作集」収録のものと8作品が重複している)、なんと言っても田淵の作品らしからぬ人物の多さであろう。セルフタイマーによるポートレート・記念写真や女子高の教師としての引率登山の写真も多く、プライベートな山行でも女性の同行が多く、デビュー前の田淵がなかなかダンディだったことがわかる。北穂の縦走路の岩場で女性をモデルにした写真も何枚かあるが、当時の写真撮影の煩雑さを考えると、同行の女性もちょっと迷惑だったのかも。

 それにしても凝ったアルバムである。

 一昨年他界した父の山のアルバムもかなり凝っていたがさすがに田淵にはかなわない。
 話は逸れるが、父の山のアルバムのうち出色の出来だったものは実家を改築するとき「知らない人と山しか写っていない」と実家の者に捨てられてしまった。木道敷設前の尾瀬の項では、ずぶずぶになってしまう湿原歩きに「ここに行くにはゲートルは必須」とのコメントがあった。一面のニッコウキスゲを掻き分けて行く姿や、池塘の浮島で「舟遊び」をする姿など、尾瀬の保護団体が見たら卒倒しそうな写真などをもはや見ることができないのが残念。
 山歩きを始めた頃の目標はこのアルバムだったが当時の写真のアルバムはフリーアルバムというのがはやりだった。その前の時代のアルバムはいわゆるサービスサイズの写真を縦横決まった場所に貼ることしかできなかったが、ページ全体をビニールで覆う形にしたことでどこにでも、またどんな大きさの写真でもレイアウトできるようになった。しかし台紙には糊がついているのでコメントをかけないのでコメントだけを別の紙に書いて切り抜いてアルバムにはさんだものである。
 今はブログとかホームページとか・・・、まさに隔世の感。

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清里

いかにも梅雨らしい赤岳
 梅雨入り直後の晴れ間を狙ったつもりでしたが、イマイチでした。
 娘を連れていたので長い時間を歩くのは無理(←自分ひとりでも無理だったりする)なので、高ボッチにでもと思って出かけ、バックアップに清里を考えていた。いつもどおり笹子トンネルを出てから考えることにした。
 出発が7時と出遅れたが、中央道からの富士はくっきりと見え好展望を期待させるが、笹子トンネルを抜けると上空は薄日がときどきさし、青空だが、遠望はあまり効かない。韮崎を過ぎても甲斐駒がすっきりとしないので、高ボッチをやめて清里にした。
 清里と美森はたしか98年の夏の朝にビデオカメラを抱えて出かけたがガスで何も見えずに撤退。その前は高校時代に遡る。

 清泉寮はたぶん県内と思われる中学生の集団のほかは観光客がちらほら。空いている。
 遠望はあまり利かないもののそれでも冬にはなかなか姿を見せない北岳と間ノ岳を見ることができた。
 ソフトクリームを食べると言っていた娘が、やっぱりいらないということになり、牛の放牧もないとなると清泉寮に留まる理由はなく、隣の「八ヶ岳自然ふれあいセンター」なる施設を覗いてみると、「星野道夫メモリアル展」が展示されていた。アラスカなどの動物や自然の写真がテントなどとともに展示されていた。星野道夫については名前を漠然と知っている程度だったので、展示会場の入り口に「遺品の展示ではありません」とのコメントに少し奇妙な印象があったが、帰宅後に調べるまで96年にヒグマの事故で逝去したことは知らなかった。もう少しよく見ておくのだった。
 その奥には「やまねミュージアム」もあったが、開館時間前だったのと娘が興味を示さないので行かなかった。こちらは有料、300円。

 美し森も以前よりも駐車場が広くなったようだ。頂上まで幅の広い木道の階段が続いていたが、あまり記憶にない。残念ながら富士山は見えなかったがその他は霞がちながらも、御座山から金峰山、茅ヶ岳、南アルプスは北岳、間ノ岳、もちろん鳳凰も甲斐駒、それと赤岳が見えたので良しとする。下りの木道で娘につきあってゆっくり歩いていたら右足の太ももをつりそうになり焦った・・・。

 帰りはカーナビ任せで八ヶ岳の裾野を下りていったが、清里駅手前でいきなり左折して下の道路をオーバーパスすると初めて通る立派な道路をくだり、八ヶ岳高原大橋という橋の元で記念撮影。
 娘の要望によりEOSさんの家の前を通って帰った。

写真

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本当は恐ろしいグリム童話

本当は恐ろしいグリム童話
本当は恐ろしいグリム童話本当は恐ろしいグリム童話(2)を読んでみた。
 (1)の方は発売当時ミリオンセラーとなったもの。Ariesさんのサイトの「薀蓄の部屋」でグリム童話に関する話を読んだのは99年だが、やっと読む機会ができた。
 本そのものはグリム童話((2)では一部にアンデルセンとオスカーワイルドもあり)の原作を尊重しながらもオリジナル性を出したものであり、全く別のストーリーもあるようだ。白雪姫やシンデレラなど有名な童話はオリジナルに近いもののようだ。
 「本当は恐ろしい~」が話題になったのは童話の原作に見られる残虐性と性的表現を前面に出して「童話」の持つイメージを壊したからだろうが、中世のヨーロッパ文化史、風俗史として捕らえると興味深い。現代日本と違い、子沢山だけども5歳まで成長する子供は少なく、また病気などで母親が若くして死に後妻に養育されることも多い時代。実母の王妃が嫉妬する美貌の白雪姫は7歳というのはさすがに近代以前の日本でもちょっと若すぎだろうが・・・。
 童話の間に挿入されるコラムで作者も語っているが、原作は往々にして性的表現がふさわしくないとカットされたが、残虐性について批判が出ることはあまりなかったようだ。
 後に中世は暗黒時代といわれるが、それは宗教支配のみによるものではなかったのだろう。
・・・「ダ・ヴィンチ・コード」騒ぎすぎ、と思う今日この頃。

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