中村清太郎「ある偃松の独白」
ナチュラリスト・田淵行男の世界の巻頭で山岳写真研究家の杉本誠が田淵の業績を解説する長文を寄稿している。その中で中村清太郎が高山蝶2種の発見者であり、発見時の様子を田淵の「高山蝶」に寄稿したこと、雪形の存在を田淵に教えたのも中村であったことを知った。
田淵の「山の紋章 雪形」は1981年の刊行で、すでに中村は鬼籍に入っていたが、この本にも中村清太郎の「山雪の幻像-雪形の発掘と記録」が全文引用されていた。そして中村の田淵にかかわる蝶と雪形の2つの文がともに「ある偃松の独白」(朋文堂 コマクサ叢書)に収録されていることがわかった。
1960年に刊行されたこの本はB6版。見開きに剣岳列しょう(?山ヘンに章:画像参照)、中ほどに「老いたる偃松(木曾駒ヶ岳)」という中村画伯のカラー口絵がある。
書名の「ある偃松の独白」は「老いたる偃松の姉妹作」と副題が付けられ、木曾駒ヶ岳の老いた偃松が自分を描く老画家を通して山での人間の行為や自然の厳しさを語る小説となっている。
さて、雪形と高山蝶の2題。
「山雪の幻像-雪形の発掘と記録」は中村清太郎がなにげなくスケッチした木曾御嶽の絵を地元の人に見せ「ほう、種まき爺さんがよう出とる」と言われたことから始まる雪形の発見をはじめ、白馬の代掻き馬など代表的な雪形についてスケッチを交えて説明している。
「高山蝶発見物語(田淵行男君著「高山蝶」のために)」は明治43年に後立山から立山に縦走したときのクモマツマキチョウ、タケネヒカゲの発見・捕獲物語である。これを読むと中村が以前は蝶の収集を行っており、初めて見る蝶について他の蝶との違いと日本初であることを直ちに判別して捕獲していることがわかる。捕獲用ネットのない状況で帽子で捕らえ、傷つけないように捕獲することは、中村が蝶の素人ではできなかったろう。
なお、辻本満丸によるこの山行の記念写真が「山を愛する写真家たち―日本山岳写真の系譜」とナチュラリスト・田淵行男の世界の両方に収められている。
こうして「山の本 買い漁り」の発端となった中村清太郎の絵画付きの書籍を、志水哲也-水越武-田淵行男-中村清太郎という繋がりから入手することになったことは個人的に嬉しい。
【朋文堂】コマクサ叢書について
中村清太郎の情報はネットでもほとんど拾えない(グーグルでヒットするのはほとんどが同姓同名のプロサーファーの情報・・・)ないのでコマクサ叢書の1冊である「ある偃松の独白」の本の装丁を見るのも初めてだった。
装丁を見た瞬間に、同じ装丁の本が亡父のわずかな蔵書にあったのを思い出した。蔵書はすでに滅失してしまったので父が保有していたのがどんな本だったのかは今となっては分からない。調べてみるとコマクサ叢書には以下のような品揃えがあったようだ(14巻が記載のとおりかどうか、また16巻以降があったのかどうかは不明)。娘の名前を美ヶ原から採った父が持っていたのは尾崎喜八ではなかったか、と漠然と考えているが知る由はない。
- 新編みなかみ紀行 若山牧水
- わが山旅 田部重治
- 山の詩帖 尾崎喜八
- 山秀水清 深田久弥
- 黒部渓谷 冠 松次郎
- 山と鳥 中西悟堂
- 山と雪の日記 板倉勝宣
- 続 黒部渓谷 冠 松次郎
- 単独行 加藤文太郎
- 垂直の散歩 藤木九三
- 山 随想 大島亮吉
- 山の画帖 茨木猪之吉
- アルプの麓 吉江喬松
- 山よ雲よ 吉田 絃二郎か?
- ある偃松の独白 中村清太郎
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