32年ぶりの函館本線
32年ぶりに札幌に行った(仕事ですが)。北海道そのものも17年振り、トマムとサホロにスキーに行って以来・・・。
行きの飛行機からは羊蹄山がよく見えた。で、仕事は1日で片付いたので土曜日は早起きして余市のニッカウヰスキー工場と小樽に寄って来た。。
余市はニッカの工場以外には何もない(いや、余市宇宙記念館スペース童夢があるか・・・。なんでこんなところに、という気持ちがあるが・・・)。小樽は幼少時代をすごしたとかの理由で石原裕次郎記念館があるが、有名なのは小樽運河。といっても規模は小さくて・・・。あとは北一硝子でしょうか。なんといってもまあ魚がうまい。昼食をとったすし屋が小樽の中でどの程度のランクなのかはわからないが、このレベルのものを東京で食べるとしたら倍近い金額がかかるのでは、という感じ。
で、それはさておき、一番驚いたのが小樽~余市の函館本線である。
32年前の北海道旅行は東北本線の夜行急行(当然寝台ではない)で青森に着き、そこから青函連絡船で函館へ。その夜は大沼に泊まり翌日、大沼公園駅から函館本線、室蘭本線の各駅停車で洞爺湖に向かい、戻って長万部から今は廃線になった胆振線でD51に引かれた列車で倶知安、ここで再び函館本線に乗って小樽の先の朝里温泉まで行った。大沼から2日間の旅。
当時、電化されていたのは小樽から札幌経由で旭川までだった。
と、同僚とそんな話をしながら、7時過ぎの札幌発小樽行きの電車に乗る。電車は3つ扉だけど中はクロスシートというもの。扉は外からはボタンを押して開けて乗る。電車は6両編成で土曜日だというのに運動部系の中学生が多かった。
で、小樽で余市までの電車に乗り換える。反対ホームだ。あれ、電車がいない。
・・・ではない・・・。1両のディーゼルカーだったので見えなかったのだ。
え、小樽から先ってまだ電化していないの??
ひょっとして単線???
で、そのとおりでした。途中、波しぶきがかかりそうな海岸沿いやどうやってもパンタグラフの高さに満たない低いトンネルを通過するにつれ、なるほど簡単に複線化できず、電化もできず、車社会の中で苦しむローカル鉄道の厳しさにびっくりするとともに、32年前とあまり変わらない、沿線の景色を複雑な思いで懐かしんだ。
新千歳空港ビルの土産物屋やレストラン街が羽田のビッグバードにも劣らないほどの繁盛振りとは大違い。
やたら立派だった余市の駅舎が少し悲しい。
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